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【書籍化】味噌汁令嬢と腹ぺこ貴族のおいしい日々  作者: 一ノ谷鈴
本編 懐かしきあの味を追い求めて
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4.深夜のラーメンは背徳の味

 既に夜も遅く、ほとんどの人間はもう眠りについている。そんな中、私は一人静かに厨房に立っていた。


「うん、いい具合に煮込めたかな」


 かまどにかけた鍋をのぞいて、にやりと笑う。中身は下ゆでした鶏の骨、それにネギとショウガだ。厨房の隅のかまどを借りて、数時間前からことこと弱火でじっくり煮込んでいる。


 この屋敷は、本来であれば当主とその妻、さらに子供たちがみんなで暮らす場所だ。だから厨房やその他の設備もかなり大きい。


 しかし今の当主は独り身で、同居している親族もいない。あのディオンという甥が、時々やってくる程度で。あとはたまに、古い友人が遊びに来たり。


 そんな訳で、かまどはいつも余っていたのだ。それこそ私が好き勝手にあれこれ煮炊きできるくらいには。まあ、食材と燃料の代金はしっかりと取られているけれど。


 そういえば、私はまだここの主に会ったことがない。ただ他のみんなによれば、どうも主であるサレイユ伯爵はかなり嫌な奴らしい。甥のディオンも偉そうだったし、なんか分かる気もする。


 ともかくも、そのせいで使用人が居つかなくてここはいつも人手不足らしい。おかげで、よそよりはかなり給料がいいのだそうだ。


 平民の金銭感覚はまだよく分からないけど、お金はあるに越したことはない。なので、この点だけはありがたかった。


「まあ、私は一番下っ端だし……そうそう伯爵に出くわすこともないわよね」


 ちょっぴり不安なのをごまかすように、わざと明るくそう口にする。それよりも今は、目の前の鍋だ。


 鍋をかまどから下ろし、中身を静かにこす。うっすら黄色がかった汁をちょっと味見する。うん、いい感じだ。つい小さな笑い声がもれるくらいには。


「うふふ……深夜のラーメン……背徳的な響きだわ」


 私は今、ラーメンっぽいものを作ろうとしているのだった。醤油はないし、味噌は仕込み中だ。でも、塩ラーメンなら何とかなるかもしれない、そう考えて。


 三食に加えてがっつり夜食なんて食べたら太りそうだけれど、そこは今のところ考えないことにする。昼間は忙しく動き回っているし、たぶん大丈夫だ。危なくなったら、普段の食事をちょっと減らそう。


 そんなことを考えながら、パスタと重曹を手に取る。重曹でパスタをゆでるとラーメンの麺っぽくなると、そう聞いたことがあるのだ。


「重曹を入れすぎたら駄目だったような……だったらこれくらいかな?」


 別のかまどで沸かしたお湯に目分量で重曹をぶち込み、麺をゆでる。同時進行でスープに塩を入れて味を調える。


 麺がゆで上がったらスープを合わせて、あり合わせの具を乗せる。ハムの端っこと、さっとゆがいた葉野菜だ。仕上げに、鶏皮を焼いて作った鶏油を少々。


「私、天才かも。どう見てもラーメンだわ、これ」


 盛り付けてあるのはスープ用のボウルだし、箸がないのでフォークを添えてはあるけれど、今私の目の前にあるのはまぎれもなくラーメンだった。懐かしくかぐわしい香りに、お腹がくうと鳴る。


 さて、と席に着こうとしたその時、厨房の入り口に人影が現れた。


「物音がするから来てみれば、またお前か」


 寝間着にガウンを羽織った姿のディオンが、そんなことを言いながら厨房に入ってきた。そういえば今日は客人が来ていると聞いたような気がするけれど、よりにもよって彼だったなんて。


