14.仕切り直しのお好み焼き
そうしてお茶を飲み終えてから、おもむろにディオンに会釈する。
「わざわざ来てもらって、嬉しかったです。私はそろそろ眠りますので、それでは」
どうせ彼のことだから、迎えの馬車とどこかで落ち合うつもりなのだろう。あの爺の屋敷には戻らないと言っていたから、実家にでも帰るのだろう。
そんな私の予想に反して、ディオンは背負っていた革袋からずるりと何かを取り出した。やけに上等な毛布にしか見えないけれど、まさか。
「私もカナールまで徒歩で向かうつもりだ。こうしてお前と合流できた以上、食事には困らないだろうしな」
そう言って、彼はさらに毛皮を取り出し、草の上にそれを広げた。明らかに、そこで眠るつもりのようだった。
「え……カナールに、どういった御用ですか?」
混乱のあまり裏返り気味の声でそう尋ねると、彼は不機嫌な声で答えてくる。
「お前、伯父上に説教をしたと聞いたぞ。伯父上はたいそうご立腹だ。お前がカナールに向かうと知ったら、先回りして何か嫌がらせを仕掛けてくるかもしれない。伯父上は見ての通り、陰湿で根に持つたちだからな」
やっぱり彼は、伯父であるあの爺とはうまが合わないらしい。ぺらぺらと、結構ひどいことを言っている。内容自体には全面同意だけど。
「だから私が、そういったことになった場合に備えて、お前についてやることにしたのだ」
「えっ何で」
反射的に、そんな声が出ていた。そういうことであれば、彼がいてくれるのはたぶんありがたいけれど、彼がそんなことをしようとしている理由が分からない。
私が若干警戒しているのを感じ取ったのか、ディオンが不服そうな顔で答える。
「……お前が追い出される原因の一端を作ったのは私だ。だから、責任を取ることにした。これで納得したか」
「責任……って、いったい何をするつもりで……」
「お前が住む場所と当面の仕事を見つけるまでは、付き合ってやる。私は一応サレイユ伯爵家の跡取りだからな、カナールでもそれなりに顔が利くぞ」
相変わらず偉そうなその言葉の数々に、しかしちょっとうるっときてしまった。地獄に仏は言い過ぎだけれど、どしゃぶりに傘を差し出されたくらいのありがたさはあった。
「……その、ありがとうございます」
だから黙って、頭を下げた。本当はもっと色々と言うべきことがあるような気がしたけれど、うまく言葉にならなかった。なんだかさっきから、礼ばっかり言っているような気もする。
ディオンも何も言わずに、穏やかに笑い返してきた。普段と違うその雰囲気に戸惑いながらも、もう一度軽く頭を下げた。
そこからの旅は、不思議なくらいに順調だった。驚いたことにディオンは、荷車を引くのを時々代わってくれたのだ。
もっともそのせいで、二日目の晩御飯は彼のリクエストを聞く羽目になってしまった。自分ひとりなら、また適当に何か焼いて済ませることができたのに。面倒くさい。
メニューはおにぎりと味噌汁。外でご飯を炊いたのなんて、小学生の時の遠足以来だ。おかげでちょっと火加減を間違えて、お焦げご飯のおにぎりになってしまった。
でもディオンはとても珍しいものを見るような顔で、ぺろりと平らげていた。これはこれで、気に入ったらしい。
そうして、三日目の昼にはカナールの町にたどり着いた。もしかしたら四日かかるかなあという私の予想を、見事に裏切って。
「うむ、まずは住むところだな。ついてこい」
町に着くなり、ディオンが自信満々にそう言って歩き出す。
訳も分からずについていくと、じきに大きな店が立ち並ぶ、ちょっと高級そうな通りに出た。平民の普段着で荷車を引いている私は、ものすごく浮いている。
しかしディオンはいっこうに気にせずに、そのまま一軒の店に入っていく。これ、私も入っていいんだろうか。というか、荷車のそばを離れたくない。
店先で悩んでいたら、じきにディオンが男性を連れて出てきた。
栗色の髪をきれいになでつけた、おっとりとした中年男性だ。身なりは上等のもので、しかも趣味がいい。初対面の人すらなごませるような雰囲気の、素敵なおじさまだ。
「さあ、行くぞ」
「ってどこへ?」
思わず素で返事してしまったが、やけに上機嫌なディオンはそれも気にしていないようだった。隣の男性を指して、とうとうと語り始める。
「もちろん、お前の新居だ。彼はレオ、私が懇意にしている商人でな。彼はこの町でも顔が広く、様々な情報を持っている」
「ご紹介にあずかりました、レオと申します。どうぞよろしくお願いしますね、アンヌマリーさん」
レオはやはりおっとりと微笑んで、頭を下げた。
ディオンが私の素性を説明したのかもしれないけれど、それでも平民のなりをして荷車を引いている女に対するものとしては、レオの態度はとても丁寧なものだった。あの爺も、彼を見習えばいいのに。
そしてディオンはやはり得意げに、説明を続けている。
「若い女性が安心して一人暮らしをできる家を知らないかと言ったら、ちょうど空きがあると教えてくれた。大通りの近くで、治安もいい。おまけに前の住人が丁寧に手入れをしながら住んでいた」
「それ……家賃、高かったりしませんよね……」
「ああ、普通の使用人でも支払える程度らしいぞ」
ほんとかなあ、という言葉を飲み込んで、彼らと一緒に歩き出す。どうせ、その物件を見てみないことには始まらない。気に入ったけれど高い、となったら値切ればいい。
