九話 ラルサルト男爵領
大蛇の森の浅場に二人の男女が朝の支度をしながら話し込む。人族と魔人族、男と女。年齢以外何もかもが違う2人だ。
人族の若き青年ネイは魔人、赫目氏族の少女エシェに話しかける。
「エシェ、やはり君がずっと僕に着いていくことは難しい…と思う。僕は4年後には必ず故郷に帰らないといけない。
暫くの間共に行動することはできるが、ずっとは無理だ。だから同族を見つけたら僕と離れて、その人に着いていくことを薦める」
「…あなたの故郷に行っては駄目なのですか?」
エシェが小首を傾げながら質問する。
「僕の故郷は民の家族しか入れない。君が故郷に入るには僕の伴侶となるしかないんだ。それは君が望むものではないだろう」
「…はい」
エシェは何故か申し訳なさそうに呟く。
「だから旅の中で君の知り合いの魔人や赫目氏族を探しながら旅をしようと思う。君が信頼できる人がいたら僕の元を離れていい。御告げは生涯支えろとは言われてないんだろう?」
「はい。確かにそうですが…」
「まあ、ゆっくり考えるといいよ」
「そうですね。自分なりに今後のことを考えておきます」
「うん」
「話は変わるけど。エシェ、君は何か戦う術や技能はあるのか?」
「えっと、わたしは魔刻流ニ階邸まで昇階しましたが、師から剣術の伸び代はイマイチと言われていました。術は土が三階梯、氷を四階梯まで使えます。」
ネイはエシェを一瞥して、焼き魚に木串を刺しながら話を聞く。
「意外とできるんだね、もっと無力かと思ったよ。てかエシェって何歳なの?」
「14です。来夏に15となります」
「えっ、君14だったの? もっと小さい子と思っていたよ。そうか、同い年だったのか」
「え」
エシェは自分の身体とネイの身体を交互に見合う。
「え、ネイさん、14の歳なのですか。もっと大人かと…。些か自分の身体の成長速度に自信を失くします」
ネイはパチパチと音を立てて弾ける焚き火の炎にの付近に土盛りを作り、魚の串を差し込む地に立たせる。
「ネイさんは雷術以外に他に何かできるのですか?」
「僕は….剣は二つ程修め、上流階梯に至っている。槍と無手も一つずつ修め、上流階梯かな。
術は水が5階邸程。治癒、風、雷が上流階梯。火は得意じゃないが、火種くらいはなんとか」
エシェは眉を軽く上げ驚く。
しかし、特段驚いている訳ではない。ある程度は予想の範疇であったのか、ただ表情が乏しいのか。
「やはり凄いですね。人族の英雄エルザより強そうです」
「ありえないね。エルザは剣帝流の祖だ。勝てっこない」
「冗談です」
エシェは真顔で冗談を言ってくるため、気づくのは難しい。
「知ってる」
焼けた魚串に背嚢から取り出した塩を軽く振り、エシェに手渡す。
「てか、ネイでいいよ」
「ネイ」
「うん、それで」
二人は焼き魚から骨を取り、身を食べる。
黙々と食べる中、ネイは口を開く。
「嫌な質問かもしれないけど、僕も人だ。一緒にいて嫌じゃないの?」
「…気にしません。赫目族や他の魔人は分かりませんが、私自身は人族という種に恨みはありません。もし、貴方が助けてくれなければ答えは違ったかもしれませんが…」
「そっか」
時は昼頃。
土色の外套を着た二人は浅い森を進み続ける。
エシェはネイから代えの頭巾と外套を貸してもらい、着込んでいる。
少々少女の身体には合わず、ぶかぶかな状態で草道を歩む。
「直線に正道があります。人の気配はありません」
「わかった」
エシェを連れて旅する利点が早速発揮される。赫目はネイの観測術の先を見通し、素早く効率的に使用できる。
