第985話 『泥濘 その4』
夕方から夜になり、日中でも薄暗い森の中は更に暗くなっていた。
だけど、私は平気だった。頼もしい仲間……ノエルとカルビと一緒にいたから。そして森の中を歩いていると、やがてルシエルのテントが見えてきた。焚火の前には、ルシエルがいる。
手をあげて声をかけようとすると、ルシエルはこちらに気づいた。いつもながらこういう察知したりする能力は、スバ抜けているなと思う。
エルフのいう種族がもともと神秘的な力を持っているのでは……なんて思っていたけど、ルシエルの場合はやっぱりなんとなく野生の感が凄いというか……そんな感じだと思った。
「うおおーーーい!! こっち、こっちー! 早くこっちこいよー!! えらい、てまどってたみたいだなー」
「ごめんなさい。ちょっと、色々あって」
「そうか、色々あったのか。でも無事で良かった。ラトスのおっさんは、ちゃんと森の外まで送って行ってやったんだろ?」
「はい、ちゃんと送って行きました」
「それなら、戻ってくる時に何かあったんだな」
「はい……」
ちょっと言い出しにくくて……ゆっくりと俯くと、ノエルが言った。
「ルキアは、沼にハマって動けなくなっていたんだ」
!!!!
「ちょ、ちょっとノエル!! そ、そんな!!」
私は慌ててノエルの口を塞ごうとする。だけどノエルは、避けて続ける。
「なんだ? 本当の事だろ?」
「そ、それはそうですけど……ルシエルにそんな事を言ったら……」
恐る恐るルシエルの方を見ると、案の定、彼女は私を指さして笑い転げていた。
「ヒイイイ、ヒッヒッヒッヒ!! え? え? よく聞こえんかった。もっかい、言って?」
「っもう、聞こえてたくせに! なんでそんなに笑うんですか!!」
顔が真っ赤になった。ピョンピョンとその場で跳んで、怒ってみせる。でもルシエルは、涙まで流して笑い転げている。
「ヒャーーーッハッハッハ!! 沼って!! 沼にハマってたって!! アハハハハ、ルキアが沼にハマって動けずに、藻掻いているのを想像してしまったーー!! やめろ、笑かすなよルキアーー!! どうしてそう、いつもそうやってオレを笑わせるんだよ!! ヒャハハハ!!」
「っもう、知らない!!」
ずっと私を、指差して笑っているルシエルに腹が立った。思い切り頬を膨らまして、プイっと顔を背ける。
「ごめんごめん。っぷ、ぶへへへ!! ごめんてば、ルキア。ちょーーーっち笑いすぎたな。だって、おめー依頼人を偉そうに送っていった帰りにさ、沼に!! 沼にハマって動けないっておめーー、それーー、っぷ、アハハハ!!」
「っもう、っもう、っもう!! ルシエルったらーー!!」
こんなに馬鹿にするなんて!! アテナがいたら、うんと怒ってもらうのにーー!!
私は怒ってルシエルに跳びついた。そしてポカポカと叩く。ルシエルは、相変わらず笑っている。もうもうもう! なんて意地悪なんだろう!
「アハハハ、こりゃええ。マッサージだな。ルキアはマッサージが得意だ。あと、人を爆笑させのもな、ぶふふふ」
「ルシエルーー!!」
「やめろ、やめろって!!」
私とルシエルのやりとりを見ていたノエルが溜息を吐いた。カルビも、焚火の前で丸くなってゆっくりし始める。
「おい、もうその辺にして飯にしないか。腹が減った」
ノエルは、自分のお腹を摩りながら言った。
もとはと言えば、ノエルがルシエルに私が沼に落ちた事なんて話したから――って言いかけて、呑み込んだ。本当の事には違いないし、今更それを言ってももう仕方がないから。しかも助けてもらったし。
「そうだ、そうだ! そういや、いいもん手に入れたんだ。ルキア、ノエル! ちょっとこっち来てみろよ」
「なんだ?」
「なんですか?」
ルシエルが手招きをする。行ってみると、そこには大きな石があって、その上に緑色の大きくて立派な魚が5匹も横たわっていた。
「こ、これどうしたんですか?」
「おん? ああ、獲ったんだよ。ルキアがラトスのおっさんを送って行って、その後に沼に落ちて……プププ……藻掻いている間に獲ったんだ。ぶふうっ!」
「っもう、言わないでください!!」
「アハハハハ!!」
また笑いだしたルシエルに、精一杯の怒った顔をした。だけどルシエルは全く気にしているようには見えない。横たわっている大きな緑色の魚をノエルが見る。
「しかしデカい魚だな。それに色も奇妙だな。名前はなんていう魚なんだ、これ?」
「知らなーーーい」
「何処で捕まえたんだよ」
「そこだ、そこで泳いでいたので、矢でビュンってな」
「釣ったんじゃねーのかよ!!」
ルシエルの驚きの回答に、思わず私とノエルは揃ってズッコケてしまった。
そしてルシエルが指した方を見ると、そこにはまた泥濘が広がっている。所々、木の根が泥濘から顔を出しているから、きっと浅い。こんな所をこの大きな緑色の魚は泳いでいたんだ。
でもこれだけ大きい魚がこんな浅い場所を泳いでいたなら、きっと背びれの辺りが見えていたに違いない。だからそれを見つけてルシエルは、釣り上げなくても矢で仕留める事ができると思ったのだ。
魚に目を向けると、確かにどの魚にも背びれ近くに矢傷があった。
「それで、これ食えるんだろーな。ちょっとなんか臭いような気もするけど」
「あっはっはっは、全くノエルは、お上品だなー。きっと大丈夫だろ。魚なんだしな」
「あのなー、魚って言っても毒を含んでいる奴もいるんだぞ」
「そうなのか? 毒があるとしたら、ちょっと困るなー」
「あの、ちょっと待っててください」
「ルキア?」
私はテントのある方へタタタと走ると、自分のザックの中を漁って一冊の本を取り出した。アテナに前にもらった私の大切な本。
これには、沢山の魔物の説明が記されている。




