七話 怨念の地
村の中心から少し離れた家屋。脆い木床の下にある倉庫には捕らえられた少女が大粒の涙を流しながら転がされていた。
背は5尺程であり、小汚い格好で繋がれた鎖が彼女が奴隷だと示している。
ネイは彼女の整った容姿に呆気にとられる。
肩までかかる黒髪に紅き月光に反射して輝く陶磁器のような白肌。鼻立ちは高過ぎず程良く整っている。
赫い月のような大きな瞳は神々しさをも感じる。
その眼差しから垣間見える強烈な怨讐の念。
尾骶骨から生える矢型の尾。
身体的特徴から魔人族であると理解し、遥か遠くの地に連れて来られた少女に同情の意を憶える。
ネイは床下に降りて少女の簡易な猿轡を外し、問いかける。
「君も被害者だったのか…」
少女は無表情だが、身体は正直で怯えた野良猫のように警戒をしている。
──人族語が喋れないのか。
ネイは魔人族語で語りかける。
「『君はあの糞男共に捕まったのか?』」
「あの、人族語喋れます」
「そうなのか…」
「私はあの人達に捕まり奴隷となった魔人、赫目氏族の者です」
「じゃあ、仲間とかではないんだね」
「はい。貴方はその…仲間ではないんですか?」
「断じて違う。僕は彼らを殺す、1人残らずに」
漏れ出る殺気に少女は再び身体をビクつかせる。
ネイは無残な姿になった茶髪の女の死体に目を向けて、手を合わせて祈る。
「この女性は間に合わなかったか、ごめんな。君も浄土から見ていてくれ」
近づき、優しげな触り方で女の死体の瞼を下す。
魔人族の少女はネイの怪しげな格好や、先程の濃密な殺気に警戒しながらも、祈りを捧げる丁寧な仕草に見入る。
ネイは土色の外套を翻して、少女の身体を隅から隅まで見る。
少女は一瞬先程の男達の視線を思い出すが、そこに卑下な視線はなく何かを調査するような眼差し。
「腹部が痛むのか? 呼吸音からして肋骨が怪しいね」
「…。は、い」
「お腹を診してくれたら治癒術を使用できるがどうする?」
魔人の少女は今更腹部を見られて恥ずかしがるような気持ちは消え去っていた。
商品奴隷のため、今まで乱暴などはされなかったが奴隷として粗雑な衣服を着用していたため、男達に常日頃から股座をジロジロと眺められていた。
「…お願いします」
「うん」
少女が繋ぎ服は下から捲り上げると、腹部は青黒く腫れ上がっていた。軽く触れて痛みの反応を確認した後、治癒術を使う。
魔力を左右両方の手の平にかき集め、重ね合わせる。「『鎮青』『再着』」
2色の泡沫状に淡い光が生まれると、少女の腹部の腫れが引いて青痣も白肌へと戻り始める。
「じっとして」
「えっ…」
外套に隠れていた白刀を抜き、少女を縛っていた鎖と足枷を断ち切る。
驚いた少女は後ろに転がるように尻餅をつく。
「よし、じゃあ僕は殺しに戻る。君はこれを持って逃げるといい」
少し重みを感じる小袋を少女の手に渡す。
少女は中を確認する。
「え? これは銀貨…ですか?」
「さっき殺した屑の物だけど」
「はい。その、ありがとうございます。」
「…。まあ、僕の目的は屑を全て世から消すこと。君を助けたのは次いでなんだよ」
「…。それでも助けられました。ありがとうございます」
感情表現に乏しい少女の顔にも安堵の様子が見える。
「うん」
