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八話 赫い眼の少女



 朝霧に包まれ僅かに視界が冴えない大蛇の森中を颯爽と進み行く怪しき者。

その跡を必死に尾ける者がいた。


跡を追う者の背は5尺程、それは深き夜を体現したような可憐な少女だ。


肩までかかる夜空に吸い込まれそうな黒髪、空に映る赫い月を模倣したような瞳、夜煌めくに星屑みたいな白肌。


未熟な身体つきだが、街にいたら男達は少女の容姿の佳麗さに思わず振り返る。


軽く刺繍がある麻服を着込み、落ち葉を踏みしめながら必死にある黒仮面の人物を追う。



その人物は少女の地獄を終わらせた者。


その人物は少女の憎き仇を殺してくれた者。


その人物は隔絶した強さを持つ者。


その人物は少女にとって予言の者。




 四刻半程、跡を尾けて追いつこうと努力するが距離が全く縮まない。


赫い瞳で周囲と黒面の人物を"観測"しながら、只管に歩く。

疲労で脚は震えるが、歩みを止めない。止めたら少女は動けなくなる。




 暫くすると、唐突に赫い瞳から追いかけていた黒面の人物の反応が消失する。

少女の魔眼では写らない。



「えっ、…」

少女を突然の出来事に驚き、歩みを止めてしまう。進むべき方向は分からず、脚は限界を迎えて地にストンと尻から座り込んでしまう。


どんなに脚を叩いても立ち上がれず、痙攣を繰り返す。


「あっ」

少女は気づく。

赫い瞳で観測した蛇の魔物が此方をゆるりと迫っているのを。


森の木々を縫って現れた蛇は村で暴れていた大蛇程ではないが、少女を丸呑みすることは容易い。


体長は45尺程。媚茶柄蛇。

強力な毒を持つことで知られている。



疲労困憊、魔眼を使用しすぎて魔力は尽きた。


少女は死を覚悟する。

折角救われた命を直ぐに散らす。何と救い甲斐のない命。


動けない食料を見逃してくれるような奇跡は起きない。


目を瞑り、自身を産んでくれた今は亡き両親、姉のような存在であった従姉妹に祈りを捧げる。



 ──お父さん、お母さんそっちに行きます。マーシェ姉さん、先に逝きます。ごめんなさい。



「……………」



しかし、待てども少女に死は訪れない。


耳を澄ましても聞こえてくるのは森の木々が擦れる音のみ。


もう死後なのではと疑うが、魔人に伝わる"死後迎えにくる筈の黒き渡り鳥"は一向に訪れない。


少女は恐る恐る目を開ける。



眼前には媚茶柄蛇がいる。だが、蛇の体は頭から尾まで縦に別れていた。

蛇は少女の寸前の距離まで迫っていた。


しかし、既に蛇は死んでいる。二つに分かれた体からは臓物と血が地に溢れて出している。



 ──何故?



その答えは直ぐに解った。蛇の尾の背後に立つ追っていた頭巾と黒き渦巻きの面を被る人物。


少女の魔眼から消失したと思えば、何の予兆も無く唐突に目の前に現れた。


それは少女を地獄から救い出した人物。


「あ、ああ」

少女は虚な眼で黒面の人物を見上げる。


「何故僕を追っていたんだ?」


顔は見えないが、仮面の下は怒気に溢れている気がした。


「え…」


「助けたこと、後悔させないでほしい。敵に容赦はできない」


「ち、違います! 私は、私は」


少女は一連の突然の出来事と疲労で過呼吸になり、倒れ込む。そこで少女の意識は途絶えた。





 少女は久々に森の中で安らかに眠っていた。

鳥の囀りが耳に入る。目を覚ますと、其処は相変わらず森の中であった。

しかし、先程までいた場所とは違い森の木々は低く、霧は晴れて僅かに木漏れ日が入り込む。


赫い瞳で周囲を探ると魔物の類はいない。



 ──何処でしょう。ここは。



「目が覚めたのか」


「…。はい。此処は…」


「森の浅い場所だよ、君は極度の疲労により動けずに眠っていたから運ばせてもらった」


「何度も助けて頂きありがとうございます…」


「折角自由になれたのだから、命を無駄に散散らさないでほしい」


「ごめんなさい」


「で、何で跡を尾けていたの?」


「それは…」


「矢張り間者か、あいつらの仲間だったのか?」


 