じきに私たちは、大通りの二本奥の通りに面した小さな家にたどり着いた。この辺は特に治安のいい一帯なのだと二人がかりで説得されたので、しぶしぶ荷車を家の前に置いて家に入る。
そうして、レオの案内で家の中を見ていったのだが。
「えっ、ここを、本当にこのお値段で!? いいんですか!?」
気づけば私は、レオに詰め寄っていた。それくらいに、この家は素敵だったのだ。
少々小さいけれど、一人で暮らすには十分すぎる広さの家。しかしそこには、やけに立派な台所がついていたのだ。
かまどは二つあるし、なんと薪オーブンまで作りつけられていた。台所の隣には、たくさんの棚が並んだ食料庫がある。これなら、味噌や醤油の瓶も楽々置ける。なんともまあ、うってつけの物件だった。
とどめに、レオが口にした家賃は、今の私でも十分に払えるものだった。二、三か月以内に仕事を見つければ、これからも問題なく払っていけるくらいに安い。
「貴女は料理が好きすぎるほかは、問題のない借主だとディオン様に聞きましたので。きれいに使っていただけるなら、そのお値段で結構ですよ」
にこやかに答えるレオに、ありがとうございますと深々と頭を下げる。そのついでに、ちょっとだけディオンをにらんだ。料理が好きすぎるって、人を紹介する言葉としてはどうかと思う。
もっとも、この家を紹介してもらったこと自体は、この上なくありがたかった。だから私はすぐにレオと契約を結び、晴れて新しい住みかを手に入れたのだった。
あれこれと注意事項を説明してから、レオはまた店に戻っていった。何かありましたら店を訪ねてくださいね、必要なら仕事も紹介できますよ、と言い残して。
わくわくしながら、もう一度家の中を見渡す。そうしていたら、ディオンがそろそろと声をかけてきた。
「どうやら、無事に住むところは見つかったようだな。ところで、私はこれから宿を取る。だが……」
「もしかして、夕食をここで食べていきたいとか、そういうことですか? まあ、そんなはずないですよね」
「あいにくと、それで合っている」
ディオンはちょっと照れくさそうな顔で、そう答えた。本当に彼は、私が作るご飯が気に入ってしまったらしい。
とはいえ、彼にはかなり助けられてしまった。何かお礼をしたいとも思う。少し考えて、メニューを決めた。簡単に作れて、お腹がふくれて、珍しいもの。
あれだ。お好み焼き、いってみよう。
「分かりました。ちょっとそこまで買い物に行ってきますので、留守番をお願いします」
そう言い残して家を飛び出し、大通りに向かう。こないださんざん買い物したおかげで、大通りの店は大体覚えている。まさか、こんな形であの経験が役に立つなんて思わなかったけれど。
すぐに必要なものを買いそろえて、家に戻った。落ち着かない様子で座っているディオンの視線を背中で感じながら、台所に向かう。
出かける前に水につけておいた昆布を鍋ごと火にかけて、その間にキャベツを刻む。なんと長芋を見つけたので、すりおろしてとろろにする。今夜のお好み焼きはちょっとゴージャスだ。
昆布の鍋に鰹節を放り込んで、火からおろした。少し冷まして、布でこせばお出汁の完成だ。出汁に卵を割り入れて、混ぜ混ぜ。それからとろろを加えて、さらに混ぜ混ぜ。小麦粉、キャベツも混ぜ混ぜ。
「……どのようなできばえになるのか、まったく分からんな。こちらは肉で、そちらの鍋ではソースを煮つめているのか」
待ちきれなくなったのか、ディオンがすぐそばまでやってきて私の手元をのぞきこんだ。
「まあ、見ていてください。あとは、これをこちらに移して、肉を乗せて……」
温めたフライパンに生地を広げ、塩胡椒しておいた豚肉を乗せる。そう広くもない家の中に、たまらなく素敵な匂いがふわんと立ち込める。
「裏返して、焼けたらお皿に移す。煮つめたソースをかけて、仕上げに削った鰹節をぱらり」
そうしてできたお好み焼きを、後ろの食卓に運ぶ。ディオンは既に席について、目をきらきらさせながら待っていた。苦笑しながら皿を並べ、彼の向かいに座る。
「それでは、さっそくいただくとしよう」
ナイフとフォークでお好み焼きを食べるというのも変な気分だけれど、もちろんディオンはそんなことを気にはしていなかった。
「おお、これはまた絶妙な……刻み野菜と肉のパンケーキとは……それにこのソース、普段食べているソースに似ていて、だがもっとこくと刺激があるというか……とにかく、美味だ」
貴族らしく上品に、しかし満面の笑みでディオンはお好み焼きを食べている。どうやらこれも、彼の口に合ったようだ。
さすがのカナールにも、お好み焼きソースは売っていないようだった。それも当然か。
でも面白いことに、デミグラスソースの量り売りをやっているのを見つけることができた。町民たちはそれを買って、煮込みなんかに使っているらしい。
確かあれも野菜やら肉やらを煮込みまくったものだったはずだし、手を加えればそれなりにそれっぽいものができるかなと考えたのだ。失敗しても、食べられないものにはならないだろう。
そう思ってデミグラスソースに塩と胡椒、あと熟成中の醤油をちょっぴり足して煮つめてみたのだ。
そうしたら、想像以上に素敵なものができてしまった。配合をざっくりと書き留めておいたから、今後も同じものを再現できそうだ。
向かいには、笑顔のディオン。目の前には、とってもおいしいお好み焼き。私の新しい生活、その最初の夜は、そうやってなごやかに過ぎていった。