十話 赫い目の魔女
ラルサルトに到着して十日が経った。
この十日の生活は概ね変わらない日々を過ごしていた。
ラルサルト特有の田舎染みた食事や林檎酒を嗜みながら、武技の修練をしていた。エシェにも少々稽古をつけていた。
エシェの戦闘の筋は良く、俊敏に動きながら力強く繊細な氷術を扱う。特に地から巨大な氷の花が開く『雹仙花』は並の者では一撃必殺の技となる。銅等級の者には遅れはとらない筈。
また、エシェは剣術の伸び代が無い訳ではなく、今まで剣の長さや重さが身体に会わず、バランスが取れなかったのだ。試しに刃渡の短い剣を渡すと動きが良くなった。
しかし、短剣は剛剣を売りとする魔刻流の間合いでは無いため結局エシェは剣術を使えなかった。
実力を確認した日の翌日、エシェを冒険者登録をするために、ギルドに赴くことにした。それは単にエシェの収入源を確保だけではなく、魔大陸の情報を得るためだ。
ギルドには多様な人が集まるため、魔大陸の情勢、魔人族の情報を知る人がいても不思議ではない。聖地エルザ・マクレレを十字連合軍に占領されているとは言え、戦の情報は感染病のように世に出回る。
因みに腕っぷしの強さが身分となる冒険者ギルドは当然ながら、クレモルト王国全体も魔人族差別に関する法律を施行していない。この事実にはエシェのみならずネイも驚いた。
800年以上前の人魔大戦からの偏見が残り個人間の差別はあるが、カザビア帝国やアミス聖国のように悪魔と称して明らかに敵対する行動は無い。
街の大通り沿いにある冒険者ギルドに赴く。中に入ると両手で数える程の冒険者しかおらず、ギルドが広く感じる。
昼間から暇そうに酒を飲む、荒くれ者達が此方をチラチラと覗き見るが絡んでくる者はいなかった。
ギルドの嬢が正面奥の受付に立っているため、其方に真っ直ぐ向かう。
「こ、こんにちは。冒険者の方でしょうか?」
受付嬢は2組の仮面の姿を見て戸惑うが、ネイが銀色の腕輪を見せると態度を改め一礼する。
「この子の冒険者登録をお願いしたいです。後、魔大陸の情勢に詳しい方はいますか?」
「登録の件、了解しました。魔大陸ですか…。現在、ラルサルト支部ではあまり冒険者の方が寄りつかなくなってしまったので…、恐らく遠方に詳しい方はいらっしゃらないかと」
「何故冒険者の方がいないのですか?」
確かにギルドは閑古鳥が鳴いている。好奇心からネイは受付嬢に問う。
「一週間程前からラルサルト付近の北の森で大蛇が発見されたと噂されており、冒険者達は近づきたがらないそうです。本当かどうか怪しい噂なのですが…」
「へ、へえ」
「一応ギルドも北の森での活動を控えるよう通達しているので、今ある依頼は旨味が少ないものばかりなんです。はあ…」
ネイはため息をつくギルドの受付嬢を見て、世に対する忠告のつもりで置いてきた文書が騒ぎの原因になっていることに申し訳なさを感じると同時に、考え無しに馬鹿なことをしたのではないかと悔いる。
「そうですか、とりあえず登録だけお願いします」
「わかりました」
エシェの登録だけは直様完了したが、飛び級はできなかった。銀等級冒険者が居らず、試験官の役目をこなせる者がいなかったためだ。
身内扱いのネイは勿論試験官になれない。
そのためエシェの飛び級試験は一時保留となった。
暇つぶしに数少ない依頼を受注しようかとギルドの依頼掲示板を眺めるとどれも雑用ばかりであり、一向に気が進まない。
「鼠駆除に林檎農園を襲う害獣駆除か…。どれも報酬が少ないな」
ネイ達が暫く掲示板を眺めていると、小汚い外套を被った禿げかけた中年男がネイに話しかける。身体の線は細く、目は鋭い。
「黒仮面のおめえさんか。魔大陸の情勢が知りたい奴は」
「ええ、貴方は?」
「情報屋キルギヌ。特に何が知りたい?」
「ええっと、連合軍の侵攻、魔大陸への抜け道、赫目族の居場所ですかね」
キルギヌは頭を掻きながら暫くぶつぶつと呟いた後、一言告げた。
「なるほどなあ。少し情報を仕入れてくる。夕暮れに酒場アルガナに必ず来い」
キルギヌは言い残した後、ギルドを急いで飛び出し何処へ行ってしまう。
