18.トラブルはお茶漬けで水に流す
「お米はたっぷり買い置きがありますから、必要なのは具ですね」
「具? あの混ぜ込んでいた焼き魚のことか?」
「はい。ああやってお米に混ぜ込んでもいいですし、おにぎりの真ん中にちょこんと具を入れてもおいしいんですよ。割となんでも合いますから、ひらめきに任せて入れちゃいましょう」
「ふむ、面白そうだ。私にもいくつか、具を選ばせろ」
「ええ、いいですよ。あ、水っぽいものは向いてないので、そこだけは注意ですね」
お酒が回っているせいか、私はとっても朗らかな気分だった。それこそ、ディオンの偉そうなところが気にならないくらいに。
市場を回りながら、目についたものを買っていく。そう言えば、梅干しはどこにも見当たらない。春になれば梅が売り出されるかもしれないし、今度漬けてみようかな。
かつて受けた講義『伝統の食文化』では、梅干しの漬け方も説明していた。
しかし今さらだけど、何だったんだあの講義。栄養系の学部の講義とかなら分かるけれど、まったく関係ない学部の、しかも一般教養の講義だったし。
まあいいか、今ものすごく助かっているから、細かいことは考えないでおこう。
「アンヌマリー、これはおにぎりの具たりえるだろうか」
「栗の砂糖煮? 案外合うかもしれませんね。ただ、デザート向けだと思いますが」
「ならば、これはどうだろう」
「謎の魚卵の塩漬け……おそらくおいしいおにぎりになりますよ」
「おお、それは楽しみだ」
そうやって楽しく買い出しをしていたら、不意に声をかけられた。
「あんた、ちょっといいか」
ディオンと二人で同時に振り向くと、そこには中年男性が二人立っていた。こざっぱりした格好に、前掛けをつけている。料理人っぽいな、というのが彼らの第一印象だった。
「はい、なんでしょう」
私酔ってませんよーという雰囲気を頑張って作りながら答える。男たちは難しい顔をしたまま、口々に言い立てた。
「あんた、今朝屋台を引いてた女だろう」
「ずいぶんと珍しいスープを売ってたな」
「おかげで、だいぶ客を持っていかれた」
「新参者なら、もう少し控えめに商売してくれ。俺たちの稼ぎ場を荒らさないでもらえるか」
つまり彼らは、私の読み通り料理人で、私と同じように朝市で料理を売っている者らしい。ところが私がミソ・スープを売り出したことで、彼らの売り上げに影響が出てしまった、と。
「心配しなくても大丈夫ですよお。今は物珍しさからお客さんが来ているだけで、じきに落ち着きますから」
お酒のおかげで能天気な気分になっていた私は、明るくそう答える。しかしそれに真っ先に反応したのは男たちではなく、ディオンのほうだった。
「何を言う。お前の料理は唯一無二だ。じきに、さらに客が詰めかけるに決まっている」
とっさにディオンのえりをひっつかんで顔を引き寄せる。男たちに聞こえないように、思いっきり声をひそめた。
「ディオン様、そんなこと言っちゃったら逆効果ですって。ここは下手に出るのが、一番穏便に済むんですから」
「だが、お前の料理について嘘を言いたくはない」
「変なところにこだわるんですね」
「大切なことだ」
そんなことをこそこそと話していたら、男たちのつぶやきが耳に飛び込んできた。
「まったく、貴族の後ろ盾があるのか知らないが、いい気になりやがって……どうせ愛人とかなんとか、そういう関係だろ。大した料理じゃないくせに」
「はい、その喧嘩買ったあ! だーれが愛人よ!」
料理はともかく、ディオンの愛人と間違われるなんて冗談じゃない。気づけば私は、仁王立ちになって男たちに人差し指を突き付けていた。
酔っているとはいえ、我ながら大胆だ。しかも喧嘩を買ったはいいがノープランだ。
「あん? 急にいきりたったな。引き下がらないつもりか、こいつ」
男たちが険しい顔になる。まあ、ここは市場のど真ん中だし、そうとんでもないことにはならないだろう。
「引き下がる訳がないだろう! 彼女の素晴らしい料理を侮辱されたのだぞ!」
気楽に構えていたら、今度はディオンまでもが食いついてきた。彼もまた、少々酔っているらしい。いつも以上に、言葉に熱がこもっている。そして私と論点がずれている。