玄関口には疣男が死体が横たわり、少女はぼんやりと彼の顔眺める。目は見開き、驚きの顔をしながら息を引き取っていた。
少女はこの謎の人物が助けてくれなかったらと考え、ゾワッと悪寒が走る。
2人が家屋を出ると村の中心から火の手が上がり、一体の巨大な大蛇が暴れ回っていた。家屋は倒壊し、人が潰された痕跡が多々。
「何ですか…これは?」
「森にいた大蛇を刺激して村に呼び寄せた。今は傭兵を食べ回っているのかな?」
耳を澄ますと飛び交う人の悲鳴、荒れ狂う大蛇の怒り声が聞こえる。
少女は同じく囚われた人族達を思い出す。
「あの、まだ隣の倉庫に彼らに捕まり、奴隷となった方がいます…」
「そうか、なら鎖を断ち切ろう」
隣の倉庫に入ると刺激臭が漂い、檻車に乗せられた3人の少女がいた。見目は皆麗しいが、それより身なりの汚さが目立つ。
髪は油分が足りず乾燥し、着衣している粗雑な繋ぎ服は所々破けている。
3人は絶望の眼差しでネイを見ながら、小刻みに震えている。
1人ずつ順番に鎖と足枷を断ち切り解放すると、何が起こっているのか検討もつかない顔をしていた。
「君達を拉致した傭兵達は次期に皆死ぬ、君達は村を出て街道に行きウォルトなりと何処へでも行けばいいさ」
解放された3人の少女達は突然の事態に理解ができずに混乱し始めるが、魔人族の少女が村で起きている出来事を説明し始めた。
次第に涙を流し嗚咽を漏らしながら、喜び始める。
ネイは洟を出し全力で泣いて喜ぶ3人を見て、より一層傭兵達を殺す覚悟を決める。
──許してはいけない。必ず。
5人を連れて倉庫の外に出ると、家屋を焼き尽くす火は更に燃え広がっていた。
解放されたばかりの3人の少女は外の事態を説明されたとはいえ、この世とは思えない燃え盛る炎と大蛇に驚愕する。
そんな彼女らを横目にネイはポツリと呟く。
「そういえば、隣の家屋には衣服が残っていた。着替えてから出るといいよ。今の格好よりは少しは良いと思う」
4人の少女は自分達の見た目を見て、衣服の匂いを嗅ぎ始めると、顔を朱に染める。
表情が乏しい魔人の少女でさえ、頬を赤らめていた。
恥の感情が芽生えることは人間らしくいるための必要なものである。
彼女らはこれから奴隷となった過去を忘れ、恐怖以外の欠落した感情を取り戻し、普通の人間として生きていかなければならない。
ネイが背を向けて去ろうとすると魔人の少女がチョンチョンと背を叩き、呟く。
「本当に逃げないのですか?」
「この屑達が逃げたら、また何処の村を襲う。世の中にはこんな奴ら溢れ返る程いる。けど、自分が手の届く範囲にいる屑は駆除することにした」
少女は黙り込む。
「…」
3人の少女達もネイに視線を向けている。怪しげな面の人物でさえ頼りたくなる程、女子4人だけでは心配なのであろう。
「街道で馬車を見つけて金を渡せば街までは届けてもらえる筈。その小さい黒髪さんに銀貨を渡しているから、皆で分けるといい」
不安な彼女達に今後も頼られ続けるの御免である。そこまでの義理も責任は無い。
何時かの貴族達に引き留められ続けたことを思い出し、そそくさとその場を後にする。
ネイは大火の中心地に赴くと、人の声が聞こえないことに気づく。
相変わらず、大蛇が中心に丸くなり佇んでおり。暴れてはいない。腹が膨れており、消化に勤しんでいる。
──全員喰われたのか?