「何だったんだ…」
夕暮れ時、街に明かりが灯り始めた時、ネイは1人でに街を闊歩する。
酒場アルガナはラルサルト領の南側の歓楽街の外れにあった。夜道は危なく人攫いが絶えないため、小柄なエシェは留守番をしてもらうことにした。
魔灯の燃料である赤魔鉱石の寿命が切れかけ、辺りは薄暗い。店は入り組んだ小道沿いにあり、ギルドの嬢が教えてくれなければ、永遠に迷っていただろう。
中に入ると、人は2人しかいない。酒場のカウンターに立つ店主と奥に座るネイを呼んだ怪しげな鋭い目の男。キルギヌはこっちを見てニヤけながら話す。
「よく来たな」
「来いと言われたので」
「冷たい返事だな。何飲むんだ?」
「林檎酒で」
キルギヌがネイの林檎酒と共に麦酒を店主に注文する。直ぐに注がれて卓に出された林檎酒はどういう方法かひんやりと冷えていた。
黒仮面をズラし、ラルサルト産の林檎酒を喉に流し込み、軽やか味わいと僅かな渋みが喉を潤し、林檎の香りが口に溢れる。
情報を聞くことを忘れそうになるが、気持ちを切り替えて、キルギヌに問う。
「んで、情報はあるんですか?」
「金貨1枚。いや、金貨1枚銀貨2枚かな」
ネイは交渉などせずに、懐から要求された金額を出す。
「まいど」
キルギヌはニヒルな顔で金を仕舞い込む。
「で、早く教えてくれ」
「侵攻は魔大陸北部のダラハルタ地区で止まりつつある。理由は2つ。一角族、凶烙のガルダが魔人族を纏め上げ戦線を押し上げ始めたのと、アミス聖国の方でも魔人族との共存派と撲滅派に別れて国が少し荒れ始めている。
魔大陸の抜け道はなあ…南方諸島国ザンバニアから大南海を抜けて魔大陸中部までの輸送船があるらしい。まあ、その輸送船をやってるのが南方の新鋭ガルシア商会らしいがこれは秘密らしい。十字連合軍に目をつけられたら厄介だからな。
赫目族は居場所は…わからねえなあ。そもそも知ってる奴が少ねえ。まあ、クレモルト北部で緑我族を見た奴はいるとかは聞いたが」
ネイはキルギヌの情報量に素直に驚く。
「情報屋ってすごいんですね」
「舐めてもらっては困る。黒仮面の銀等級冒険者、ウォルトの街を騒がせたそうじゃねえか」
「騒がせたつもりはないんですけど。そんなことまで知ってるんですか」
「情報は命。俺らはこれを売って生活してるからな」
「へえ」
「魔大陸の軽い情勢は暫くしたら掲示木版に貼られるから大した情報じゃないがな」
「掲示木版?」
「おめえ、そんなことも知らねえのか?」
「はい」
「掲示木版は自由都市マーシアの"中央大陸上梓社"が都市で公開掲載している木版だよ。都会に住む奴で知らねえ者はいねえ。王都近辺の伯爵領には必ずあるな」
「そうなんですね」
「余程田舎から来たんだな」
「まあ、そうですね。そういえば、僕が魔大陸の情報を欲しがっていることは受付嬢さんから聞いたんですか?」
「それは言えねえが、ギルドに話した情報はギルド内で共有されるぞ。気をつけろ」
「なるほど」
「とりあえず、おれが知っていることは以上だ。また何か知りたかったら教えてくれ。暫くこの街にいる」
ギルギヌは卓上に銅貨を8枚程置き、その場を去っていく。ネイも店主に会計をお願いして、店を出ることにした。
店を出ると日が沈み、街が魔灯により光り輝いている。腕に手を絡ませてくる娼婦を避けつつ、宿へと向かう。
自室に戻るとエシェはまだ起きており、本を静かに読んでいた。街で買っていた"中央大陸冒険記"だ。
「おかえりなさい」
エシェの表情はピクリとも変わらないが何処か優しく感じた。
「意外といろいろ知れたかも」
「胡散臭い方でしたので、情報も怪しく感じます」
「どうだろう、とりあえず聞いたこと話すよ」
エシェの反対側の椅子に腰掛けながら、連合軍の侵攻や魔大陸への抜け道、赫目族の居場所などを椅子にギルギヌに聞いた通りに話す。
「赫目族の居場所はわからないのですか」
「うん。ごめんね」
エシェの少し悲しそうな姿にネイは申し訳なくなり俯く。
「いえ、わたしのためにありがとうございます。謝らないでください。