森を抜けると確かに正道があった。付近には魔除けの祠があり、馬車が擦れ違えれる程に道は広い。
正道を南向きに5刻も歩くと、豊かな林檎農園の景色が見えてくる。
所々に家屋が立ち並び、麦藁帽を被った農民達が赤く染まった林檎を収穫しているのが分かる。
道中に簡素な掘立て小屋があり、麦藁帽子を被る老人が林檎を販売していた。
「旅の者達、林檎はどうかね?」
ネイは品を見極めて二つ程購入し、その場を後にする。
「それはなんでしょうか?」
「林檎という果物だよ、魔大陸にはなかったの?」
「はい」
不思議そうに林檎を見るエシェに、先程購入した真紅の林檎をエシェに手渡す。
「そのまま食べれるよ。試しに食べてみなよ」
どこから食べればいいか迷いながら、遠慮がちに前歯で噛みつく。エシェは少し目を見開き呟く。
「美味しいです」
顔は変わらず無表情だが、外套の背が小刻みに揺れている。尻尾が反応しているということは舌に合ったのだろう。
更に一刻すすむと城壁が見えてくる。
ラルサルト男爵領。
八面体の石材製の城壁が聳え立ち、奥の小高には領主の館の一部が見える。
怪しまれると面倒になるため、城門手前からは仮面を外して行動をし、城門の検問並びにつく。
並びは僅かであったため、衛兵に大銅貨2枚を支払うとすぐに領内に入れた。
城門を潜ると、活気ある商店と酒場が立ち並ぶ。
林檎の名産だけあって、果物屋を多く見る。
大通りには他の建物と比較すると僅かに縦長の建物と教会が目立っていた。
──アミス聖教会や冒険者ギルドは矢張り、どこにでもあるんだな。
只管大通りを歩くと広場に着くと上部に巨大な鐘が付いた塔が聳え立っている。この鐘の音が時間を一刻毎に知らせてくれる。
ラルサルト男爵領はウォルトより活気がある訳ではないが、人の数はそこそこ多い。移民や流れ者が少ないせいか、穏やかな雰囲気が街に漂っている。
人の流動性が高いウォルトとは違い、多くの人が住みついている街だと感じる。
ネイ達は軽く街を見渡しながら、宿屋を探すことにした。比較的中流層の宿屋を見て周る。
「エシェは何処に泊まりたい?」
「わたしは何処でも大丈夫です。その、全部お金を払ってもらって申し訳ございません。必ず返します」
「いいよ、傭兵達が溜め込んでたから金はかなりあるんだよね。エシェにも後で渡すよ」
「ほんとにいいのでしょうか?」
「いちいち渡すのも面倒なんだ」
「ありがとうございます」
エシェの希望が無かったので、ネイの好みの宿を泊まることにした。
半刻程を街を歩き続け、大通り沿いの脇道に好みの宿を見つける。清潔感があり、人が多すぎず何より風呂が設備されている。
看板を見ると値段が高すぎず程良い。
ネイ達が宿屋の扉を開けると、小さな鈴の音が鳴り響く。
「いらっしゃいませ〜。お二人ですか?」
宿屋の娘が受付をしてくれる、
「はい。二部屋お願いします」
「一部屋で大丈夫です」
「一緒に寝るの嫌じゃないの?」
「大丈夫です。これ以上迷惑かけれません」
エシェは何か問題でもあるのかと言わんばかりに小首を傾げる。
──こっちが一緒じゃ困るんだよなあ。
ネイは女の子と部屋一つで暫く寝泊まりすることに気恥ずかしさを感じていたが、そんな気も知らずにエシェは一部屋を促してくる。
断固として断るのは申し訳ないため、一部屋で2つの寝台が用意されている部屋に泊まることにした。
部屋に入ると簡易的だが清潔感があった。寝台2つに机1つ、椅子2つ。
荷物を置いてお互いに旅の汚れを落とすために湯で汚れを落とすことにした。
エシェは川で軽く汚れを落としてはいたが、しっかり水を浴びるのは久しい。