観測術を使用して、辺を探ると村の離れにある小高に一際立派な家屋に何人か生きていることが判る。
「17人…か」
小高を上り人が集まる家屋の庭まで近づき、風術『音盗』で声を拾う。
「急げ! 早く! あれに気づかれたら終わりだ、さっさと荷物を積めてずらかるぞ!」
「糞、一体どうなってやがる! 大蛇なんて出やがって!」
「蛇神様の祟りじゃ! 言ったであろう。この地は大蛇様が住む森。大蛇様がお前らみたいな屑共らをあの世に連れていくために殺しに来たのじゃ!」
「誰かこの五月蝿いボケ村長を殺しとけ。もう用はない」
「ははは!獄に落ちろ屑どもぉ…」
スパッと皮膚を斬る音と何かが噴き出る音がした。
ネイは盗んだ僅かな声から状況を整理する。
──今すぐあいつら逃げるつもりなのか。
観測術を再び使用して家屋内の生命の人数を確認する。1人減っていた。
おそらく使い道が無くなった村長を殺したのだろう。
「屑が。今すぐ踏み込むしか…ないよな」
ネイは家屋の近くに立ち、大技を放つ準備をする。普段から練り上げている魔力では足りないため丹田から追加で補充する。
練り上げた大量の魔力を空気中に霧散させて天へと送る。
次第に集積し始めた雲は小さな積乱雲となり、神の怒りと思えし雷音が村中に鳴り響く。
「『轟怒』」
集積した積乱雲から幾つもの雷が小高の上の家屋に降り注ぐ。
家屋を貫き、蒼い電流が走る。家屋を炎上させると人の苦しむ呻き声が聞こえ始めた。
燃え盛る炎は家屋の至る所に移り、広がりを見せる。
少しすると、生き残っていた者が家屋から飛び出し、ネイの方向に一直線に向かってくるのが音で判る。
「隊長あっちから強い魔力の反応がありやした!」
──敵に観測術士が生き残っていたのか。
此方に気づくと鬼の形相で睨みつけてくる。人数は5人。
剣を構えて此方を逃がさないように後方以外を囲みに入る。前面に2人。左右に2人。
ネイは逃げも隠れもせずに傭兵達の前に出る。
右口元に切り傷がある隊長と言われていた鋭い目に皺がよる中年の男が部下の背後から話しかける。
焦茶の髪、肌は日焼けにより薄黒い。背は6尺半、大柄で屈強。
「おい、誰だお前。何処から来た。村の生き残りか?」
「違う」
「お前があれをやったのか!?」
「あれとは?」
「恍けるなよ。雷落としだ」
「ああ、そうだよ」
「巫山戯るな!! 糞野郎!」
「……」
「何故だ? 村に知り合いでもいたか? いや理由はどうでもいいか。今から殺す。殺す前に只管手足を刻み、四肢を奪い顔を剥いで焼く。腹から腸を引きずり出してお前自身を結びつけてやる」
「何故、お前達はただ人を殺すだけでは満足できない?」
「五月蝿い。これから死ぬのだから」
「答えてよ」
圧の強いネイの言葉に気圧され、男は自然と答える。
「弱者を痛ぶることがおれの趣味だ。苦痛で、歪む顔を見ることができるのは強者の特権だ」
「そうか、やはり殺したことに間違いはなかった」
「舐めた口を!」「糞がぁ」
左右にいた2人の男が即座に襲いかかる。左は上段に構え切り下ろし、右は中断から斜めから斬り下ろす。
ネイは容易く見切る。
僅かに剣速が速い右側の剣の腹を右手の甲で受け流し、左側の剣を身体を半歩ずらして避ける。
そのまま両手を雷で纏い、流れるように右手の手刀を右側剣士の心臓部に差し込み、振り向き様に左手の指先で喉元を掻っ切る。
続け様に前面にいる2人が襲いかかる寸前に隊長が静止を指示する。
「待て。お前達では敵わん。おれがやる」
隊長と思われし男が前に出る。
「剣帝流 五階邸 ゴーラル」
「…」
「名乗れ」
「馬鹿か。屑共に名乗る名は持ち合わせていない」
ゴーラルがこんなにまで侮辱されたのは初めてであった。戦場に赴き、名乗ると皆が口元の傷を確認し、恐れる。
かの傭兵王と何十合も打ち合い、引き分け仲間となった話は巷で有名である。
ゴーラルは怒りのままに右手から頭部を狙い剛剣を振り下ろす。その速度はアルリエより速く重い。
ネイは僅かな動きで紙一重に剣を躱すと剣をゴーラルの右腕を手刀で落とし、腕から血が噴き出る。