「そんなに言うんなら、そいつの料理とやらを見せてもらおうじゃないか」
「ああ、そうだな。本当にうまい料理なら、俺たちもおとなしく引き下がってやるよ」
おや、これはどうやら分かりやすい方向に話が転んできたような気がする。にっこり笑って、口を開いた。
「大したものでなくてもいいなら、今ここで何とかしますよ?」
そう言うと、ディオンはぱあっと顔を輝かせ、男たちは不審そうな顔をした。食べたいものがあったし、ちょうどいい。帰って晩御飯にする前に、さらさらっとおやつにするのも悪くない。
それからディオンと男たちを連れて、市場を歩く。手早く必要なものを買いそろえて、広場に並んでいるテーブルの一つで支度を始めた。
近くの屋台でお湯をもらって、そこに昆布と茶葉を少々放り込む。こちらはこのまま、しばらく放置だ。
その間に、男たちに用意してもらったどんぶりにご飯をよそい、魚の塩焼きをほぐして乗せる。それと、名前は分からないけれど魚に合うらしいというフレッシュハーブをちぎって散らした。
さらに鰹節をふわりと乗せて、ライムのしぼり汁をぶっかけ、胡椒を振って岩塩で味をつける。
私の手元をのぞき込み、ディオンが感心したようにつぶやく。
「ずいぶんと色々なものを乗せるのだな。味が喧嘩しないか気になるが、お前の作るものだから問題ないだろう」
「いやあそれが、適当にやってるのでどうなるか未知数なんですよ。あははは」
「……大丈夫なのか?」
「大丈夫です。お茶漬けは万能です。私たちはただ粛々と、お茶漬け様を信じましょう」
「お茶漬け、様?」
ディオンは混乱しているようだったが、気にせずに作業を続ける。そろそろ昆布茶のほうがいい感じになってきたので、それぞれのどんぶりに注いでいく。寒空の中、いい匂いの湯気がふわんと上がった。
「はいどうぞ、特製のお茶漬けです!」
そう言ってディオンと男たちにどんぶりを差し出し、さっさと自分の分をかっこむ。適当に作ったとは思えないほど、いい感じに仕上がっていた。おいしい。
「うん、やっぱり飲んだ後はお茶漬けよね」
「これは……白身魚に、ハーブとライムが彩りを与えている。昆布と鰹節が全体をまとめ、深みを出し……胡椒がいいアクセントになっている。とても美味だ」
解説ありがとう、ディオン。
「こんな食い方、したことがないな……」
「しかし、うまい……さらりと食えてしまう……そして、もっと欲しくなる……」
男たちも目を見開いて、ものすごい勢いでお茶漬けを食べていた。というか、飲んでいた。
元気よく食べる三人の男を見渡しながら、私も笑顔でのんびりとお茶漬けを食べ続けていた。
「大した料理じゃないなんて言って悪かった」
「……あんたの料理は、確かにうまかった。これなら、客が集まるのも当然だろう」
「俺たちも腕を磨かないといけない。そう思わされた」
お茶漬けを食べ終えた男たちは、そう言ってしおらしく頭を下げた。
「そうだろう、そうだろう。お前たちも精進するがいい」
なぜか、ディオンが得意げにしている。しかもかなりの上から目線だ。しかし男たちはまったく気にしていない。まあ、貴族なんて多かれ少なかれこんな感じではあるし。
「ああ、そうします。彼女に負けないくらいの料理を作ってみせますよ」
「ありがとうな、あんた。あんたのおかげで、俺たちも頑張れそうだ」
男たちは晴れやかな笑顔で、軽やかに立ち去っていった。
「とりあえず、一件落着でしょうか」
「そうだな。うむ、いい体験をした。お前の料理が、料理で生計を立てている者たちをも魅了するものだと知ることができたからな」
「ディオン様、本当に料理のこととなると人が変わりますよね……」
そんなことを話しながら、私たちは帰路についた。晩御飯のために買った食材を抱えて。
「アンヌマリー、中途半端に食べたら余計に空腹になってしまった。帰ったらすぐに、晩餐にしてくれ」
「はいはい。腕によりをかけますから、楽しみにしてくださいね」
それはもう嬉しそうに笑ったディオンの顔を、夕日が温かな色に染め上げていた。