第937話 『マリンは、本の虫』
部屋の出入口のドアを、誰かがノックした。
コンコンッ
「どうぞ」
「お邪魔しますわ」
パスキア王国第三王女、イーリスだった。先ほどまで一緒に行動していたカミュウ王子の姿はない。
「イーリス。どうかしたの?」
「お食事とお風呂をお誘いしにきましたの。どうかしら?」
そう言えば、かれこれ……気が付けばお腹もペコペコ。
「それじゃ、お言葉に甘えてーー。クロエももう、お腹減っているよね」
「あ、はい……」
少し顔を赤らめるクロエ。このリアクションは、相当ペコペコポンポンという現れ。イーリスは、私達のいる部屋を再び出ると、一緒にくるようにと手招きをした。
「それでは、お食事とお風呂にご案内しますわ」
「食事とお風呂!! いいねー!! 凄い、いい。訓練場で結構汗もかいたし。でもそれならついでに、マリンも連れていきたいんだけれど」
「そうですわね。マリンさんなら、きっとこちらにいらっしゃると思いますわ」
イーリスはそう言って、通路を歩きだした。階段を下りてまた長い通路。向かう先は、やはりここにある大きな王宮書庫。
扉を開けると、書庫の中には既に何人か人がいた。皆、なにかしらの本を探していたり、設置されている椅子に腰かけて黙々と読書をしていたりしている。
「おお、これはアテナ王女殿下!」
パスキア王国の外務大臣、ロルス・ロイス。手には何か難しそうな本を抱えている。内容はどうも魔導書などではなく、政治に関する何かみたい。
「ロイス外務大臣。こんな所で奇遇ですね」
「ですな。昔、こんなに小さかった時のアテナ様のように……あの頃のままに、ロルスとお呼び下さい」
あの頃のまま……なんか恥ずかしい。
「そ、それじゃロルス」
「はい、アテナ様」
にっこりと微笑むロルス。その顔は、まるで孫娘でも見るかのようなお爺さんの顔。だけど、今そういうたとえをしただけで、ロルスはまだお爺さんという歳でもない。
続けてマリンを見なかったか聞こうとした所で、イーリスが代わりに聞いてくれた。
「ロルス、ちょっと聞きたいのだけれど、ここでマリンさんをお見かけしなかった?」
「マリン・レイノルズ。魔導大国オズワルトの天才魔法使いの事でしたら、奥の方で小難しい魔導書ばかりを読みふけっておりますよ」
やっぱり――
マリンは、自分自身の知識欲を満たす事と、クロエの目の治療に関わる手掛かりが何かないか、調べてくれている。
「それでは私はこれで」
「ありがとう、ロルス。それじゃ、アテナお姉様、クロエ。マリンを連れに行きますわよ」
大きな王宮書庫。そこへ入り、奥の方へと進む。魔導書というのは、単なる魔法に関する知識が書き記されている本というだけではない。勿論単なる一般的な本もあるし、価値のあるものもあるんだけれど、なんていうかその本自体が力を持っているものもある。
だから大抵こういう書庫や図書館などでの魔導書のある場所は、一番奥に所蔵されている。少なくともクラインベルトの王宮書庫もそうだった気がするけれど、パスキアも同じみたい。
周囲は、本本本――本しかない。進んでいくと、本が沢山山積みされている場所に出た。その端で、水色のローブを身にまとった銀髪の三つ編み――眼鏡をかけた少女が、じーーっと本とにらめっこしている。
「マリン、ここにいらしたのね。お迎えにきましたよ」
イーリスの言葉は、マリンに届いていない。マリンは、びっくりする位に本に夢中になっていた。
「ちょっと、マリン! 聞こえているのかしら?」
またもイーリスの言葉に、ピクリとも反応しないマリン。イーリスは困った顔で私の顔を見た。今度は私が――
「マリン! ご飯よ」
「なんと!! ご飯!! そういえば、もうペコペコだったよ」
ご飯と聞いて、いきなり反応するマリン。まるで止まっていた時間が、急に動き出したみたいに。
「呆れた。とんだ食いしん坊さんね、マリンは」
「アテナに言われたくないよ」
「え? なんでよ」
「この間だって、こんな大きさの肉を焼いた上に、スープとか作ってライスまで炊いて、その後に芋で作ったお菓子を……」
「あーーー!! あーーー!! はいはいはい、解りました! 確かにそうでしたね!!」
大きな声を被せて、誤魔化してしまった。だって、ここにはイーリスがいるのに……こんな所で私の真の……っていうか裏の姿を知られたら、恥ずかしいじゃない! まあ裏と言っても、別にそれほど裏でもないんだけど……
でも、こういう書庫ってシーンとしているし、声が響く。他にも人がいるんだから、やめて欲しい。
「それで、何かいい情報は見つかった?」
「クロエの目の治療法だね。それなら残念だけど、まだ見つからない。でも気になるものはあるし、これだけの本の山……気になる書物だけ読んでいっても、かなりの時間がかかるよ」
「そうなんだ」
マリンは、イーリスに視線を向ける。
「イーリス、ちょっといいかい?」
人の事は言えないけれど、会って間もないパスキア王国の王女を、眠た気な目で既に呼び捨てにするマリン。この子は、どこまでいってもブレないなって思う。
「なにかしら。そろそろ、お食事とお風呂に招待したいのだけど」
「ご飯いいねー。だけどその前に……ここにある本なんだけど、いくつか……」
「書庫にある本は、基本的に持ち出し禁止だから。でも、そうねえ。どうしても、読みたければ24時間ここは使っていいから、入り浸ればいいんじゃないかしら」
「そう、駄目なんだ……」
マリンのあの目。
持ち出せない、でも書庫は24時間開放されている。ここへ入る為の鍵も持っているし、きっとご飯を食べてお風呂に入ったら、直ぐまたここに来るな。
「それではマリンも見つけましたし、参りましょう」
イーリスは、私の手を握って引っ張った。慌ててクロエの手を掴む。するとクロエは何を思ったのか、マリンの手を掴んだ。
こうして私達は、なぜだか解らないけれど、互いに手と手を繋いで連結したままイーリスの後に続いた。
なんだろう、これ。今のこの自分達の姿をを客観的にみると、凄く変だなって思って笑ってしまった。