ゴーラルの長剣を握る手が地に落ち、カランと音がする。
「隊長!!」「ゴーラルさん!」
「四肢を切り裂くのが趣味だっけ?」
ネイが煽るような口調で問いかける。
ゴーラルの前に出て慌てて襲いかかる2人の喉元を右手の手刀で掻っ切る。
2人から噴き出す血がゴーラルの頬に着く。目の前の光景を信じられない顔をしている。
ゴーラルは半狂乱になりながら小剣を懐から左手で一つでネイに迫る。
それは剣士の踏み込むなどではなく、猪の突進。
「はあああぁぁぁっ」
「さようなら」
外套を僅かに捲り、腰に差している白刀が露わになる。
居合で抜刀された刀はゴーラルの身体を斜めに三つ切りにし、四つの身体が地にバラバラと倒れ込む。
『三殱』
龍社護流、初伝の剣技。
太古に龍が三つの鉤爪を振り下ろす様を剣技にしたもの。
ネイはゴーラルだった四つ切れの物を見下ろし、呟く。
「わざとではないが、バラバラが好きな彼の最期がバラバラとはな」
ネイは不得意な火術で火種を生み、5人の死体を燃やしておく。そのまま火が広がる立派な家屋の中に入ると焼け焦げた死体が散乱していた。
部屋の様子からして傭兵団達が慌てて逃げる準備をしていたのが解る。
裏庭に用意された数台の馬車。木床に散らばる槍や刀剣の類。慌てて木箱に詰め込まれた財貨。
木箱の中身を見ると、金貨と銀貨、宝石の類いが大量に詰め込まれていた。
馬を解き放ち逃した後、金貨と銀貨を少々いただき他の財貨はは高台にある木の下に埋めた。
ネイは大火に包まれた村と腹が膨れて寝ている大蛇を見て、自分のしたことが正しいのかと悩む。
取り急ぎ大蛇に森へお帰りしてもらうために、ネイが壊した魔除けの祠を修繕しに村と森の境目に赴く。
道中の雑木林斬り殺された親子の死体を見つける。父が息子を庇って亡くなったのが見てわかる。
──あんな屑の傭兵共にも家族がいるのかもしれないと考えると辛いな
悪は滅ぼした。弱きを救った。
人を殺すこと自体に正しさはないことはネイも理解はしている。
しかし、あの傭兵団はどうだったのか。街を焼き女を攫い、嬲る。男は四肢を切り裂く殺す。
これでは小鬼と何が違うのだ。
そんな奴らが街道をのうのうと歩き、人間を称している。
殺したことに間違いはなかった筈。
例え家族がいたとしても人の不幸で成り立つ幸せはあってはならない。
暫く悩みながら魔除け祠を直し続けた。修理を終える頃には夜が空けていた。
大蛇が深き森に帰り、山間の隙間から現れる朝焼けの景色が争いの終わりをつげるように感じた。
ネイはこの村で数々の怨念と腐り切った戦士達、凄惨な姿になった死体を見たことで龍山の時に受けた修行より精神は疲れ果てていた。
強烈な怨念が染みついた土地。
疲労を感じようが此処にいたら陰鬱な気持ちになり続けると考え、すぐに村を発つ。
******
『クレモルト王国回顧録』 -8章怪事件集- 著 ロマーノ
紅歴876年
クレモルト王国のウォルトからラルサルト男爵領へと長く続く正道の脇にある小さな村が一夜にして滅びた。
村に残っていたのは、身元不明の僅か焼死体と焼け焦げ倒壊した家屋のみ。
唯一の手がかりは村の高台の地に刺し込まれた剣。正確にはその剣の柄に貼られた一枚の文書である。
[資料①]
_______________________________________
帝国から来シ傭兵達、村を襲イ民皆を殺ス。
これ世に在ってはならヌ事。
森の大蛇の怒リに触レタ傭兵皆、大蛇の餌と成ル。
_______________________________________
巷でその噂は広がり、尾鰭がつき悪い子は大蛇に食べられると専ら噂される。
冒険者ギルドが森に調査に向かうと、強力な蛇種が多く存在することを確認し、世に公表した。
その森は人々に大蛇の森と称され、後に冒険者ギルドで公式に命名。そして、一般人は大蛇の森に入ることを禁じられた。
〈参考文献〉
資料①
クレモルト王国王立図書出版, 『北部事件簿』, 紅歴869年8月, p52-53