「違います!マクレレ様に誓って」

少女は慌てて否定する。



ネイは魔人族のこの言葉の重みを知っている。


「じゃあ、何故?」


「それは…理由が幾つかあります」


「幾つか…?」


「はい。先ず、貴方は御告げの人であること。二つ目は貴方に口元に傷がある男の最期を聞きたかったため。三つ目は私に行く宛がないからです」


「御告げの人?」

ネイは首を傾げて問い直す。


「私の氏族の巫女姫が御告げを受けたのです」


「それが僕だと…?」


「はい」


「待って。全く理解が追いつかない」


「そうですか…」


「うん。だから、先ず君の名前から順を追って説明してくれ」


「あ、はい。私は魔大陸の赫目氏族、エシェと言います。父はケンシャ、母はラチェ。二人とも半年程前の帝国と聖国の連合軍が聖地マクレレへの侵攻し、その際の市街地戦で亡くなりました。赫目族は代々選ばれし姫巫女が赫樹と呼ばれる巨木を媒介として魔神様から神託を受けます。

昨年、私の従姉妹にあたるマーシェ姉さんが神託を受けています。神託の内容は『杜若色の瞳を持つ強き若者が魔大陸と中央大陸との諍いに平穏をもたらす』とのことでした。

 そして、私個人もマーシェ姉さんに導きをもらったことがあります。『危機に陥った時に強き者に助けられる。その者に支えなさい』と。

貴方の顔は窺えていませんが、目は杜若色の瞳です。そして何より私を地獄から救い出した強き者です。帰る場所も残されていない私は貴方に着いて行こうと判断しました」



「…。待ってくれ。飲み込めない」


「はい」


「つまり君は赫目族?という魔人で、その一族の姫が僕の瞳の色の強き者が平穏をもたらすと予言したと?

