001 働きたくない最強竜
「じゃあ、始めるね」
——儂の目の前に、儂がいた。
黒色の鱗に覆われた体。折り畳まれた強靭な翼。しなやかな尻尾。それらを小さく丸め、地に伏せて眠ったように瞳を閉ざす竜。
儂の体だ。
——ならば、この儂は?
掌を見つめる。小さな、人間の手。細い指。それを顔に這わせると、鱗ではない柔らかな頬の感触。
人間。
子供。
————幼女。
幼女。幼女。ようじょ——。
「ふんぬおおおおおおおおおーーーーーーっっっ!?」
ほんの少し前のことだ。
「滅界竜グリムワルド、貴様を魔王軍より追放するっ!」
くわぁぁ……。
眠い。
まだ日が高いではないか。
全く、なんとも失礼な奴め。洞窟で眠っていた儂をわざわざ外へ呼び出した挙句、頭上からのこの宣言とはな。
一応、コイツは魔王軍の四天王に配される奴だ。形式上の地位は儂より上位にある。『呪獄』のヤンデルゼ、という名だったか。
通称『魔王の呪い人形』、あるいは『魔王の汚点』、あるいは『キモい近寄るな』、あるいは——まあどうでもいいか。
姿は人型だが、魔術に精通し死をも超越したと言われている魔族だ。その代償が干からびた体と死滅した頭髪。魔術でどうとでもなるのだから、儂と会う時くらい愛嬌ある姿にでも取り繕えばいいものを。
そんな気遣いもできない奴だ。関わりあいたくないと思うのも必然。無視を決め込むこともできたが、まあ、仮にも四天王だ。その顔を立て応対してやっているというのに、山の樹々よりも高い位置からこの儂を見下ろすとは無礼極まりない。
「で? くだらん研究に没頭するあまり正常な判断力を失ったか。この儂を、魔王軍最高戦力と謳われる儂を追放とはな。ついに、見た目に相応しい狂いっぷりになったということか」
「くっ、くくくっ。見た目に相応しい? 結構なことだ」
いや、反応すべきはそこではないが。何を大仰に頷いているのだコイツは。すでにこの時点で話が通じるか怪しいが、一応確認しておくか。
「ふん、ではなぜ儂を? お前も知っての通り、儂は奴——っと、魔王様よりこの国の支配を任されておる。如何に四天王とはいえ、お前の一存で覆すことなどできぬはずだが?」
「ふははっ、そう! 私は四天王! 貴様よりも、くくっ、立場は上なのだっ!」
うむ。やはり話にならないか。
「そう! そして、魔王様からの寵愛もっ! あっあっああああああぅぅぅぅっ、我が敬愛すべき魔王様! 麗しき魔王様! 貴方のお目覚めの刻には、このヤンデルゼ、是非ともお側に参じますぞ!」
はぁ……、寝起きにお前の干し柿のような顔を見たら、魔王とはいえ卒倒するぞ。それが数年ぶりならなおのこと。
しかし、上空にいるコイツの相手をするのも首が疲れるわ。ああ、そうだ。こうして寝転がって、と。視線だけ向ければ十分か。
ん、ふあぁぁぁぁ……いや、それも面倒。欠伸が止まらん。そろそろ寝床に戻るとしよう。
「いやいやいや、まてぃっ! 勝手に帰るな、駄竜めがっ! まだ話は終わっていないぃぃっ!」
「お前、話す気ないだろ」
「貴様とは話にならんわっ!」
意味がわからん。会話が成り立たん。コイツどんな思考回路だ?
「……ならば再度訊くが、なぜ儂を追放するなどと思い至った?」
「それは無論、貴様の働きが悪いからだっ! 全くもって不足! 評価ゼロ! 加えて魔王様への不遜な態度! 査定マイナスだっ!!」
「働き? 儂は、や——魔王様の言葉通り、この国を支配している。人間どもには反乱の気配すらない。平穏なものだ。これのどこが悪いと?」
「わからんか、駄竜。いや、わからんのだろうなぁ、貴様程度では。くくくっ、くははははははははっ!」
いちいちイラつかせるな、コイツの言動は。
——消すか。
喉を震わせ、魔術の詠唱を含ませる。闇のブレスに魔力を重畳させて放つ、対象を塵芥以下にまで分離する技だ。これで壊せぬものはないと自負している。
「ま、待て! 話を聞かんかっ!」
どの口が言うんだコイツ。まあいい。収めてやろう。
「話せ」
鋭く睨みつけてやると、奴の肩がびくっ、と跳ねた。ふん、少しは正気になったか。
「……そういうところだぞだりゅうが」
「あぁ?」
呟きのつもりだろうが、逃さん。威嚇の唸りを響かせてやる。
「だ、だから……それ、だ」
「なんのことだ?」
「グリムワルド。我が魔王軍の、くっ……強大な竜よ。なぜその力を人間どもに使わん。きさ……貴方は、国を支配している、と言ったな。言いましたですな。それは結構です。だが、平穏、だと」
へりくだるか尊大に振る舞うか、どちらかにしろ。聞き苦しいわ。
「平穏など、魔王様の本意ではない、です。魔王様は……魔王様はっ! もっと! 求めているのだっ。人間どもの苦痛を! 怨嗟の声を! 呪いの如き負の感情を! それをなぜ成さん? きさ、貴方には、その力があるだろう?」
はぁ、そういうことか。コイツは根本から間違っているな。魔王がそんなことを考えるはずがない。儂と奴の関係はこの干物よりもずっと長いのだ。大方、聞きかじった奴の言葉を都合の良いように曲解しているだけだろう。
だからといって、魔王の本心をコイツに教えてやる義理などないがな。
「成程、貴様の主張は理解した。ありもしない前提を認めるのであれば、一定の納得もあろう。だが——」
目を細め、四天王を威圧してやった。
「それで追放だと? この儂を? それとも、未だ戦火の止まぬ前線にでも駆り出すつもりか? ——断る。儂はこの地を動かん」
「な、何を言う。これは四天王皆の——」
「見ろ」
視線を小屋へ移す。それは、我が寝床である洞窟の外部に建てられた、人間用の一軒家だ。その隣には重厚な祭壇が設置されている。
「何だ、これは?」
「かの王国の人間どもが造ったものだ。わかるか? 造らせた、のではない。奴らが自らすすんで造ったのだ。この儂————王国の守護竜グリムワルドのためにな」
「——っな!? 守護竜だとっ!! 貴様自らがそんな言葉を吐くとは、やはり本当に人間の側についたということかっ! それは裏切り! 魔王様と魔王軍への裏切りだあぁぁっ!」