第889話 『無断乗車』
どうも気配を感じる。
何処にいると聞かれれば、そこにいるってはっきりとは言えないし、目で捉えた訳でもない。だけど、何処かで見られている気配を感じている。
もしかしたら、私達が無事にパスキア王国へ到着するよう……そして途中で、何処かへ雲隠れしないように、アシュワルドかその配下が私達の後をつけてきて、見張っているのかもしれないと思った。
再び走り出す馬車。
途中、色々あったけれどパスキア王国へは入国を果たしたし、この山を越えればいよいよといった感じ。
パスキア王子との縁談の件を考えると、確かに頭が重いけど、かつて幼い時に一度しか来たことがないパスキアに、また足を踏み入れるというのは、ドキドキするし楽しいかもしれないという気持ちも仄かには感じていた。
うーーん。どうせなら、何処かで時間を作って、いい場所でキャンプを楽しめないかな。
「いやーー、しかしあのおっさん、えらい強そうだったな。はっはっはっは」
御者をする私の隣には、またルシエルが座っていた。なぜか、笑い転げている。
「本当に、勝負しなくてよかったよ」
「なに? まさか、アテナはオレが負けるとでも思っているのか?」
「負けるとでも……って、そもそも戦ってもいない相手でしょーが。アシュワルドの本来の仕事はね、国境警備なんだから。しかもその管轄の、全兵士の司令官だからね。国を守るっていう大きな役目が、彼にはあるんだから。とてもルシエルなんかに、かまっていられないんじゃないかな」
「うーーん、そうだった。そういや、そんな事を言っていたな。でも勝負したら、オレのがきっと、間違えなく強いー!!」
そんな事を言っている負けず嫌いのルシエルに、私はクスリと笑いながら言った。
「どうかなー。アシュワルドは、その外見通りにとても強そうだけど、本当に強いんだよ。王国でもアシュワルドに対抗できる剣士なんて、ゲラルド位なものだよ。だからきっとルシエルなんて、簡単にポポンのポポンよ」
「なんだよー、その狸みたいなのー。じゃあそんなにあのおっさん強いなら、アテナよりも強いのか」
「そりゃあ……」
少し言葉に詰まったけど、ちゃんとこたえる。
「私はキャンパーだから。対してアシュワルドやゲラルドは、剣士でしょ。そーゆー訳で、残念ながら比較対象にはなりません」
「なんだよなんだよ。それじゃ、オレも【アーチャー】で【エレメンタラー】だから、アレだよ。アレ。オレもアレだかんなー!」
興奮してこっちによってくるルシエルを、片方の手で押して遠ざけた。
そんな何気ない会話を続けていると、ドサッという大きな音がして馬車が大きく揺れた。ルシエルがキョロキョロと辺りを見る。
「な、なんだ? 今の衝撃は!!」
「なんだろう……」
馬車を停車して、何があったのか確認するべきか。それともこのまま無視して、走り続けるか。悩んでいると、馬車の後部から、ルキアの悲鳴が聞こえた。
「きゃあああ!!」
何が起きたのか、ルシエルと共に慌てて振り返る!! すると、なんと馬車を覆っている幌の上に人が立っていた。木の上か、もっと山の上の方か……兎に角、その人は上からこの馬車に飛び降りてきたのだ。
「アテナ!! こいつ、賊か⁉」
「ううん、違うと思う」
その人は漆黒の鎧に身を包み、黒いマントをはためかせてこちらを見ていた。兜で顔が覆われていて、表情どころか性別すらも解らない。
「アテナ・クラインベルトだな」
ガラガラの焼けた声……だけど、それで男だと解った。
「いきなり、人の馬車に無断で乗り込んでくるって、どういうつもりか解らないけれど、何か用かしら?」
漆黒の鎧に身を包んだ男……その雰囲気で、かなりの強者だと解る。ルシエルもそれに気づいて、弓矢を男に向けて構えていた。
「もう一度、質問する。アテナ・クラインベルトとお見受けするが、相違ないか?」
「私もあなたが何者なのか、聞いているんだけれど。何か用なの?」
「親に教育されてねーのか? 質問に質問で返すな。俺の質問が先だ」
ルシエルと顔を見合わせる。なに、この黒い剣士……
「じゃあ答えてあげるわ。違います。人違いです」
「…………」
「…………」
暫し沈黙。男の真下、馬車の中からノエルが顔を出した。そして何か頷いて、サインを出している。きっと、悲鳴をあげたルキアとクロエは無事だと言っているのだろう。
まあ、馬車後部には、ノエルの他にマリンもいるから、大して心配はしていないけれど。
走り続ける馬車。いきなり無断乗車してきた漆黒の剣士との会話は続く。
「お前、アテナだろ。アテナ・クラインベルトだろ!」
「違うって言っているでしょ! 私はアテナ・クラインベルトじゃない!」
「なら、名を言ってみろ!」
「あなただって名乗りなさいよ!!」
「何度言えば解るんだ! 先に質問したのは俺だぜ。先に応えろ」
ムキ――!! ちょっとムカついてきた。なんなのよ、この黒剣士!!
「はいはい、それじゃ仕方ないから、答えてあげるわ。私はキャンプを愛するキャンパーよ。冒険者でもあるけど、それだけよ!」
「キャンパー? 名前を言え!」
「人違いって言っているでしょ!! 私の名前はアテナ・フリート!! ほら、あなたの言っている人じゃないでしょ!!」
…………
ゴロゴロゴロ……
暫く馬車の音だけになった。馬車に乗っている黒い剣士と会話しながら、同時に御者をしているので身体を捩っている。凄く、しんどい……
「それで、あなたは何者? 答えたんだから、今度はあなたが答える番でしょ?」
「そうだな、じゃあ答えてやろう。俺の名はジーク・フリート」
!!!!
ジーク・フリート!? フリートって……
隣で弓矢を構えているルシエルが、反応する。
「おうん? フリートって、アテナの師匠の名だよな?」
「うん。でも師匠はジークじゃなくて、ヘリオス。ヘリオス・フリート」
また漆黒の剣士と見合う。
「それで、あなたは何者なの? それはまだ聞いていない!」
「答えてやるさ、慌てるな。俺はドルガンド帝国の将軍だ。クラインベルトの第二王女を捕らえる為に、わざわざこんな山奥くんだりまでやってきた者って訳さ」
漆黒の剣士がそう答えた刹那、彼の足元から水のビームが飛び出した。馬車の中で会話を聞いていたマリンが、漆黒の剣士を敵だと判断して、問答無用で【貫通水圧射撃】を放ったのだった。
狙いは、首。ジーク・フリートと名乗る漆黒の剣士は、慌てて首を捻って後ろに下がり、マリンの放った恐ろしい程貫通力のある水圧ビームを寸ででかわして見せた。