 しかめ面になりそうになるのを全力でこらえて、頭を下げる。


「夜食を作っておりました。おやすみの邪魔をしたのであれば、謝罪いたします」


 そう答えながら、私の頭はラーメンのことでいっぱいだった。さっさと帰れ、麺が伸びる。


「夜食か。パスタ……にしては、汁気が多いな。それに、変わった香りだ」


 困ったことに、ディオンはラーメンに興味を持ってしまったらしい。すぐ近くまでやってきて、真上からラーメンをまじまじとのぞきこんでいる。


「………………少し、召し上がられますか」


 かなりためらった後に出たのは、我ながら無愛想極まりない声だった。しかしディオンはぱっと顔を輝かせている。


「ああ、頼む。先日お前が食べていた丸めた米やピクルスは、やたらと美味だった。きっと、この風変わりなパスタも同じように美味なのだろうと、そう思っていた」


 おにぎりを褒められて、ちょっと口元が緩みそうになる。ほだされるな、こいつは私のご飯をかすめ取っていこうとしているのだぞ。


 そう自分に言い聞かせながら別のボウルを用意して、そちらにラーメンを少し取り分ける。フォークを渡してやると、ディオンはそそくさとそれを手に取った。


「ほう、変わった味と食感だが、癖になりそうだ。素晴らしい」


 ディオンはよほど気に入ったらしく、私のほうを見ることなく、せっせと笑顔で食べ続けている。立場上彼が口をつけるのを待つしかなかった私も、大急ぎで自分の分を食べ始めた。


 ふくよかな鶏の香りの中にシンプルでストレートな塩の味ががつんと効いていて、鶏の油がそれらを優しく包み込んでいる。そしてそのスープの中で泳ぐコシのある麺。


 大成功だ……!!


 叫びだしたいのを我慢しながら、フォークで上品にラーメンを食べる。隣のディオンさえいなければ、豪快にすすれたのだけれど。つくづく邪魔だ、この人。


「これもまた、たいそう美味だ。先日の米といい、お前は変わった料理を思いつくのが得意なのだな。どうしてお前が料理人の任についていないのか、理解に苦しむ」


 ディオンはスープの最後の一滴まで飲み干して、満足げなため息をつく。それから、一気にそう言った。


「……私の料理はあくまでも、こうやって個人的に楽しむためのものですので」


 この辺りでは、おにぎりもラーメンも珍しい。だからといって、伯爵に食べさせるのに向いているかというと、間違いなく向いていない。風変わりで庶民的、きっとそう思われるだけだろう。


 しかし困ったことに、ディオンは変わった料理に抵抗がないようだった。そのせいでこないだも今回も、私の大切なご飯を奪われてしまった。


「確かに、食事会などには少々向いていないかもしれないな。だが美味なのは事実だ」


 そう言うディオンの様子を横目でちらりとうかがうと、彼は満面の笑みを浮かべていた。けれど同時に、ラーメンが入っていた器を名残惜しそうに見つめている。


 必死に再現したご飯を分ける羽目になったのは悔しい。しかし、こんなにも嬉しそうな顔で食べてもらったのは嬉しい。


 右へ左へぐらんぐらんと揺れる自分の気持ちをなだめながら、礼儀正しく立ち上がる。


「それでは、もうお休みください。こちらは、私が片付けておきますので」


「……ああ、馳走になった。また何か、面白いものを作ったらぜひ呼んでくれ」


「分かりました」


 彼についてどう思うかは後回しだ。今はとにかく、一刻も早く彼に立ち去ってもらわなければならない理由がある。


 ディオンの背中を見送って、さらにしばらく待つ。今下手に物音をさせたら、あいつが戻ってきてしまうかもしれない。


 もう大丈夫だろうと思えるくらいに待ってから、鍋に飛びついた。あと少しだけ、スープが残っている。


 それから棚に駆け寄って、布巾をかけたボウルを取ってきた。中には、さっき炊いておいたご飯が入っている。


 さっきラーメンを食べたボウルにご飯をよそい、まだ温かいスープを注ぐ。要するに、鍋のしめの雑炊のような感じだ。


 大変お行儀が悪いが、私はこうするのが好きだ。スープを残すことなく味わえるし、お腹もふくれる。炭水化物がちょっと過剰だけれど、それは気づかなかったことにする。


 アクセントに黒コショウをぱらりと散らし、スプーンに持ち替えて、いただきます。


「忘れ物をした。……なんだお前、まだ食べているのか?」


 スプーンを雑炊に突っ込もうとしたまさにその時、厨房の入り口からまたしてもディオンが顔をのぞかせていた。しかしその目は、私の目の前のボウルに注がれている。


 また、私はこの素敵な夜食を彼に分け与えることになるのだろう。強気に断ることのできない自分が、ちょっと情けなかった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 諦めて、食費は私費なんだから、食費とっちゃえ
[一言] ぎゅ~~~ぐるるるる(お腹の鳴る音)
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