赫目族は仕方ないことでしょう。滅んでいてもおかしくありません。それにしても凶烙のガルダですか、一度だけ見たことがありますが恐ろしい方でした。魔刻流七階邸と噂を聞いたことがあります」
「何で凶烙って呼ばれてるの?」
「全身に墨が入っているからです」
「なるほど」
ネイは口元に手を当てながら、提案する。
「暫くは南方諸島を目指してみる?魔大陸への船もあるみたいだし。もしかしたら、南方諸島近くには魔人族が中央大陸に上陸してるんじゃないかな?」
「そうですね、ネイさえ良ければそうしたいです」
「うん。南方の果実、甘蕉もう一度食べて見たかったんだよね」
「甘蕉?」
「そうそう、砂糖を使ったみたいに甘くて美味しいんだ。エシェもきっと好きだろうな」
この数日の食事でエシェの好みが知れた。辛い物と甘い物、両極端に位置する2つの味覚が好きなのだ。
魔大陸の料理では香辛料が豊富に使われているらしく、辛味がある物を好んで注文する。
そして、今まで甘い物を殆ど食したことが無かったエシェは茶屋に出た焼き菓子に感動して甘党になっていた。
砂糖と聞いたエシェの尾が揺れている。
「砂糖…なるほど。ネイ、すぐに南方諸島に行くべきです」
「いや、この街からだと大分遠いからね…」
「なら、早く準備をして南に向かいましょう」
「エシェ、食い意地張りすぎだよ」
「張っていません。食への探究心です」
「はいはい。まあ、やる事もないしの街もそろそろ出よう。南に行くのなら王都から延びる正道を使った方が楽そうだし、一度王都に寄って南向かおうかな」
「賛成です。…そういえば、前から気になっていたのですがネイは何故魔人族語を喋れるのですか?」
「あー、僕の知り合いに魔人族の人がいて教えてもらったのさ。流暢には話せる訳ではないけど」
「知り合いに魔人族の方がいるのですか?」
エシェは大きな瞳をより開き、身体を机の前に乗り出す。
「知り合いというより、親戚かな。祖父の妹の息子の嫁さん。生まれてきた子は混血の血だね」
「身内に魔人族がいたのですか?」
「うん。黒翼族だっけ、背中に羽が生えてるよ。まあ、もう黒翼族とは縁が切れているらしいけど」
「黒翼族の方ですか、あまり親交をありません、西派の方でしょうか」
「西派って?」
「魔大陸には派閥があります。山脈の堺に西派と東派と。西派閥は魔大陸保守派ですね、人族と交易をせずにひっそりと暮らします。東派は魔大陸急進派です。人族の文化を受け入れつつ強き大陸へと発展させようとしています」
「へえ、魔大陸も割れているんだ。赫目族はどっちなの?」
「氏族は中間派です。居住地も北部、山脈の真ん中にあるので。でも、聖地マクレレに居住している者も多かったので東派閥とも言えます」
「そうなんだ。じゃあ、人族と戦っているのは西派なの?」
「おそらく違います。東派が多数でしょう、侵攻されているのが東派地域です。西側には砂漠を越えないと行けませんし」
「なるほどなー。魔大陸の情勢が何となくわかってきたかも」
真面目な話をした後暫く談笑した後、2人は寝床に入る。ネイはすぐに寝入ったエシェを横目で見る。
エシェの眠りに着くのは早い。朝は苦手であり、ネイが起こさないと一生眠っていそうである。
最近は隣の寝台で寝ていることに慣れてきた。
睡眠好きで頑固者。甘い物と辛い物に目が無く、仏頂面だが優しく清い心を持つ魔人族の少女にネイは家族愛に少し似た感情を抱いていた。
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ネイ達がラルサルトの街に滞在していた頃、クレモルト王国北部地域にあるカルビロン伯爵邸の上階の一室でソファに腰掛け葡萄酒を飲みながら、悪巧みを考える者が2人。
1人は鋭い目付きに顎髭を生やした小太りの中年、城主のカルビロン伯爵。
2人目は黒い絹帽を深く被る女。名はラルジェ。少々厚い唇、肌は白く赫い瞳を持ち長い黒髪を団子結びにしている。黒い外套を着込み怪しげな様子だが減り張りのある身体の線は隠せていない。
カルビロン伯爵は険しい顔付きでラルジェに問う。
「ラルジェ、これで本当にうまくいくのか?
