第939話 『ディディエの料理』
パスキア王国の王宮料理長ディディエと、他の料理人によって続々と運ばれてくる数々の手の込んだ見事な料理。そのどれもが、とても美味しそうだった。
まずは、食前にアプリコットジュース。それに続いて、数種類のサラダ。
サラダに使われている野菜は、まるでどれもとれたてのように瑞々しくてシャキシャキとした歯ごたえ。それにかかっているドレッシングも絶品だけど、野菜それだけでもむしゃむしゃと延々と食べ続けられると思った。
「アテナ、これ端的に言ってヤバいよ」
シャカシャカシャシャカシャカ……
「野菜スティックでございます。ラディッシュ、キャロット、セロリ、キューカンバーでございます。こちらの特性ディップソースにつけてお召し上がりくださいませ」
ディディエの説明を聞いて、のたうつマリン。
「プフーーー、プフーーー!」
「っちょ、ちょっとどうしたの、マリン!」
「プフフーー、だってキューカンバーって! プブーー、普通にキュウリって言えばいいのに! プフー―、これは傑作だよ。ここは美味しい料理だけでなくて、こんな笑いも提供してくれるのかい?」
「こ、こら! なんて失礼な……」
チラリとクロエを見ると、マリンのその言葉を聞いて口を抑えている。その姿は他でもない、全力で笑いを堪えているようだった。
それでもディディエは、まったく表情を崩さない。むしろ、マリンやクロエが楽しく食事をしている事に満足している様子。これは、料理人の鏡――
イーリスが手を叩いて、はしゃぎ始める。
「来たわよ! とーーーっても美味しいんだから、これ!」
え? こんなにイーリスがはしゃぐって、何が出てくるのだろう。そう思った刹那、私達の前に、横長の白い器が運ばれてきて置かれた。湯が立っていて、それだけで熱い事が見て取れる。
しかも、これは……
「まさかここで、これが食べられるなんて!! イーリス、私これ大好物なんだけど!!」
「まあ、それは良かったわ!! ディディエの得意料理の一つよ、熱いうち召し上がって頂戴!!」
私の普通ではない喜びように、いったい何が目の前に運ばれてきたのかと戸惑っているクロエ。そしてマリンに至っては、既に食べ始めて「まいうー、まいうー」と呪文のように繰り返し言っている。その顔は、とても幸せそう。
クロエに顔を近づける。囁くように、目の前に何があるのか教えてあげる。
「クロエ、なんだと思う」
「えっと……とてもいい香りがするわ。なんだろう……チーズ……他にも何か……」
「フフフ、これはグラタンよ」
「グ、グラタン!!」
「食べた事ある?」
「ないです……でもブレッドの街のカフェでも、出している所はあるみたいですし、それがどういった料理かは知っています」
「私、グラタン大好きなんだ。それじゃ、冷めないうちに食べてみようよ。器もきっと熱いから、間違って触れないようにスプーンはとってあげる」
「ありがとう……ございます」
クロエにスプーンを握らせると、彼女は早速、目の前にあるグラタンに意識を向けた。さて、上手く食べられるかな。本当は手伝ってあげたいけれど、これから先一緒に旅を続けていくつもりだし、色々な事に慣れておいた方がいいしね。
クロエが意を決してスプーンを、ゆっくりと、そーーっとグラタンの器に近づける。そこでディディエが私に近づいてきて、耳打ちした。
「アテナ様。もしかして、クロエ様の目は……」
「うん……」
ディディエは、はっとすると急いで厨房に戻り、可愛らしい兎のミトンを取って戻ってきた。それをクロエに手渡す。
「こ、これは?」
「兎のミトンでございます。それを左手にお付けください。そうすれば熱々のグラタンの器を手づかみしても、大丈夫でございます」
「え? あっ!」
とても嬉しい気配り。なるほど、ディディエ・ボナペティーノ。一流の料理人というだけでは、あきたらない訳か。うちのクラインベルトの王宮料理人……ううん、私のパーティーの仲間にしたい位の人だね。私達の専属料理人として。ってそれは駄目か、あはは。
「ありがとう、ディディエ」
「あ、ありがとうございます、ディディエさん!」
「いえいえ。どうぞ引き続き、食事をお楽しみくださいませ」
そう言って後ろに迫ってきていた料理人と入れ替わり、ディディエは厨房の方へまた下がった。そして入れ替わった料理人の手には、とても大きなプレート。それをテーブルのど真ん中に置く。
チーズとトマト、それにバジルの匂い。更に香ばしい鶏の匂いも漂ってくる。マリンが立ち上がって叫んだ。
「ピザーー!! これ、ピザーーー!! ピザだよ、見てアテナ!! ねえクロエ、今ボクらの目の前にピザがあるんだよ! それもなんて表現すればいいのか。とてもジューシーで美味しそう、大きなピザだよ」
「はいはい、解っているから。ちょっとマリン、落ち着きなさい」
クロエと共に、イーリスがまた大笑いした。
「ウフフフ、本当にマリンさんって面白いのね。ディディエやロルスは、あなたの事を天才魔法使いというけれど、こうしてみていると、単に大喰らいの少女にしかみえないわね」
「そうね、私も一緒に旅をしてきて、そう思い始めているかな。魔法使いというよりは、フードファイター。あっはっはっは、フードファイターマリン! いいかもしれないわね」
「モッチャモッチャモッチャモッチャ……」
私とイーリスに、いいように言われて何か言い返したいという目をするマリン。でも、食べる事の方が優先的に高いのか、プレートに乗ったボリューミーなピザを手に取っては口に入れ、また取っては口に入れと頬張っていて、喋る事ができない。頬っぺたがリスみたいになっている。
「お、おいしーー!! むっぐむっぐむっぐ……なんて、美味しいのかしら! グラタンって、なんでこんなに美味しいのかしら」
今度はクロエが、声をあげた。
「物凄くまろやかでまったりとしていて……溶けたチーズが物凄く濃厚で美味しい。それに色々な食べ物が入っていて……」
「ディディエのお手製のホワイトソースと、このパスキアが作り上げたチーズ。それが絡み合って絶妙な味になるわよね。それに具材は、海老にアサリにムール貝。ブロッコリーとか野菜も入っているけれど、これはあえていうならシーフードグラタンよ」
『シーフードグラタン!!』
クロエと一緒に、ハモってしまった。それをイーリスにまた笑われる。
「まだまだ食べられるでしょ? お料理もこれで終わりじゃないんだから。どんどん遠慮せずに、お食べになってね」
更に運ばれてきたのは、ムール貝のワイン蒸し。これも私は大好きな料理だった。
ああーー、パスキアに来るまでは、あんなにここに来るのが嫌だったのになー。どうしよう……思っていたよりも、イーリスやブラッドリーやロルス、それにディディエとか親切な人達も多いし、何といってもこんなに食べ物が美味しいから気持ちが緩んじゃう。
ルシエル達、今頃どうしているだろう。こんなに美味しい料理、皆にも食べさせてあげたかったなー。
私は至福のひとときを楽しみながら、ルシエル達の事を思って遠い目になっていた。