第932話 『ロゴーとの試合 その1』
メアリー王妃の姿は、何処にもなかった。ミネロッサやメリッサも……その事に、あれ? って思っていると、フィリップ王が察して言った。
「メアリー達は、ここへはこんぞ」
「そうなのですか」
「どうもこういう事は、好きではないみたいでな。一番下のイーリスは、違うみたいだがの」
そう言ってイーリスを指すと、彼女は訓練場の壁に立てかけてあった木刀を手に取り、これみよがしにブンブンと振ってみせた。
「わたくしは、お母様やお姉様達とは違って剣にも興味ありますわ! そのうち、兵法だって身に着けて、アテナお姉様のように勇敢な王女になるのよ」
「あはは、残念だけど私は、兵法はあまり得意でないよ」
「あら? そうでしたの?」
「それは、姉のモニカかな。モニカは剣の腕も凄まじいし、イーリスのいう兵法や政治に関してもとても明るいから。でも今、私と勝負すれば、剣の腕に関してだけはきっと私の方が上だけどね」
胸を張ってみせる。
「そうなの。でしたらモニカ王女より、アテナお姉様が強いって言われるのでしたら、そのアテナお姉様とボクシング勝負をして勝ったブラッドリーは、もっと強いって事になるのよね」
「えーっと……うん、そう。そういう事になりますね、あはは……」
そう言って苦笑いすると、フィリップ王と王子達も含める他の者達がとても驚いた顔をした。
それもそのはず。今これからまさに、セリュー配下であるパスキア四将軍のロゴーと試合をするっていう時に、その直前に私はパスキアの双璧であるブラッドリーとも手を合わせていたから。
ブラッドリーが言った。
「イーリス様。正確に申せば、私はアテナ王女には勝っておりません」
「え? でもわたくしが止めなければ、あなたのコークスクリューブローは、アテナの顔面を捉えていたわ」
「ですが当ててはいませんし、勝負の行方は終わってみなければ誰にも解りません」
私はブラッドリーに続けて、イーリスに言った。この場にいる者、誰にも聞こえるように。
「ううん、あのまま続けていれば、ブラッドリーの一撃で私は見事にのされていたと思う。ブラッドリー・クリーンファルトがパスキア王国の双璧と呼ばれる理由をこの身をもって、知ったわ。ブラッドリーがいる限り、パスキアの平和は間違いなく守られるって」
フィリップ王が、悔しそうに床を蹴った。
「まさか、アテナ王女がブラッドリーとここで手を合わせていたとはな。こんな事なら、もう少し早くにここにやってきておれば良かった。面白い対決を見逃してしまった」
セリューが前に出る。
「父上、確かにそうかもしれませんな。ですが私の直轄である4人の将軍達は、どれも猛者ぞろい。決してブラッドリーやトリスタンに、後れをとっていないと自負しています。ならばブラッドリーに叶わないアテナ王女が、私の四将軍に勝てるはずもない」
私を迎える為に行かせたロゴー・ハーオンを、私がのしてしまった事。それをセリューは根に持っている。だけど、あの酒場での態度はロゴー・ハーオンに非がある。
「父上をはじめ、わざわざこの訓練場に集まってくれた者達には申し訳ないが……アテナ王女。負けを認めるのであれば、これで終わらせる事もできるが……どうだ、わざわざ怪我をする事もないだろう?」
エスメラルダ王妃とエドモンテも入ってきた。エドモンテは、私を見て溜息を吐く。えー、いったいなんなのよ!
そしてエスメラルダ王妃は……あれ、じっとブラッドリーを見つめている。
ブラッドリー・クリーンファルトは、パスキアの双璧としても名高き将。この国では、英雄。気になるのは、当然の事かもしれない……だけど少し気にはなる。
セリューが前に出ると、共に4人の男達も一斉に出てきて、訓練場の中央に立った。
更に部屋に入ってくる人達。フィリップ王と、一緒に見物にやってきた者達で訓練場がいっぱいになる。
もしかしたら、判断を間違えた? ううん、これでいいはず。これで私がパスキア四将軍に勝てば、第二王子であるセリューへの印象はますます悪くなる。そしたらきっとそれは、縁談の話にも多少なりと作用するはずだから。
縁談は最終的には断るつもりだけれど、できれば向こう側から、無かった事にしてくれと言ってもらえるのがベストだと思った。
「それじゃ、始めましょうか」
どよめく訓練場。やはり他国の腕自慢の王女と、この国が誇る将軍の試合は、かなりの注目を集めていた。クロエの心配そうな声。
「アテナさん!」
「大丈夫だから。これは単なる手合わせ。心配しないで」
私の後に、イーリスとカミュウがついてくる。3人でセリュー達のいる訓練場中央まで行き彼らと向かい合うと、知っている顔の男が前に出た。酒場で問題を起こした男、ロゴー・ハーオン。そして更に如何にもといった感じの3人。
なるほど、これがパスキア四将軍ね。
準備ができると、訓練場の中央にいる私達を見守る者達の中から2人が出てきて、私とセリューの間に入った。
1人はフィリップ王。そしてもう一人は、真っ白なフルプレートメイルに身を包む大男。それを見て、あのドルガンド帝国のジーク・フリートを思い出した。あっちは、真っ黒でこっちは真っ白だから。対極だけど、なんとなくね。
セリューがフィリップ王に言った。
「それでは始めてください、父上。こちらはロゴー・オーオンが、アテナ王女とお手合わせしたいと申し出ております」
「あい解った。それでは、アテナ王女、ロゴー・ハーオン! 双方、武器を持って前へ進み出よ!」
向こうから木刀を持った兵士が、ちょこちょことこちらに駆けてくる。それを見て、私はセリューに言った。
「真剣勝負ではないのね。まあ……その方が安全か……」
セリューは、明らかにその表情に怒りを浮かべると、木刀を持ってきた兵士を下がらせてフィリップ王に言った。
「父上、アテナ王女は、こう申しておりますゆえ、この場は真剣で勝負をさせて頂けませんか?」
「な、ななな、なんじゃと? そ、それは流石に危ないであろう!?」
フィリップ王の動揺をよそに、私はセリューと睨み合っていた。カミュウはいい子っぽいけれど、やっぱり結婚は今は誰ともする気もないし考えられない。
エスメラルダ王妃やイーリスには悪いけれど、ここは扱いにくい王女だと思われる方がいいと思った。あと、ロゴー・ハーオンには、酒場での一件もあるしね。