「わからないわ」
「なに?奴はいつ死ぬのだろう。この前そう言っていたではないか」
「昨日星を占ってみたら変わっていたわ。強い運命を持つ者がオルブライト伯に接近しているの。運命が変わりつつあるわ」
「巫山戯るな!!もう時間がないのだぞ!」
焦りを募らせているカルビロン伯爵は勢いで強く言ってしまう。
「本来ならあと1ヶ月でオルブライト伯の命は朽ちる筈なのに…。可笑しいわ」
ラルジェは不思議そうな顔をした後にくすりと笑う。
「何を悠長に笑っておる!早く奴が死に銀山の所有権を少しでも貰わねば我が家が破産してしまう。もっと毒を仕込むのだ!」
カルビロン伯爵領は北部地域の貧しく戦に無関係な土地柄故に領地を経営していくのが難しくなっていた。そこでカルビロン伯爵の親である先代伯爵は武具産業を興したが失敗に至る。
初期投資のために商人から借りた金が現在膨れ上がり、困窮していた。
ラルジェは足を組み直しながら、現実を突きつける。
「これ以上、毒を仕込むのは意味ないわ。死期を早めることはできないのよ」
「どうして奴が生きる未来があるのだ。紫華花を見つけられのだろう?もし、奴が生きてしまったなら全て計画が台無しになるぞ!!」
「まあ、あれは今は東の最果ての森と魔大陸奥地くらい、心配しなくていいわ。私もオルブライト伯爵がどう生き延びるのかわからないのよ」
「奴を殺して残された餓鬼達を押し退けて銀山を所有権を奪い、借金を返済する筈が。このままでは予定通り上手くはいかぬのか…」
本来、銀鉱脈はオルブライト伯爵領にあるが、銀山自体はカルビロン伯爵領とオルブライト伯爵の境界線にある。不幸なことにカルビロン伯爵領からは銀鉱石は産出されなかった。
「不安なのね」
「当然だ。冬を終えたら返済をしなければならない。できなかったらカルビロン伯爵家はお終いになってしまう」
「良い案があるわ」
「ふむ。申してみろ」
「オルブライト領に北部諸国をお呼びしましょう。騎士が出払い手薄になった伯爵邸を私の子飼いの暗殺者が襲うの」
「そ、それは、国に対する謀反にならんのか?」
「露見すれば、そうね。そんな証拠は見つからないわ。北部は常にオルブライト領を狙っているのよ。甘い言葉で唆せば簡単に攻め込んでくるわ」
「そんな簡単にいくものか、まずどうやって交渉するのだ」
「私は少し面識があるのよ。ワルガドニア国のガルフィン王は王位についたばかり、武勇を示す場と実績が欲しがっているわ。私に任せてもらえれば上手くいくでしょうね」
「荒唐無稽すぎではないか?本当に大丈夫なのか?」
「ええ、おそらく。なんなら貴方は無関係を貫いていいわ」
「いいのか?お前ばかりに…」
「ええ構いまわないわ。その代わりあれを頂きますもの」
「わかっておる」
「では、少し時間を頂戴するわ。報告は鴉で送るからよろしく。葡萄酒、ご馳走様」
「行くのか?」
「ええ」
ラルジェは葡萄酒を飲み干して席を立つ。そのまま外套を翻して部屋を出るのであった。
伯爵は葡萄酒を飲みながら、窓から人通りの少ない自身の領内の景色を眺める。整地ができていない凸凹な大通りは活気が無く、物乞い達が路上に佇んでいる。
領地から目線を逸らし、紅を濃くする不気味な夕焼けを眺めると3羽の鴉が北の方角に向かって行くを見つける。
伯爵はあの鴉に成り行き任せることに、よりいっそう不安を覚える。