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【書籍化】味噌汁令嬢と腹ぺこ貴族のおいしい日々  作者: 一ノ谷鈴
本編 懐かしきあの味を追い求めて
10/47

10.ライチを食べられる幸せ

 そうやって無事に味噌を手に入れた私は、それはもう浮かれながら料理に精を出していた。


 味噌汁、味噌漬け、味噌煮に味噌炒め。ちょっと同じような味が続いてしまったけれど、それでも久々の本格的な和食に、私は毎夜のように舌鼓を打っていた。当然のような顔をして隣にいるディオンも、顔をほころばせていた。


 あと三か月もすれば、醤油のほうもそれなりに完成に近づくはずだ。その時を楽しみに待ちながら、昼間は仕事に精を出していた。今日の夜食は何にしようかなと、そんなことばかり考えつつ。


 鼻歌を歌いながら庭を掃いている私に、イネスが近づいてくる。


 メイド長である彼女は、ここに来た初日からずっと良くしてくれている。他のメイドたちと距離のある私にとっては、イネスは数少ない親しい相手だった。


「ちょっといいかい、アンヌマリー」


「はい、イネスさん。何でしょうか?」


 明るく答えると、彼女はなぜか難しい顔をした。それから思いっきり声をひそめて、耳元でささやいてくる。


「あんた、少し目立ちすぎているよ。気をつけな」


「目立ちすぎ……ですか?」


「ああ、そうさ。しばしば厨房に出入りして妙な料理を作っていること、しかもディオン様と親しくしていること。そのことを苦々しく思っている人間もぼちぼちいるんだよ」


 ぽかんとする私の耳元で、彼女はささやく。その声には、私のことを心配してくれているような響きがしっかりと混ざっていた。


「あたしもなだめてはいるけれど、さすがに抑えきれそうになくてね。お館様に告げ口でもされたら面倒なことになるかもしれない」


 確かに、私は使用人たちの中でも変わり者扱いされていた。元男爵令嬢ということで、元々私のことをあまりよく思っていなかった人たちもいる。


 私の行動は、彼らの神経を逆なでしていたのかもしれない。ディオンと親しいという一点についてだけは、反論したくもあるけれど。


 それはそうとして、イネスがわざわざそのことを教えに来てくれたのが嬉しかった。ぺこりと頭を下げて、礼を言う。


「教えてくださって、ありがとうございました。これからはもう少し、行いに気をつけます」


「なに、礼には及ばないさ。あたしはあんたを気に入ってるんだ。ちょっと変わっているけれどよく働くし、気立てもいい。そんなあんたの力になりたいって思っただけだからね」


「あ、ありがとうございます……」


 イネスのまっすぐな褒め言葉に、照れくさくなってうつむく。そんな私の肩にぽんと手を置いて、彼女は豪快に笑った。けれどすぐに、また小声になる。


「そうだ、あともう一つ。お館様には、気をつけるんだよ」


 お館様、すなわちサレイユ伯爵。あいつは確かに危険だ。前に一度だけ顔を合わせた時のことを思い出しながら、神妙な顔でうなずいた。




 そうしてイネスも去っていき、掃き掃除を再開する。浮かれた気分を引き締めるために、一つ深呼吸してから。


 ところがその時、今度はディオンが現れた。彼は私の姿を見るなり、偉そうに言い放った。


「おい、お前。明日と明後日、私に付き合え。これまでの食事の礼代わりに、カナールの町に連れていってやる」


 行いを改めると決意したそばから、問題のほうが勝手に転がり込んできた。どれだけ間が悪いんだと思いつつ、即座に首を横に振る。


「申し訳ありませんがお断りいたします。私はただのメイドで、ディオン様は次の当主。つまり私があなたに食事を提供するのは当然のことです。礼など不要ですよ」


 澄ました顔でそう答えると、ディオンは露骨にショックを受けていた。しかしすぐに態勢を立て直すと、めげずに食い下がってくる。


「ぐっ……お前、いつも変わった料理を作っているだろう。その料理に使う、新たな食材を探したいとは思わないのか。メーアの時のように」


 新しい食材。実のところ大いに興味がある。しかしやっぱり、イネスの忠告に従いたい。だから黙ってあいまいに微笑み、ごまかそうとした。


 そんな私に、ディオンは大急ぎで追い打ちをかけてくる。


「カナールの町は、交易の要所だ。様々な品が国内外から運ばれてきて、大通りが丸ごと大きな市場になっているのだ。この辺りで珍しいものを探すなら、あそこに行くしかない。……お前もきっと、あそこを気に入ると思うぞ」