「ネイ、よくじょうとは何ですか?」
「供用で入る風呂場みたいなものかな、汚れを落として湯に浸かる場だよ。赫目族にはなかったの?」
「私達は湖で汚れを落としていました」
浴場を説明すると、エシェの仏頂面がニヤけていたのだから相当嬉しかったのだろう。
風呂は一階にあり、供用で男女に別れている。
ネイはエシェと一旦別れて、男湯に入る。
脱衣所で服を脱ぎ、白い湯気が立ちこむ部屋に入る。
ウォルトと変わらず、二つの木製の大きな風呂桶に湯が入っている。
中にいたのは湯船に浸かる中年の男のみ。一瞬ネイの身体を見たが直ぐに天井を見上げ直した。
身体の汚れを布で落とし、香りが付いた油脂を髪に塗る。軽く湯で流して、緩い湯船につかる。
身体が温まり、疲労が抜けていく。
自然と顔をあげて天井を見つめて、物想いに耽る。
──魔人族を探すって言ったけどどうすればいいのだろう。街のギルドに顔を出して、情報を引き出せばいいのかな。
その後、暫く湯に浸かっていると上気せてきたのであがることにした。
部屋に戻ると、エシェが机に座っていた。
しかし、格好がいつもと違う。
粗雑な麻のパンツと上着ではなく、胸元が開いたウールのローブ。
座っているエシェの白い胸元から小ぶりな乳房が見えそうになり、目を逸らしながら話しかける。
「え、エシェ。その服どうしたの?」
「着替えの服が小汚かったので、宿の女将さんに取り上げられました。洗濯してくれるらしいです。代わりにこのばすろーぶ?というものを貸してもらいました」
「そ、そうなんだ」
「あんまり似合わないですか?」
「そんなことないよ。ただ、あんまりその格好で外に出歩かない方がいいよ」
「はあ、わかりました」
──明日はエシェの生活品でも買おう。
夕刻になり、宿屋で飯を出してもらえるらしく有り難く頂戴することにした。
メニューは1つ。牛肉の林檎酒煮込みと大麦パン。二人で黙々と食べた後、歯の汚れを落としたら寝台で泥の様に眠った。
翌日、昼前まで二人は寝入り騒がしくなってきた街の人の声で起きる。ネイは目を覚ますと隣の寝台ですやすやと寝ている。
ネイは少し大人びたカルネのような女の子が好みなのだ。しかし、女の子が隣で寝ていることは変な気持ちになる。
宿の裏にある水桶で顔を洗い、更に荒ぶる気持ちを鎮めるために軽く剣を振るう。
部屋に戻るとまだエシェは起きない。
寝台が気持ちいいのか、少々ダラシない顔で寝ている。
「エシェ、そろそろ起きろよ」
「んん、むにゃ」
「エシェ、ほら」
ネイがヒラヒラと動くエシェの尾を軽く掴むとパッと眼を開く。
目と目が合う。
「おはようございます」
「切り替えはやっ!」
エシェは不思議そうな顔をしながら、小さく「くぁ」と欠伸をしている。
「まあ、いいや。今日街で必要品を買いに行く予定だから」
「はい。すぐに支度をします」
昼過ぎに宿を出ると二人共お腹が鳴ったので、昼食をとることにした。
エシェはネイより街の景色や食事、建物、文化全てに興味を示し、ネイの袖をちょいちょいと掴み質問してくる。
「あれは何でしょうか?」
指差す先は
ネイは下界の人の文化や価値観は里で教えられていたため土台の知識があり、ラルサルト男爵領はウォルトと然程生活形態が変わり無い。
しかし、エシェはこのラルサルト男爵領が初めて見る人の街だ。何もかもが新鮮に映るのだろう。
大通沿いの食事が出る喫茶店に入る。2人掛けの席で燻製肉と目玉焼きをパンで挟んだサンドパンという軽食を黙々と食べる。
