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【書籍化】味噌汁令嬢と腹ぺこ貴族のおいしい日々  作者: 一ノ谷鈴
本編 懐かしきあの味を追い求めて
13/47

13.旅のさなかのティータイム

 それからは、ただひたすらに荷車を引き続けた。


 たいへんありがたいことに、屋敷からカナールの町まではずっとゆるい下り坂が続いているのだ。おかげで、そこまで苦労することなく進むことができた。


 背後の荷車からは、かちゃかちゃという音が時折聞こえてくる。味噌や熟成中の醤油などの瓶が立てている音だ。そんなささいな音ですら、ひとりぼっちの私にとってはなぐさめになっていた。


 右、左、右、左。音に合わせてひたすらに、自分の足の動きだけに意識を集中する。イネスたちのこと、これからのこと。そんなことを考えてしまったら、辛くなってしまいそうだったから。


 実家から持ってきたお金に、数か月あの屋敷で働いていた間にもらったお金。それらを合わせれば、しばらくの間は暮らしていける。だから、とにかく今は、カナールの町に着くことだけを考えるんだ。


 自分にそう言い聞かせているうちに、お昼時になった。街道近くの木の下に移動して、カバンを開ける。


「……いただきます」


 ディオンからもらったホットドッグを、おそるおそる口に運んだ。


 ほんの少し口当たりは悪いけれど、でもそんなことが気にならなくなるくらいにおいしかった。


 パンもソーセージも野菜もごくありふれたものだし、ソースはごく簡単な、初心者でも作れるものだった。でも、やっぱりおいしかった。


「おいしい……」


 夢中になって、ホットドッグをむさぼるように食べる。あっという間に、全部私のお腹の中に消えていった。


「ごちそうさまでした。……本当に、おいしかった」


 ふうとため息をついた拍子に、涙がぼろぼろとこぼれ落ち始めた。どうして私は泣いているのか。


 先行きに不安はあるけれど、それでもあの爺のところを離れられて嬉しい。イネスたちと別れるのは寂しいけれど、カナールの町にいればまた会うこともあるだろう。


 そうやって自分を励ましても、駄目だった。涙があとからあとからわいて出て、ちっとも止まらない。


 とっさにホットドッグを包んでいた布を目元に押し当てて、涙が止まるのを待つ。その時ようやく、その布がシルクのハンカチだと気がついた。しかも、白い糸で細かな刺繍がされた高級品だ。


 ディオン、なんてものでホットドッグを包んでるんだ。ソースの染みができてなくてよかった。そう思ったら、なんだか笑えてきた。


 不思議なくらいに晴れやかな気分で、泣きながら笑い続けた。ひとりぼっちの旅を続けられるだけの元気がわいてくるような、そんな気がしていた。




 それからまた街道に戻って、ひたすらに歩き続ける。標識も何もないからよく分からないけれど、それなりに順調に進んでいるように思えた。


 やがて日が暮れ始めたので、街道近くの林のそばに移動する。


 荷車をそこに置いて、森の中に分け入る。適当な枯れ枝を拾い集めて、また荷車のところに戻ってきた。それから荷物をあさって、火打石を取り出す。


「多分、こんな感じかなあ……家事はともかく、キャンプの経験はないからなあ……」


 ぼやきながらも土の地面の上に枯れ枝を組み、ほぐした麻縄を乗せる。火打石で飛ばした火花を、麻縄に移す。火吹き竹を一生懸命吹いて、火を大きくしようと頑張る。


 酸欠になるんじゃないかというくらい吹いていたおかげか、どうにか枯れ枝が燃え上がり始めた。


「できた……やった……もしかして、私ってやればできる子なのかも?」


 温暖な地方とはいえ、今は冬だ。分厚いマントを羽織っていても、さすがに寒い。小さな焚き火は、とてもありがたいものだった。


 それから、簡単にご飯を済ませる。といっても、堅パンとあぶった魚の干物だけだ。おいしいものが大好きな私だけど、さすがにこの状況ではそんなことも言っていられない。


 食事も済んで、ほっと一息ついていた時。街道のほうから、誰かが近づいてきた。手にランタンを掲げて、暗い中一人で歩いている。さっそうとした足取りだし、きっと若い人だろう。それもたぶん、男性だ。


 その人影は、まっすぐにこちらに向かってきた。不審者だった時に備えて、燃えている太い枝の端っこをこっそりとつかむ。けれど私は、すぐに驚きの声を上げることとなった。


「えっ、ディオン様!?」


 何がどうなっているのか、やってきたのはディオンだった。大きな革袋を背負ってランタンを持っているさまは旅人のようでもあったが、着ているのはいつも通りの豪華な服で、それがどうにもアンバランスだった。


