第886話 『ティアナからアテナに。そしてアテナからルキアヘ。』
景色はやっぱり変わらず、山の中。草木生い茂る鬱蒼とした狭間に、道が一本。馬車でゴトゴトと進み続ける。
山道だから悪路が多いし、傾斜もキツい場所がある。だけど私達の乗る馬車を引いてくれている牛、プッシュオックスは、まったく疲労を見せずに、黙々と目的地に向けて移動をする。馬なら速度があっていいと思っていたけれど、山越えは馬じゃなくて良かったかもしれない。
暫くしてなだらかな道が続くと、大木を見つける。私の隣に座って、さっきからずっと辺りの景色をキョロキョロと見回しているルキアに話しかけた。
「ルキア」
「はい、なんでしょうか」
「そろそろだよ」
「え? そろそろって何がですか?」
「えへへー、直ぐそこに大きな木が見えてきたでしょ?」
「え、あっ、はい! とても大きな木ですね。まるで御神木みたいです!」
「なるほど、御神木か。あの木、この山で一番大きな木なんだって――お母様が昔、私に教えてくれて。その頃から変わりがないから、きっと遥か昔からある木なんだよね」
「え? アテナのお母さんがですか?」
「うん。因みに、お母様って言っても、エスメラルダ王妃じゃないからね。前王妃のティアナ。私と姉のモニカを生んでくれた、とても優しくて素敵で大好きなお母様」
「ええ、凄いです!! そうなんですか!! じゃ、じゃあアテナは昔、この道を通った事があるんですか?」
まだ私が、とても小さい頃。ドルガンド帝国のヴァルター・ケッペリンに攫われる事件のもっと前の話。だから、師匠にもまだ出会っていないし、キャンパーでもなかったあの頃。
「私が今のルキアよりも、もっと幼かった頃かな。隣国であるパスキア王国には一度、行った事があるんだ。お父様とお母様、モニカも一緒だった。そして護衛には、爺とゲラルドがついてくれたんだよ。もちろん、大勢の兵士もいたけど」
「そうなんですか。ゲラルド様と、爺……ミュゼ・ラブリック様にもお会いしたので、顔が浮かびます」
「フフ、そうだね。爺にお尻を叩かれちゃったとこ、見られちゃったもんね」
アハハと照れ笑いすると、ルキアも笑った。あれはちょっとお姉さんとしては、見せちゃ駄目な場面だったよねー。
でもノクタームエルドは、救えた。
リザードマンやドゥエルガルから、ドワーフの王国を救う為に、エスメラルダ王妃子飼いの鎖鉄球騎士団、団長のゾルバ・ガゲーロと取引して助力してもらったけれど、あれは英断だったと思っている。
あの時は1人でも、ドワーフの王国の民を助けなきゃって思っていたし、ベップさんやユフーインさん、ジボール、ミリー、メール、ユリリア、デルガルドさん、ガラハッド王……他にも沢山の人の命がかかっていたから。
皆を少しでも確実に助ける為には、あれは必要な事だった。地竜の出現には、正直焦ったし、必殺の【金剛斬】を使用して一刀で倒したものの、もしもその手の大技を温存し、戦っていればかなり大変な相手だったかもしれない。
だからゾルバと取引し、不安材料を少しでも削った。
その取引こそが、エスメラルダ王妃が以前より推し進めていた、パスキア王子との縁談。
とりあえず私は今、キャンパ……冒険者をやめる気もないし、結婚する気もないけれど……でも、それであの時の借りを返す事ができるのなら、王子に会って話をするくらいならいいと条件を呑んだ。
ドワーフの国の一件が片付いた後、私は仲間を連れてクラインベルトの王都へ、一度戻ったのだ。
だからルキアだけでなく、ルシエル、ノエル、マリン、カルビ……クロエはその後に出会ったので、アレだけど……他の皆は、お父様にも爺にもゲラルドにも会っている。
「あれ? じゃあアテナは、パスキアの王子様に会った事があるんですか?」