 そして、君は危機をを救ってくれた人に支えよと占われたということか」


「はい。概ね正しいかと」



ネイは顎に手を当てながら、少々考え込む。



 ──何だ、この怪しい神託は。樹を媒介なんて聞いたことがない。




「よくわからないが、訂正するべきことが二つかある。

 先ず一つ目は僕は自分の一族の掟で歴史に名を残すようなことに関われないから、戦を止めるような行動は多分できない。人違いだ。

 二つ目は君の危機はこれからも起こる可能性がある。だから、きっと僕ではない。それに、僕も君に支えられてらも困る」



少女はキッパリと断言する。

「間違いはないと思いますが。貴方程の強者は見たことがありません。かなり遠目からですが、貴方の実力は見えました。あの雷術は完全に五階梯を超えていました」


「六階梯の術なんて使える人は世の中にそこそこいるよ」


「いません。私の一族にもいませんでしたし、傭兵達の間でも見たことがありません」


「例え僕が占いの人だとしても、君を連れていく気にはなれない。足手纏いがいると旅が遅れる」


「決して足手纏いになりません。どうか、お願いします」


「いや、無理だよ。僕と君は赤の他人だ。旅ができる程、仲を深めていない」



「…。わ、私をもう一度鎖で縛っても…、か、構いません」

少女は自分で言った言葉に過去を思い出す。強い眼差しのまま、震えながら大粒の涙をこぼしそうになる。


「そんなことするつもりはない。尚更、足手纏いだ」


「…」


「例え占い人だとしても、何故知らない人に着いていける? 怖くないのか?」


「貴方は私を二度も助けてくれました。それは信頼に値にすると考えています」


ネイは更に頭を悩ませる。



「君はこの蛇の森でさえ一人で生きてけない。確かにこの森は危険かもしれないが、僕は此処より危険な場所に行くつもりなんだよ。君にはきっと難しい」


「それでも諦めません。私は貴方に着いていくしか道がないのです」



ネイはエシェのこの強い眼差しから頑固者だと悟り、呆れる。



「路銀を使って、魔大陸に戻りなよ。氏族がいるのだろう」


「銀貨は奴隷だった3人の娘に全て渡しましたし、赫目氏族は聖地マクレレ征服戦で散り散りになりました。今は何処にいるか…」


「はあ」


「?」


ネイは表情を変えずに小首を傾げるエシェを見て、頭を軽く掻きながら問う。


「君は僕が本気で姿を晦ましたら、どうするつもりなんだよ」


「貴方を追いかけます」

「無理でしょ、お金は?」

「街で稼ぎます」

「どうやって…?」

「そ、の冒険者とか」

「君が思っている程甘くないと思うけど」

「…。頑張るつもりです」



二人の間に拉致の開かない問答が続き、ネイは黙り込み考える。



 ──こいつは何故意地でも僕に着いていきたいのだろう。そもそも、何故着いて来れたのか。

観測術使いってことは判っているが、この距離から観測するとは…。




「君は観測術使いだよね?」


「観測術? えっと、『天遥眼』のことですか?」


「『天遥眼』って?」


「我が氏族の術の1つで、赫目に魔力を通して先を見通す力です。天から見たような視界で遥か先を見ます」


「実際どのくらい観測できるの?」


「四、五百町でしょうか」


「それは凄まじいね」



ネイは少女、赫目族の観測できる距離の異常性を知り驚く。

ネイは自身の観測術士として相当な使い手だと自負していたが赫目族はその倍の距離を見通す。



「あの、一つ質問なのですが」


「うん」


「わたしが貴方を観ていたら、突然観えなくなりました。何をしたのですか?」


ネイは木にもたれて、少し悩み誤魔化しながら答える。


「観測術は微力な魔力を体内から放出し、自身の魔力が物体に付着することで位置を把握する。君の目の能力は解らないないが、だいたいは同じ原理なんだろうね。魔力に無生物と誤認させれば掻い潜ることもできるんだ」


