第807話 『絶対に逃がさない!』
ドルガンド帝国兵士は、こちらを振り返り、私が追ってきている事を確認すると、大声をあげながら逃げ出した。
逃がさん!! ここまで来たら、絶対に逃がさないぞ!! 駆ける。人混みをすり抜けて、後を追う。
奴は、私の事を知っている。クラインベルト王国騎士団である事を知っている。この私から、これほどまでに逃げるという事は、あの男がそれだけ重要な情報を持っているのかという事。
そしてそこから一番考えられる事は、ドルガンド帝国と、『闇夜の群狼』の関係。
そうだとすれば……いや、私はそうではないかと睨んでいるが、このメルクト共和国の混乱も裏で手を引いているのは、ドルガンド帝国かもしれない。
あくまでも実行犯は、『闇夜の群狼』で、それをバックアップしているのがドルガンド帝国。それでメルクトが賊の手に落ちれば、国の一部をドルガンド帝国が占領する。そんな所だろう。
我がクラインベルト王国と、ドルガンド帝国の冷戦は今も尚続いている。
ドルガンド帝国は是が非でも、我がクラインベルト王国の肥沃な大地を手に入れんがために、隙あらば狙ってきている。
その証拠に奴らは、かつて我が国に進行してきた。私達は、あの時の帝国の所業を忘れはしない。アテナやティアナ前王妃を攫った事。
最近もあった。テトラやセシリアが活躍して救い出してくれたが、ルーニ様を攫った。
ドルガンド帝国の卑劣な行いに関しては、決して許す事ができない。そして油断もできないのだ。
だから私は陛下に……クラインベルト王国に仕える騎士として、あのドルガンド帝国兵士を見逃すわけにはいかない。
何か絶対に企んでいるし、あの男をここで捕らえて尋問する事ができれば、何か良からぬ事を決行しようとしていても、それらを未然に防ぐ事ができるのだから。
「待てーー!! 絶対に逃しはしないぞ!! 無駄な抵抗はやめろ!!」
ドルガンド帝国兵に私の声は届いている。だが、足を止める気配はない。
男が通りの角を曲がった所で、誰かに大きくぶつかって倒れた。チャンスだ。
「っひい!」
「おいおいおいおい、いきなりぶつかってくれちゃってよー。どうしてくれんだ? ああ?」
いかにもゴロツキ。男はすぐさま立ち上がり、いきなり目の前に現れた数人のゴロツキを避けると、また私から逃げようとした。だが男にぶつかられたゴロツキは、彼の腕を掴む。
「おいおいおいおい、待てや!! 待てって!!」
「離せ!! 今、急いでいるんだ!!」
「はあ? そっちからぶつかってきてくれちゃってよー、そりゃねえんじゃねえか? ああん? だよな?」
ゴロツキは、隣にいる相棒に話しかける。お陰でかなり距離を縮めた。もう追いつくぞ。
「ああ、そうだそうだ。こりゃいけねえや。オレっちの相棒の腕、これ折れてるかもしれねーや?」
「どれどれ、俺にも見しちくり。あーー、こりゃ駄目だ。折れてるし、アレだ。アレ。なんだっけ?」
「打撲だろ?」
「そう、それんなってるわ」
「って訳だ、お兄さん。その服装からどっかの軍人さんのようだが、そんなのこの交易都市じゃ通用しない。慰謝料と治療費、あと折角だからこの道の通行料を頂いていこうかな」
「そうだ、そういう訳だ。さっさと出せや!!」
「ぐっ、くそー!! 追いつかれた!!」
ゴロツキ共に絡まれている、ドルガンド帝国兵。そのお陰で私は、追いつくことができた。剣を抜いて男に近づいていく。
「あん? なんだ、あの綺麗な赤髪の姉ちゃんは」
「すげーー、美人じゃん!!」
「ワイ、恋をしてもーたで。唐突な恋や。早速やけど、ワイのお嫁さんにしよーかな」
「あん? 駄目だ、このべっぴんさんは、俺の彼女にする事に決めたんだ!!」
「ずりーーぞ!! 俺のだ!!」
仲間内で揉め始めるゴロツキ共。美人だの、べっぴんだのと言ってくれるのは嬉しいが、ゴロツキは趣味じゃないし私は誰のものでもない。
……いや、唯一誰かのという事であれば、ア……アテナの……かな。でゆふ……でゅふふふ……
ええい、こんな時に何を考えているんだ、私は!! あの男から、さっさと情報を聞き出さないといけないのに!! 気を引き締めなければ!!
一瞬妄想に取り付かれてしまった私は、反省をした。
ドルガンド帝国兵を囲んだまま、仲間内で揉めているゴロツキ共。次第に騒ぎが大きくなる。
ここは大きな通りだったが、この異様な感じに、周囲を歩いていた通行人達は、私達から大きく距離をとってこちらの様子を見ていた。
これ以上の騒ぎになる前に、このゴロツキ共にどうにかご退場頂いて、ドルガンド帝国兵士を捕縛するか。ゴロツキ達が囲んでいる男に近寄ろうと前に出た、その時!!
ゴロツキの一人がいきなり崩れて、倒れた。
ドルガンド兵士の手には、血の付いたショートソード。
「おい、貴様!! 何やってくれてんだあ⁉ オレッチの仲間に、なにしてくれちゃってるんだああ??」
仲間がやられると、ゴロツキの1人が逆上する。ドルガンド帝国兵士の襟首を掴んで、締め上げようとする。しかし、その腕が地面にボトリと落ちて鮮血が舞った。悲鳴をあげるゴロツキ。
しかしドルガンド帝国兵士は、直ぐにその腕を斬り落とした男の首に、剣を深くさしてとどめをさした。
「こうなっちゃ、もう仕方がねえ。お察しの通り、俺はドルガンド帝国の間諜だ。必要のねえことに首を突っ込みたくもないし、任務だけを遂行して終わりにしたいと思っていたんだがな……こうなっちゃ、もうどうにもならねーや。それにローザ・ディフェイン、あんた絶対俺から知りたいことを聞くまで、逃がしちゃくれないだろうし。万が一、俺の身柄そのものをクラインベルト王国になんて送られたら、俺は間諜としてだけでなく帝国民として完全に終わりだからな」
「なるほど。つまり、こういう選択をとると」
「そうだ。ほうっときゃいいのに、ほうっとかない、この馬鹿の集団も含めて、全部ここで消し去る。どうせ、もういい。そろそろ俺は、一度メルクトから離れるつもりだったし、それで解決だろう」
「そうか。だが、生憎だったな。お前を追い詰めたのが私、ローザ・ディフェインなのだ。お前はどちらにしても逃げられはしない。リーティック村での決着を、つけさせてもらうぞ」
剣を向ける。すると、頭上から影が二つ振ってきた。ダガーと斧。咄嗟に前転で回避しつつ振り返ると、そこにはボロボロのローブを纏った仮面の刺客が二人立っていた。
「ローグウォリアーと、ビーストウォリアー!! 追いつかれたか!! っという事はシェルミーは⁉」
小柄な方、ローグウォリアーが笑う。
「フッフッフッフ。さあ、どうなったと思う?」
「貴様ああああ!!」
まさか、シェルミーの身に!!
先にドルガンド帝国兵を捕縛する事が先決だという事は理解しているのに、冷静でいられない。
私の怒りは、二人の刺客に向いていた。




