17.素敵なお酒に素敵なおつまみ
祝杯と称して、昼間っからディオンと差し向いで飲む。くすぐったいような、おかしいような、そんな気分だ。
彼と出会ったばかりの自分が聞いたら、ありえないと断言するような状況を、今の私は楽しんでいた。
「とてもおいしいですね、このワイン」
「そうだろう。なじみの店で買ってきた。特別な日にだけ飲むことにしている銘柄だ」
ディオンの言葉に、うっかりワインを吹きそうになった。伯爵家の跡取りである彼が、特別な日にだけ飲むお酒。つまりこれは、かなり上等なもののはずだ。
初仕事がうまくいったことへの祝杯とはいえ、ちょっと奮発し過ぎではないだろうか。少々複雑な気分になりながら、おいしいワインをもう一口飲む。その時、ふと気づいた。
「……そうだ。お酒には、おつまみが必要ですよね。ちょっと作ってきます」
そう言って席を立ち、すぐ後ろにある台所に立つ。ディオンはあからさまに嬉しそうな顔で、大きくうなずいていた。
さて、何にしよう。今ここにある材料で作れそうなもので、ぱぱっと作れそうなもの。
食料庫をひっかき回して、必要なものをいくつか持ってきた。そのまますぐに、作業に取りかかる。
鍋に湯を沸かし、小ぶりのジャガイモを放り込む。その横で、フライパンでスルメを焼く。
「ふむ、いい匂いだな。メーアの町でかいだ覚えがある。ということは、魚か何かだろうか」
「干しイカです」
背後からの声にそう答えながら、自然と笑みが浮かんでいた。
メーアの町で、ディオンは大いに戸惑いながらも焼きイカをかじっていた。あの時、意外と根性のあるやつだと、彼のことをちょっとだけ見直したのだった。
そんなことを考えながら、さらに準備を進める。ぬか漬けの瓶から引っ張り出してきたキュウリの古漬けを洗って切る。完成直前の醤油を少し持ってきて、手製のマヨネーズと混ぜた。
「はい、出来上がりです。こちらは熱いので気をつけてくださいね」
私が出したおつまみに、ディオンは少し拍子抜けしたような顔をした。それもそうだろう。彼の前には、ゆでただけのジャガイモ、切っただけの漬物、そして焼いただけのスルメが並んでいるのだから。
「こうやって食べると、おいしいんですよ」
そういいながら、ジャガイモにナイフを入れて、そこにバターをたっぷりとねじこむ。冷たいバターがジャガイモの熱で溶けて、とろりと魅惑的な水たまりを作っていく。ついでに、上からもう少し塩をぱらぱら、と。
この辺りでは、ジャガイモを丸のまま食べるという風習がない。一口大に切って煮込むか、あるいはマッシュポテトにするのが主な調理法だ。当然ながら、じゃがバターなんてない。
シンプルだけれどとてもおいしいこの料理は、きっとディオンの口にも合うはずだ。少なくとも、焼きイカよりは抵抗がないだろう。
「おお、確かに……これは、ジャガイモが丸のままだから、より美味なのだろうな。細かく切ってバターソースをからめたものとは、また違う味わいがある」
うっとりとした顔でそう言って、彼はさらに漬物を口にした。いつもの浅漬けとは違い、じっくりと長時間寝かせた一品だ。
「最初にお前にもらった漬物とは、また違うな。酸味が強いが、とても奥の深い味になっている」
こちらも口に合ったようで、ワインを飲みながらさらにもう一切れ口に運んでいる。
「そしてこれは……どうやって食べるのだ? 薄すぎて、フォークが刺さりそうにないのだが」
焼きスルメを前に、さしものディオンも戸惑っている。自分の分のスルメをつかんで、両手で裂いてみせた。
「こんな感じで、手で引き裂いてください。そして細く裂いたこれを、こっちにつけて……」
別皿の醤油マヨをたっぷりとスルメにからめて、こぼさないように気をつけながらぱくり。
おいしい。醤油が熟成途中ではあるけれど、それでも十分に醤油マヨの味だ。ただ混ぜただけとは思えないくらいに、素敵な味になっている。醤油とマヨネーズって、どうして混ぜるとここまでおいしくなるんだろう。
私の表情をうかがっていたディオンが、おそるおそる同じようにしてスルメを食べた。
「なんと……このソースは、今まで食べたどれとも違っているぞ」
「それには醤油が使われているんです。未完成ですけど。味噌と同じように、私が一から作ってるんですよ」
そう説明すると、彼はほう、とかううむ、とかうなりながらスルメをじっくりと味わい始めた。たかがスルメ相手にしては、大仰すぎる反応だ。
「あ、せっかくなので、少し相談に乗ってもらっていいですか」
私はあまりお酒に強くない。ワインを数杯飲んだら、もう頭がふわふわとしていた。
そんなこんなですっかり気分がほぐれていたということもあって、気になっていたことをディオンにぶつける。
「今日は、無事にミソ・スープが完売しました。でもそれだけだと、飽きられてしまうかもしれません。だからもう一品、何か一緒に売りたいなって思ってるんですけど……」
そこで言葉を切って、ディオンをまっすぐに見すえた。気のせいか、彼がちょっとたじろいでいる。
「ディオン様は、どんなものがいい、とかありますか? 簡単なもので、ちょっと珍しいものがあれば、それが一番なんですけど」
「おにぎりだ」
意外にも、彼は即座にそう答えた。
「きっとあれは、お前のミソ・スープにもよく合うと思う。朝からしっかり食べたい人間には、ちょうどいいのではないか」
「おにぎり、かあ……」
シンプルに塩結び。焼き鮭を入れたやつ。ツナマヨもいいなあ。肉を甘辛く煮たやつも具にできる。
あとは菜飯とか、炊き込みご飯とか、炊いた米にほぐした魚なんかを混ぜ込んだやつなんかも素敵だ。
色々考えていたら、お腹がくうと鳴った。おつまみをあてにしてちびちび飲んでいたら、いつの間にか夕方近くなっていた。ずっと食べて飲んでいたのに、不思議なくらいにお腹が空いていた。
「……晩御飯、おにぎりにしようと思います。試作を兼ねて。あとは味噌汁と卵焼きかな」
「よし、私も同席しよう。それで、その、一つ頼みがあるのだが……」
「わざわざ正面切って、頼みごとですか? いったいなんでしょう」
ちょっぴり嫌な予感を覚えつつ尋ねると、ディオンはいつになく自信なさそうな声で答えた。
「何か少し、作業を手伝わせてはもらえないか。前に餃子を包んだのが、意外と面白かったのだ。米をにぎるくらいなら、何とかなるだろう」
おにぎりをにぎるには、強すぎず弱すぎずの絶妙な力加減が必要であり……などという言葉が頭の中を超特急で走り抜けたが、ひとまずそれは横に置いておく。
せっかくディオンがやる気になったのだし。失敗しても、食べるのは私たちだけだから気楽なものだ。型崩れしようが圧縮されて餅っぽくなろうが、それはそれで面白いし。
「分かりました。それでは今から、買い出しに行きましょう。ここから既に、料理は始まっているのです。決して、気を抜かないように」
「うむ。心しよう」
こうして私たち二人の酔っ払いは、上機嫌で町に繰り出していくことになった。