「そうなのですね。初めて知りました」


「で、いい加減諦めてくれないか?」


「それは難しいです」


「はあ。僕は助けた人が不幸になる姿を見たくない」


「…」


「もういい。日が暮れる。とりあえず今晩は休み森で寝よう」


「はい」



 2人は浅い森の少し開けた場で野営の準備をする。近くの枝を拾い、燃やして火を灯す。


ネイは背嚢から大麦のパンを取り出し、半分千切る。2つになったパンを棒切れに差し込み、千切った断面に乾酪を付けて火で炙る。


エシェがジーッと乾酪パンを見つめている。


「そんなに見なくてもあげるよ」


「いえ、見ていません。ですが、パンは頂戴いたします」


「そうかよ」


ネイは仮面を少しずらして、黙々とパンを食べる。


ちらりとエシェを見るが表情は変わっていないのだが、どこか嬉しそうに小さな口でパンを頬張っていた。


小動物のように頬張る可愛い姿を見ていると、食べ物をあげたくなる。


ネイは外套から干し肉を取り出し、エシェに手渡す。


「これも食べなよ」

「ありがとうございます」


赫目は確かに嬉しそうだった。



「ねえ、僕は大陸の情勢に疎いのだけど、何故カザビア帝国と聖国は魔大陸を侵攻しているの?」


「帝国の建前は聖地奪還らしいです。

聖地エルザ・マクレレは魔大陸の入り口にあります。そして其処は大昔の大戦で魔人族の王が亡くなった場所であり、人族の英雄エルザが亡くなった場所でもあります。

あの地にはお互いに占有したい大義名分があるのです」


「なるほどな。人族の英雄と、魔人族の王。人魔の大戦からの話か」


「そうです。聖地奪還に成功したガザビア帝国を筆頭とした4カ国の十字連合軍はそのままの勢いで魔大陸を侵略しています…」


「君の氏族は魔大陸北部の入り口、エルザ・マクレレ付近にいたの?」


「はい。しかし、1年前の進行で散り散りになりながら逃げていったと聞きます。場所は分かりませんし、帰ることは難しいでしょう」



エシェは俯きながら答える。


両親は死に、姉の無事も分からない。

同族の行き先も分からなければ、魔大陸入り口を帝国に占有されているため魔大陸に戻ることも困難。


「そうか、…辛いことを聞いたようで悪かったね」

ネイは同情の念を感じずにはいれなかった。


「いえ、大丈夫です」




 夜は深まり、赫い月が更に輝く。


「そろそろ寝ようか」

「はい」



ネイは魔物の気配を近くに感じると起きることができるため、エシェに夜番は不用だと伝える。


2人はそれぞれ木の根本に腰掛けて寝る。


エシェは僅かに目を開けてネイを見張り続けていたが、一刻程経過するとエシェの寝息がすぅーすぅーっと漏れ始める。


寝静まったタイミングを見計らいネイは静かに腰を上げて、足音を消しながらその場を去ろうとする。



「待って」



エシェの声にネイの心臓は大きく跳ね上がる。振り返るとエシェは木にもたれ、静かに寝ている。


「行かないで、お父さん、お母さん」



只のエシェの寝言であった。しかし、彼女は涙を流しながら寝ていた。


若い少女が戦争で家族を失う。世ではよくある話であり、所詮は他人事。気に留める人は少ない。


しかし、人との関わりの極端に少ないネイはこの程度の関わりで少女に情が湧いてしまっていた。



夢の中でも涙を流し、傷つきすぎた少女を森に置いていき、魔物の餌や荒くれ者達の奴隷などにできるのものか。否。



そっと頭を撫でて、土色の外套を被せる。



 ──さすがにこの子が荒くれ者にまた捕まって、悲しむ姿は見たくないな。



ネイは再び木に腰掛けて眠りにつくのであった。




 

 翌朝、エシェは目を覚まし、飛び起きる。

昨夜と変わらない光景。浅い森の中で木漏れ日が差し込み、地には焚き火の火は消えて炭屑が散らばっている。


仮面の人物に置いて行かれないように徹夜して見張るつもりであったが、疲労により深く寝てしまっていた。


自分の物ではない土色の外套が被せられていた。何だが落ち着く匂いで、守られている気持ちになる。



周囲を確認すると其処には誰もいない。


「置いていかれたのですか…」


俯きながら涙を流しそうになると、背後の森奥から声がした。


「起きたのか」



それは何処かで聞いたことがある声。


エシェは少し考え、思い出す。

黒仮面をつけたあの人に似ている。

しかし、あの人に似ているが、少し違う。

籠った声ではなく、透き通った声。



「まだ、寝てるの?」


立ち上がり、振り返ると後ろにいたのは見慣れない少し長い綺麗な白髪を真ん中で軽く分けた整った顔立ちの美青年。


髪が少々水に滴っており、垂れ下がる髪が色気を醸し出されていた。




エシェは突然目の前に現れた見知らぬ人物に混乱する。



「…どちら様でしょうか?」


「えっと、僕だよ。って名前言ってなかったか」


白髪の青年は頬をぽりぽりと掻きながら、はにかみ答える。それは荒くれ者達を伸した黒仮面の人物とは全く違う人に見えた。


「仮面の中の人、名はネイ。近くに小川があったから魚を獲ってたんだ」



エシェは心の底から驚き尾をピンッと上に跳ね上がらせ、久々に顔から笑みが生まれたのであった。




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