 その言葉に、ほうきをにぎる手に力がこもる。


 国内外。ということは、この辺では見たことも聞いたこともない食材が手に入るかもしれない。それらを手に入れられれば、もっと色々な料理を再現できるかもしれない。


 私の心と、あと胃袋が揺らいだのを見透かしたのか、ディオンがしてやったりという顔をしている。たいそう腹立たしい顔ではあるが、彼の提案が魅力的なのも確かだ。


 悔しさに肩を震わせながら、小声で答えた。その提案に乗ります、と。




「ここが、カナールの町……広いですね……」


 そうして私たちは、二人でカナールの町に来ていた。一応名目上は、ディオンの旅に私が従者としてついてきているという形になっている。


 屋敷からカナールの町まで、馬車でも六時間ほどかかる。だから今日は、この町に泊まることになっている。日帰りはさすがにきつい。


 荷物を宿に運び込んでから、私たちは町の高台、周囲がぐるりと見渡せる小さな広場に足を運んでいた。歩きながら、ディオンがあれこれと話しかけてくる。


「カナールは運河都市とも言われ、物の流通が盛んだ。特に朝市では、新鮮な野菜や魚もふんだんに店先に並ぶ。明日、朝一番に見にいこう」


 ディオンはやけにはしゃいでいた。一応この旅は、いつもの食事のお礼ということになっている。しかしそんなことを抜きにして、彼は純粋にこの旅を楽しみにしているように思えてならなかった。


 さらにあれこれと計画を語っているディオンをそのままにして、広場を囲む柵に歩み寄る。それから、周囲の光景をぐるりと見渡した。


 町の外には草原が広がっていて、整備された幅の広い街道が続いている。けれど一番目を引くのは、草原をまっすぐに貫く幅の広い運河だった。


 すぐ近くには船着き場も見えていて、今もたくさんの船が泊まっていた。さっきからずっと、様々な荷物が積み下ろしされ続けている。


 ディオンによれば、あの街道もこの運河も、そのまま国外までつながっているのだそうだ。さすがは、交易の要所と呼ばれるだけのことがある。


 反対側を見ると、町の全体が見渡せた。かなり広い。そして、まっ平らだ。中央の大通りには、ものすごくたくさんの人が歩いている。たぶんあの辺りにお店があるのだろう。気になる。


「それでは私は、辺りの店を回ってきます。失礼します」


 まだ話しているディオンにぺこりと頭を下げ、さっさと歩き出す。目指すはあの大通りだ。


 しかし突然、ディオンが腕を引っ張ってきた。一刻も早くショッピングを楽しみたいのに、邪魔する気か。


 眉間にしわを寄せたまま振り返ると、意外と近くにディオンの顔があった。彼も一応美形の部類に入るので、真剣な表情をされるとちょっとどきりとする。


「……どうされました?」


 ほんの少しの動揺を隠しながらさらりとそう問いかけると、彼は真剣な表情のまま言い放った。


「私を置いていくな! 何のためにお前を連れてきたか、分かっているのか!」


「食事の礼だと、そううかがっていますが」


「ああそうだ。だが、どうせならお前の買い物を見たい! 私は特にこの町に用はないし、お前が嫌だと言ってもついていくからな!」


 何となくこうなるような気はしていたけれど、一応尋ねておく。


「でも買い物なんて、見ても面白くないのでは?」


「いいや、面白い! 前にメーアでも見たからな、断言できる!」


 彼は何をむきになっているのだろう。そう思ったけれど、それ以上ごねるつもりはなかった。どうやら言っても聞かなさそうだし、こんなところで押し問答をしている時間すら惜しい。


 だから彼の目をまっすぐに見て、大きくうなずいた。ディオンはやはり顔を近づけたまま、にっこりと子供のように笑った。




 そうして私は、ディオンを連れて大通りにやってきた。今は朝市の時間ではないけれど、それでも色々なものが売られていた。


 食物を扱っている店をはしごして、目ぼしいものをあれこれと買い込む。馬車で来ているから、ちょっとくらい買い過ぎても大丈夫だ。この点だけは、ディオンに感謝だ。


 ついでに、普段着も数着買った。これでやっと、一人で町歩きをしても目立たない服を手に入れられた。今着ているメイド服も、実家から持ってきた令嬢らしい普段着も、町中では少々目立つのだ。