食べ終わった後に爽やかな味付けの紅茶を飲みながら、ネイは思い出したようにエシェに訊く。
「前に言ってた口元に傷がある人、それは多分ゴーラルっていう傭兵の隊長だよね」
「はい。両親の仇でした。死んでも彼だけは冥府に送るつもりでした」
「そうなのか、僕が先にやってしまって悪かった」
「…」
エシェは黙り込み、言葉を慎重に選んでいる。
「いえ、自分の手でと考えていましたが、難しいことは分かっていました。
なので、ありがとうございます」
「そっか」
「その…」
エシェは何かを訊こうと、口を開くが言葉に勢いがない。
「彼はどのような最期だったのですか…」
「僕が剣技でバラバラにした。最後は発狂していたかな」
「そうですか…」
「食事中に話す内容じゃないね」
エシェのその顔は喜ぶのでもなく悲しむのでもなく、ただ茫然としていた。
もしかしたらゴーラルへの復讐が彼女の生きる力の支えだったのかもしれない。
「エシェ、人生はこれからだ。僕達はまだ14年しか生きていない、先は長い」
「はい」
「僕はこれからの旅の食事を記録して書にするつもりだけど、君は何かしたいことはないのかい?」
「…少し考えてみます」
紅茶を飲み終えて会計を済ました後、外の大通りでエシェの生活品や旅に必要な物を購入する。
幾つか店舗を周り、必要品揃え終えると露店をぶらつくことにした。
2人して見慣れない装飾品や工芸品、珍妙な果物を横目で見ながら歩き続けると、エシェの一瞬だけ足が止まった。
エシェが注視する視線方向を見ると、雑貨の統一性の無い露店を見つける。用途不明な物から豪華な装飾品など様々な物が揃えられている。
「エシェ、あの店ちょっと見てかないか?」
「はい、いいですよ」
ネイはチラホラ雑貨を見ながら、気になった卓上灯や装飾品を手に取り触ってみる。
エシェを横目で見ると視線は一点に集中していた。彼女の瞳に似ている緋色の彫解櫛。
緋色の櫛は桜模様の彫りが入っている。上品で美しい。
「これが欲しいの?」
「欲しくはありません」
試しに髪串を手に取るとエシェの外套の背面が揺れ、尾が動いているのが判る。
髪串を売り場に戻すと、外套の背面の揺れが止まる。
──わかりやすいなあ。世の中の女の子は皆尻尾があればいいのに。
店主らしき老婆に話しかける。
「これいくらですか?」
「金貨1枚」
ネイは懐から銀貨を取り出し、老婆に渡す。
「毎度」
老婆は軽くお辞儀をして後ろを振り返る。
「エシェ、解櫛は買ってなかったね。女にとっては髪は命と聞く。これでいいかい?」
「こんなに美しいものを…。はい、ありがとうございます」
エシェは緋色の解櫛を見て惚けた顔をしながら大事そうに手のひらで包み込む。言葉は淡白だが外套の背面の揺れているのだから嬉しいのであろう。
その後ネイ達は軽く買い物をして、大通りを後する。
僅かに赤黄色に染まりつつある西空の陽が2人の影を形作る。
エシェは横目で隣にいる人に何かを問おうとしたが、言い淀む。
──ネイは何故、こんなに良くしてくれるのでしょうか。
エシェがネイに抱く感情は複雑だ。
幼児体型で女性的魅力は少ない。自分が幾ら必死に同行を懇願したとは言え、こんな風に扱ってくれるとは想像していなかった。
ネイから貰った恩を必死に返していくつもりでいたが、返し方が分からないでいた。
──わたしはどうやって彼に恩を返せば良いのでしょう。
エシェの視線に気付き、ネイが問いかける。
「どうかしたの?」
「いえ、何でもありません」
「そうなの? なんかあるなら遠慮なく言ってくれよ」
「はい」
2人は静かに宿へと戻るのであった。