第895話 『黒い氷塊』
ルシエルの足もとに、炎が広がった。
「あっちあっちあっちっちーーー!!」
「ちょ、ちょっとルシエル!!」
「ちくしょー! 熱いけど、でもこれでようやく氷から脱出できた訳だ」
風属性の精霊魔法が得意で、いつもはそれを使いこなすルシエル。でも実は、その他の属性魔法も使える。
例えばマリンみたいに水属性魔法は使えないみたいだけれど、火属性はそれなりに使える。
だからジュノーに足を凍らされて、一時的に拘束はされたものの、火属性魔法を使用して氷を溶かして脱出したのだ。
……って言っても、炎で自分の足を焙る訳だから相当熱かっただろう。
でもなんというか、ルシエルらしい力技。
ジュノーは、ルシエルに目をやると舌打ちをした。
「ッチ! まともに使えるのは、せいぜい風属性魔法位のものだと踏んでいたが……火属性も使えたのか。まったく面倒だな」
「ウヘヘ、あまいあまい。オレは実は、二種類の魔法を使いこなせる、スーパーエルフちゃんなんだよーん!」
嘘をついている。ルシエルは、風や火の他にも属性魔法を使用できる。ジュノーに二種類しか使えないと思わせて、有利に状況を運ぼうとしている。
いつも調子がよくて、ときに粗暴さが目立ったりもする性格だけど、こういう所はなかなかやる。
ルシエルが私の隣に来ると、ジーク・フリートもジュノーの横に並んだ。再び2対2で対峙する。そう思ったけど、ジュノーがジーク・フリートの方を振り向くと、予想外の事を言った。
「頼みがある、ジーク」
「ああ、なんだ? 解っていると思うが……聞ける頼みと、聞けない頼みがあるぞ」
「ここからは、手を出さないでもらいたい。アテナは、私が倒す」
「……そう来たか」
「かまわないか?」
「俺達は、クラインベルト王国の第二王女を捕らえてこいと、上官の命令でやってきている。俺が手を出さないと言えば、あんたはアテナ王女を殺さないと約束できるか?」
ジュノーは、ジーク・フリートから視線を私にかえた。そして軽くペロリと舌なめずりをすると、ほのかに笑みを浮かべて答えた。
「ああ、約束するさ。当然だ。私達は上官の命令で、ここへやってきているのだからな。任務を確実に遂行する。それ以外に何がある」
「……なら、いいだろう。任せよう」
ジーク・フリートはそう言って、手に持っていた禍々しい剣を鞘に収める。そして腕を組んだ。傍観に徹するという事。
「ルシエル」
「あん? なんだよ」
「お願いがあるんだけど……」
「はいはい、解っているよ。メチャ強いアテナさんの事だから、心配もしてねーっしな。それじゃ、オレもここで見ているよ」
「ありがとう」
ルシエルとジーク・フリートが見守る中、私とジュノーはお互いに向き合って剣を構えた。
「正直、舐めていたよ。なにせ、お姫様だからな」
「そうなんだ。でも姉のモニカの事は、流石に聞いた事があるんでしょ?」
「ああ。現在は、クラインベルト北方で、国の防衛を任せられているモニカ・クラインベルト。第一王女であり、辺境伯でもある彼女には、我々ドルガンド帝国の兵達は今まで何度もコテンパンにやられていると聞いている。王女でありながら、唯一油断ならない女だと思っている。だがいずれそのモニカ・クラインベルトも、私に倒される運命にある」
「ふーーん。でもそれは、きっとかなわないと思うよ」
「どういう意味だ?」
「簡単。モニカは、あなたより絶対に強いから」
言った瞬間、一気に距離を潰された。瞬きするよりも早く、ジュノーは私の真ん前まで移動すると剣を振ってきた。かなり早い振りだけど、上体だけ反らして回避する。もとの体勢に戻るついでに、二刀で斬り込んだ。ジュノーも、私と同じくらいのスピードで避けた。
再び、剣を振り互いの剣が重なり合った。鍔迫り合い。
「なるほど。偉そうなセリフを吐くだけの腕は、あるようだな」
「あなたこそね! でも、ドルガンド帝国最強の剣士っていうのは、ちょっと言い過ぎじゃないかしら」
ジュノーの顔つきが変わった。再び打ち込んでくる。物凄い剣速、そして早いのにしっかりと腰の入った、重い一撃。二刀流で応戦しているけど、片手で受けきれない一撃は二刀で受けとめた。
「やるではないか」
「あなたもね!」
「それでは、これでならどうだ!」
ジュノーは、手に持っている剣を左手に持ち帰ると、右手を勢いよく横へ払う。すると右手からまるでツララのような氷が発生し、長く伸びて氷の剣になった。
「フフフ、これで私も二刀流だ!! 防げるかな!!」
大きなつららのような氷の剣と、金属の剣。交互に打ち込んでくる。それをツインブレイドで丁寧に弾き、防ぎ受け流す。
「たあっ!!」
素早く踏み込んで、フェンシングのように彼女の喉に向けて突きを放った。彼女は、咄嗟に氷の剣の方で防ごうとしたが、私の放った突きは、氷の剣を砕いた。剣がジュノーの頬をかすめる。僅かに血が流れる。
ジュノーは、私から距離をとると空に向かって剣を掲げた。するとジュノーの真上に大きな氷塊が生まれ、どんどん巨大になっていく。また氷塊は大きさを増すにつれて、その色もまるで黒曜石のように真っ黒になっていった。
――――黒い氷。
「おいこら、ジュノー! 殺さないという約束だぞ!」
ジーク・フリートが、慌てた声をあげる。それ程までに、この黒い氷はヤバいの!? 確かに私の第六感が危険だと叫んでいる。
「アッハッハッハ! ジーク、もちろん約束を覚えているぞ。私はアテナを殺さないように努力はしているつもりだ。だが、それでこちらが傷つくのも馬鹿らしい。殺さぬつもりでいるが、結果殺してしまったら申し訳ないと今のうちに謝っておくぞ!」
ジーク・フリートが、踏み込んでこようとしたが、ジュノーが激しく睨みつける。
「邪魔をするな、ジーク!! 邪魔をすれば、お前も私の標的だ!!」
真っ黒な氷塊は、巨大になり、まるでコンペイトウのような尖った形になった。
「アテナ、お前がもう少し弱ければ、私もこんなにもムキにならずに済んだのだが……残念だ。こうなってしまっては、もう助からない。さらばだ。≪黒曜氷塊!!≫」
ジュノーは、掲げた剣をこちらに向けた。すると空中で完成した黒い氷塊は、私の方へ向かってきた。ううん、向かってきたというよりは、落ちてきたという方が正しいと思った。




