第782話 『デューティー・ヘレント その1』
「ドスコイ、もう自分、動けないッス!」
「アチキのお腹も、まるで水風船みたいになってしまっている……うっ……出るかも……げぷりっ」
「こら、こんな所で……2人共、調子に乗ってあんなに食べるからですよ! もうちょっと考えて食べてください」
『はーーーい』
ファーレに怒られている、チギーとハル。
何はともあれ、果樹園内の密林みたいなエリアを歩き、その奥にある屋敷に辿り着いた。
屋敷の前には警備兵の他に色々な果実を仕分けている者や、それを運搬している者など従業員が何人もいた。
「それじゃ、少しここで待て」
「よろしくお願いします」
ファーレの事を気に入ったのか、麦わらのおじさんは彼女に向かってそう言うと、こちらを警戒している警備兵に何か言って、屋敷に入って行った。
ハルがそっと近づいて来て、耳打ちした。
「不審者だ、あいつらを始末しろ」
しょうもないという目で、ハルを見る。
「いやん、冗談だって、冗談。あはははは、セシリアはもう真面目ちゃんだね」
「そうかしら? 私はこれでもクラインベルト王国の王宮メイドだけれど、そこでは、王宮一のひょうきんメイドとして有名なのよ」
「あっはっはっは! 絶対嘘だーーーって。まあ確かに今、セシリアのユーモアを垣間見た感じはするけどね」
ハルはいい子だと思った。アテナ様は思う存分キャンプをしたいから、それができる冒険者になるとおっしゃられていたけれど、今は自由に冒険者をおやりになられている。
だとしたら、こんなハルみたいな子とも出会われたりもして、楽しい旅を続けられているのだろうか。ふいにそう思った。
そんな事を思っていると、チギーは果実で膨れたお腹をどうにかしようと、軽い運動を始めた。
その場で跳ねたり屈伸したりする程度だけれど、そしてそうこうしていると屋敷の扉が開いて、麦わら帽子をかぶるおじさんと一人の女性が姿を現した。
この人は、知っている。リッカーの住処で、一度会ったから。
フルーツディーラー、デューティー・ヘレント。そしてリベラル最高権力者の、十三商人の一人でもある。
確率は13分の1。もしかしたら、この人が私達の敵である、『狼』かもしれない。それをどうやって調べるかは、まだ見当もつかないけれど、とりあえずまずは接触してみる事。そして彼女の事を少しでも知る事から、始めるしかない。
「あーら、いらっしゃい。これはちょっと驚いちゃうお客様ね」
「グランドリベラルのラウンジで、お会いしましたね。私はガンロック王国から遥々とやって参りました、商人のファーレと申します。こちらは、私の護衛のチギー・フライド。そして、クラインベルト王国からきました伯爵の娘、セシリア・ベルベット。そしてこちらは、道中たまたま知り合った冒険者ハルです。彼女とは、ヘレント氏に会うという同じ目的で、行動を共にしていました」
「へえー、4人とも凄く可愛らしいわね。失礼な発言をしているのだとしたら、他意はないので、大目にみて頂けますかしら。率直に、可愛いと思っただけなのよ。それとーー、セシリア・ベルベットさんね。あなたと、そちらのピアニストで商人のファーレさんは、一度お会いしているわよね。ううん、グランドリベラルでも会っているから、セシリアさんとは二度目かしら」
そうだろうとは思っていたけれど、やはり彼女も私の事を覚えていた。
だいたいこういう偉い立場の人は、自分にとって有益な人物以外の人の名を覚えない事が多い。
覚えている人もいるけれど、圧倒的にそうだと私は思っている。それが悪い事だとは思わないけれど、多忙な者は余分な事に意識を割かない。
でも……彼女は私の事をしっかりと覚えていた。あの時は、今みたいに汚れた服ではなくシェルミーに着せられた綺麗なドレス姿だったからなのだろうか。
「ええ、リッカー氏に会いにいった時と、グランドリベラルでお会いしましたわね」
「ウフフフフ、やっぱりそうよね。でもあの時……随分とリッカーとは、揉めていたみたいじゃないの。その後、大丈夫だったの?」
デューティー・ヘレントにやっと会えたのだから、ここはまず一手。それで反応を見る。
「大丈夫というのは……もしかして彼が、『闇夜の群狼』と関係を持っている。もしくは、幹部であるからという事ですか?」
リッカーが『狼』であるのかどうか、それは定かではない。けれどこの一手を打つことで、新しい情報を得る事ができるかもしれない。
その証拠に『闇夜の群狼』というワードを聞いて、デューティー・ヘレントの顔が明らかにこわばった。
「それはあなたの考え?」
「いえ、そうではありませんわ。ただ噂を耳にしたんですの」
デューティー・ヘレントは、辺りをキョロキョロと見回す。そして私に近づいてくると、囁くように言った。
「クラインベルトからこのメルクトまで、この時期にわざわざお越しになられたという事は、この国の内情は当然ご存じよね?」
「もちろんですわ」
「なら、こんな場所でそんな事をいっちゃ駄目よ。『闇夜の群狼』には、暗殺や諜報を目的とする集団もいるんだから。でもあなたのお話には、興味津々。続きはお家の中で話しましょう」
彼女はそう言って微笑むと、どうぞと言って屋敷に入って行った。
ファーレの顔を見ると、心配そうな表情。きっと私が、相談もなくいきなり強烈な一撃を放り込んだから。でも場合によっては、虚を突く方がいい時もあるのだとしたら。
麦わら帽子のおじさんは、私達に一瞥するとまた作業に戻ったのか、何処かに行ってしまった。
私とファーレ、それにチギーとハル。皆でデューティー・ヘレントの屋敷の中に入った。