「ふう、何とか見つけられたな。思ったよりも先に進んでいるではないか。たくましいのだな、お前は」


 微妙な褒め言葉のようなものを投げかけて、ディオンは私の隣に腰を下ろす。


「あの、その、どうしてあなたがこんなところに?」


「せんべつを渡し忘れた」


 そんなことをしれっと言って、彼は背負っていた革袋から小さな包みを取り出す。そして朝方と同じように、それを私に差し出してきた。


 朝にもホットドッグをもらったのに、また何かくれるのか。


 呆然としながらそれを開けると、中からはクッキーが出てきた。間違いなく料理長の手による、繊細で美しい、食べるのがもったいなくなるような品だ。


「これ……私に、ですか?」


「ああ。疲れた時は甘いものに限ると、そう聞いたのでな。しかし私も、ここまで歩いてきて疲れてしまった。少し分けてくれ」


「もしかして、お屋敷からずっと歩いて?」


「ああ、そうだ。馬車だとお前を追い越してしまうかもしれないからな」


「でも、サレイユ伯爵にばれたらまずいのでは?」


「伯父上は朝から出かけている。泊りがけの用事があるのだ。それに、私は気が向いたから伯父上のところに滞在していただけで、どこへ行こうと私の勝手だ。だからしばらく、あの屋敷には戻らないつもりだ」


 ディオンは堂々と言っているが、私のほうは理解が追いついていなかった。クッキーを届けるためだけにわざわざ何時間も歩いてくるなんて、めちゃくちゃだ。


 そう思いつつも、顔が笑うのを止められなかった。正直、こんなところに一人きりでいるのが、怖かったのだ。偉そうなディオンでも、いないよりずっとずっとましだ。


 立ち上がり、そばの荷車をあさる。イネスにもらったハーブティーの茶葉と小さな茶こし、カップを二つに小鍋を一つ、引っ張り出した。


「あの、出がけにもらったあのパンですが、おいしかったです。……礼になるかは分かりませんけど、よければお茶を入れますが……」


「お前の口に合ったなら良かった」


 ディオンはどきりとするほど晴れやかに笑い、それから大きくうなずく。


「茶か、ぜひ頼む。少し体が冷えてしまったし、こんなところで茶を飲むのも面白そうだ」


 私の風変わりな料理をせっせとたかっているだけあって、ディオンはこんな状況でも楽しそうだった。やっぱり彼は、変わっている。


 小鍋に水と茶葉を放り込み、煮出したところでカップに注ぐ。温かいカップを受け取ったディオンは、まるで子供のように無邪気に笑っていた。


 そうしてクッキーをつまみながら、のんびりとお喋りをする。まるであの屋敷の厨房にいるような、そんな錯覚をしてしまうくらいに、穏やかな時間だった。


「そういえば、お前は甘いものは作らないのか?」


 湯気がたちのぼるカップを手に、ディオンがふとそんなことを尋ねてきた。


「機会があれば、作ってみたいとは思いますけど……そうですね、カナールやメーアを巡れば、必要な食材も見つかるでしょうし」


 私は和菓子より洋菓子のほうが好きだ。そんな訳で、和のスイーツを再現することにはこだわっていなかった。


 そんなことより味噌と醤油、そっちを大急ぎでなんとかしたかったのだ。そちらで手一杯、というやつだ。


 でも味噌はできたし醤油もなんとかなりそうだ。だったらそろそろ、甘いものに挑戦してみるのも面白そうだ。


 寒天を探せば、寒天ゼリーやようかんが作れる。米粉があれば、お団子なんかも作れるかもしれない。


 そんなことを考えていたら、ディオンがひどく優しく微笑んだ。偉そうなところなどかけらもない、どきりとするような笑みだった。


「……やはりお前は、料理のことを考えている時が一番生き生きしているな。沈んでいるより、よほどいい」


 どうやら彼は、私のことを心配してくれていたらしい。彼の表情と言葉に思いきり動揺しながら、それをごまかすように視線をそらした。


「ありがとう、ございます」


 それきり、私たちの間に沈黙が流れる。けれどそれは、不思議と心地良い、そしてくすぐったいものだった。

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― 新着の感想 ―
[一言] みんなでご飯は幸せの味ですね。
[一言] あんこおいしいよ。砂糖は手に入りにくいかな?
[一言] 道連れが、向こうから来た(笑) どうせなら、動きやすい服にしてから来ればいいのに(笑) 何故、普段から着てる服を……………あ、あれか、普段着だから、気にしてないのか……………ww…
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