 買い物ざんまいで上機嫌の私とは対照的に、ディオンはなにやら難しい顔をしていた。やがて彼は、ためらいがちに口を挟んでくる。


「……いくらなんでも少々、買い過ぎではないか?」


 その言葉に立ち止まり、背後の彼を振り返る。驚いたことに、彼は私の荷物を半分持ってくれていた。


 私が大荷物を抱えてえっちらおっちら歩いていたら、自分から荷物を持つと言い出したのだ。ただの親切なのか裏があるのか、分からないのがちょっと怖い。


「その、それでは給金もあまり貯まらないのではないか? 稼いだそばから、使ってしまっているように見えるぞ」


 大きなお世話だと、むっとする。確かに私は、食材については明らかに金遣いが荒い。


 でもそれは、何よりも重要な食生活をより豊かにするものなのだし、そもそもおいしいもの大好きのディオンに言われる筋合いではない。


 私が何も言い返さないでいると、ディオンは不意に気まずそうな顔をして視線をそらした。


「お前の事情は聞いている。借金を返し終えれば、お前の家、ミルラン男爵家はまた復興できるのだろう? そのために、お前の両親は海を渡り、遠い異国で商売を始めたということも」


 どうして、今その話になるのだろう。首をかしげる私に、ディオンはやけに沈んだ声で言う。


「ならばお前も、もっと稼ぐ必要があるのではないか。少しでも、家の復興に役立てるために」


 彼の言葉に、たっぷり三秒はぽかんとする。


 その発想はなかった。かけらほどもなかった。


 私のお給料は、確かにメイドにしてはかなり高いらしい。


 けれど実家の借金は、それこそゼロが二つほど多い。三つかもしれない。とにかく、とほうもない額だ。私が返そうと思ったら、それこそ何十年かかるやら。


「元男爵家の令嬢であるお前が、こうやって他者に仕えているのは、その……屈辱ではないのか。お前は他のメイドたちからも、距離を置かれているだろう、元の身分ゆえに」


 どうやら彼は、私のことを心配してくれているらしい。にわかには信じがたいけれど。


 さて、どう答えたものか。確かに、私がただの元男爵令嬢であれば、彼の言うことにも一理あると思う。家を復興させるため、必死に給金を貯める。元令嬢なら、そう考えるだろう。


 でも私は違う。私はアンヌマリーで、そしてごく普通の大学生だ。家の復興にはこだわりがないし、身分も気にしていない。気にかかっているのはただ、記憶の中にある懐かしの味だけで。


 でもこの思いを、どう説明したものか。うんうんうなっていたその時、近くの店先に並んでいるものが目についた。


 ピンポン玉くらいの大きさの、赤くてぶつぶつした皮と、その下の白くてぷりぷりした実。ライチだ。久しぶりに見た。遠い国から運ばれてきた珍しいものなのだと、張り紙に書かれている。


 ディオンをそこに残し、数粒買ってすぐに戻る。半分をディオンに渡すと、彼は戸惑ったような顔をした。


「これは……果物、か? 見たことのないものだな」


「皮に切れ目が入れてあるので、そこからむいて中をかじってください。中心に大きな種があるので、気をつけて」


 そう言いながら一つ食べる。さわやかな甘みと、独特の香りがたまらない。ディオンもためらいながら口にして、顔を輝かせた。


「おいしいですよね、ディオン様?」


「あ、ああ。なじみのない香りだが、これはこれで癖になりそうだ」


「おいしいものが、私の幸せなのです。家がなくなろうと、使用人として働こうと、そんなことはどうでもいいのです」


 にっこり笑って言い切って、それからライチを一粒掲げてみせる。


「こうやって珍しいもの、新しいものに触れることができる。ミルランの家にいた頃には、とても想像できない生活です」


「……そうか。お前は今、幸せなのか」


「ええ」


 どうやらそれで、ディオンも納得してくれたらしい。ひどく穏やかな、優しい笑みを浮かべている。


「……ところで……いったいお前は、どこであんな果物のことを知ったのだ? どうも以前から知っているような口ぶりだったが」


「乙女の秘密です」


 なおも食い下がってくるディオンを、そんな言葉で黙らせる。彼は口を閉ざして、目を白黒させていた。


 その姿がおかしくて、つい笑ってしまった。彼も苦笑しながら、私をやはり優しい目で見守っていた。

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― 新着の感想 ―
[一言] 『目立ちすぎてる』 こ、これは、フラグ?フラグなのか( ̄□ ̄;)!!
[良い点] 乙女の秘密ww そのワードを出されたら、それ以上男性は何も言えないですよねー♪
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