「うーん、どうだろう。正直言うと、よく覚えてないかな。パスキアの王子は、全部で4人いてね。エスメラルダ王妃が、私の縁談相手として話を進めている相手は、末っ子のカミュウ王子。カミュウ王子の年齢は、ルキア位だったかな。だからあの頃……彼は、まだ産まれてもいなかったんじゃないかな……でも、第一王子のエリック王子と、第二王子のセシュ―王子には会ったよ」
上から三番目までの王子は、私よりも年上だったはず。そして一番下のカミュウ王子が、ちょっと後にできた息子で、三男とは歳が離れている。うん、そんな認識であっていると思う。
「そうなんですか! でも、パスキアの王子様にあっているなんて凄いです!! あっ、でもでも、アテナも王女様だから別にそうでもないかもしれないし……」
「あはは、そうだね。でもそう考えると、ルキアはかなり凄いかもしれないね」
「え? なぜですか?」
「ある国の王女が、他国の王子や王と会う事なんて、別にありえる事だけど、ルキアはほら……王族じゃないけど、王族に会っているじゃない!」
別に自分が王族の端くれだって、わざわざひけらかすつもりはなかったけれど、ルキアが笑ってくれるかなと思ってジョークのつもりで言ってみた。だけどルキアは――
「ああっ!! 確かに!! ミシェルとエレファ!! 私、二人も王女様に会ってます!! ううん、ドワーフの王国ではガラハッド王とガラード王子にも会っていますから……そういえば、リアと一緒にルーニ王女とも友達になりました。そう考えると確かに私、一介の冒険者にすぎないのに、こんなにも沢山の国の王族の方々と知り合っているなんて、普通じゃありえない事ですよね!! 」
ズッコケる。おいおい、ちょっとちょっと忘れてる、忘れているよ。目の前にも一人、いるんだけど……
ルキアは、凄くしっかりしていて真面目だけど、たまにこうして意表をついて、天然パワーを全開してくる所があるから、困ったもんだね。
だけど今更、わ、私も一応はプリンセスなんですぞ! って言うのも恥ずかしくて、その言葉をゴクリと呑みこんだ。ルキアにとって、私は信頼してもらえる仲間であり、頼れるお姉ちゃんであればそれで満足だから。
馬車の中からは、ルシエルとマリンの笑い声。続けてノエルと、クロエの会話も聞こえてくる。そんな心地よい仲間の雑談などを耳にしながらも、ルキアと2人でのんびり楽しい話に華を咲かせていると、馬車はルキアが御神木みたいだと言った大木の前を通過した。
私はルキアの顔を見て、彼女と目を合わせると満面の笑みで言った。
「はいーー!! ルキア、ついに通過しましたよーーー」
「え? あっ、確かに通過しました! でも大きな木の前を通過しただけですよね? 何かあったんですか?」
「うん、それだけじゃないんだよねー」
「どういう事ですか?」
「国境を、通過したって事。あの大木から先、今はもうここはクランベルト王国ではなくて、パスキア王国に入国したんだよ」
驚いた顔をするルキア。そして慌てて馬車の中へ飛び込んでいく。すると、ルシエルやノエルの驚きの声があがった。クロエも相変わらず小さな可愛い声だけど、驚いている驚いている。フフ。
私の母親――ティアナ前王妃。
ずっと昔、皆でこの場所を馬車で通った時に、お母様が私に教えてくれた事。あの時、確か私も今のルキアみたいな反応をして、飛び跳ねて、はしゃいでいた気がする。クラインベルトからパスキアに入った時、まるで別世界に足を踏み入れたみたいだって。
あはは、同じヨルメニア大陸だし、すぐ隣の国なのにね。不思議。
でもあの時のお母様が私に教えてくれた国境の話を、今度は私がルキアにしているこの瞬間を、とても面白くてなんだか素敵な事に感じた。




