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第929話 『お手合わせ』



 訓練場には、まだ誰も集まっていなかった。


 この場にいるのは、私達の他に剣や槍などの稽古をしている王国兵が数人いる。その者達の様子からも、まさかこの場所で、今からクラインベルト王国の第二王女と、この国が誇るパスキア四将軍の試合が始まるなんて、思いもしていないだろう。


 ただ、この訓練場で、私達が来る前から一心不乱にサンドバッグを殴り続けていたブラッドリー・クリーンファルトだけが、今この場でイーリスから事情を聞かされていた。イーリスはにっこりと微笑んで、ブラッドリー・クリーンファルトの顔を覗き込む。



「ねえ、凄いと思わない? でも、いくらアテナが剣の扱いに多少なりと覚えがあるからと言っても、流石にパスキア四将軍にはかなわない。試合するのは、ロゴー一人だと言っても、まずかなわないわ」



 私は、言葉に困って特に何も言わない。すると、ブラッドリー・クリーンファルトは私の方を見て言った。



「あなたがクラインベルト王国、第二王女であらせられますアテナ様ですね。なるほど、クラインベルト王国のセシル国王のように聡明で、ティアナ前王妃の面影がある」


「え!! それって……もしかして、クリーンファルトさんは、お父様やお母様に会った事があるのですか⁉」



 これは知らなかった。ブラッドリー・クリーンファルトがお父様やお母様に会ったことがあるだなんて……流石に取り乱してしまった。



「私の事は、ブラッドリーとお呼び下さい」


「それじゃ、私の事はアテナと」



 ブラッドリーは、苦笑する。



「ははは、流石に他国の王女様を呼び捨てにするなど……いささか」


「いいの! うん、その方がいいわ。それじゃ、ブラッドリーにも立場があるだろうし、公の場以外では普通に接して欲しい。でもそうでない場所では、もっと親しみを深めたい。これは私からのお願いなんだけど……駄目?」



 少しあざといかなと思いつつも、上目遣いでお願いするように、ブラッドリーに迫る。そんな私の事をカミュウは、驚いた顔で見つめていたが、イーリスはその光景に笑っていた。



「いいですわ。それなら、ブラッドリー。アテナのいう通りにしてあげた方がいいんじゃなくて? その方が喜ぶというのでしたら、尚更でしょ?」


「そうですね、それでは……おそれ多い事ですが、そうさせて頂きます」



 私とイーリスは、顔を合わせ笑った。



「それでブラッドリー、あなたは私のお父様とお母様に会った事があるの?」


「ああ、会った事はある。随分と昔になるが……ティアナ前王妃は、とても美しくて優しい方だった。会ったのは、アテナ……君や君の姉君のモニカ様が、まだ産まれる以前だよ。セシル王も立派な人で……ああ、そう言えばセシル王はご健在で?」


「うん、とっても元気。そうなんだ、そんな二人が若い時に、ブラッドリーは会っているんだ」



 私が遠い目をすると、少し笑みを浮かべるブラッドリー。イーリスが、そんな私とブラッドリーの会話に割り込んでくる。



「それでブラッドリー。あなたからも何とか言って、アテナとパスキア四将軍の試合を止めてくれないかしら。わたくしがなんと言って怖がらせようとしても、全く怖がらないしし……このままじゃ、アテナは恥をかくだけでは、済まないかもしれない。もしかしたら、大怪我をするかも。わたくしとカミュウ、それにあなたも加わって許しを下さいと言えば、きっとセリューは、アテナを許してくれる」


「ほう……ですが私もこのパスキアに居ながらに、アテナの噂は耳にしております。それが果たして嘘なのか誠なのか……それにアテナは、あのセシル王とティアナ前王妃の実の娘ですからね。アテナ」


「え、うん」


「アテナの剣の師匠があの伝説級の冒険者、ヘリオス・フリートというのは真実なのか?」


「うん、本当だよ。私とモニカの師匠は、ヘリオス・フリート。エドモンテは違うけどね。もともとエドモンテは、剣とかそういうのは嫌いで、興味もあまりないみたいだったから」


「そうか、やはり真実か。それならこの勝負、とても面白い結果になるかもしれないな。いや、この場合は驚く結果という方がいいか」



 ブラッドリーの言葉に、イーリスとカミュウは驚く。



「どういう事なのかしら、ブラッドリー! それはどういう事なの⁉ 意味が解らないわ!」



 イーリスは、興奮した様子でぴょんぴょんと跳んでブラッドリーに迫った。見ていると、なんとなくイーリスが兎みたいで可愛いと思ってしまった。


 この子は今日初めてあった私の事を、怪我をしないようにって心配してくれているし、凄く優しい子なんだって思う。


 ブラッドリーは、唐突に私に何かを放った。咄嗟にそれを受け止める。するとそれは、サンドバッグなどを叩く時に拳を守る為のパンチンググローブだった。



「え? なにこれ?」


「あのヘリオス・フリートが師匠だと知って、断然興味がわいた。それにイーリス様は、それ程ご心配されなくても良いかもしれない。だからそれを、今からこの場で試してみましょう。どうだ、いいだろアテナ?」



 唐突の事にイーリスとカミュウは、呆然とした。クロエは手を合わせて、じっと見守ってくれている。



「え? ま、まさかブラッドリー」


「ええ、試させてもらいます。それでアテナの力量低く、ロゴーとの試合はとても危険だと判断すれば、私からもセリュー殿下に跪き許しを乞い、アテナとパスキア四将軍ロゴー・ハーオンとの試合を取りやめにしてもらいます。もともとアテナはこの国には、縁談でいらっしゃっていますしね。これで怪我でもさせたら、我が国の信用問題にも関わりますので。そういう事でどうだろうか、アテナ?」



 さっきまでの紳士的な顔つきから、一遍するブラッドリー・クリーンファルト。私は両手にパンチンググローブをつけると、ニヤリと笑って彼を睨み付けた。



「パスキアの双璧と呼ばれたあなたと、今ここで勝負できるなんてとても光栄だわ。殺し合いは嫌だけど、互いにどちらの腕が上か勝負するっていうのなら、嫌いじゃないわ。だからこんな願ってもないチャンス、むしろこちらからお手合わせをお願いしたいです。クリーンファルト将軍」

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