第77話 『荒野のセレナーデ その2』
ナジームさんと一緒に、酒場に入った。
カウンターに座ると、ナジームさんはバーテンにお酒を注文した。
「ウイスキー、ロックをダブル。この子には、何かジュースを――それと……この使い魔のウルフには、ミルクを頼む」
バーテンは頷くと、オーダーを作り始める。氷入りのグラスにウイスキーを注ぐ。私には、ココナツジュースという飲み物が出された。グラスを触ると、ジュースはよく冷えていた。私は、ごくりと唾を飲み込んだ。
「頂きます」
ごくごくごく…………
――――――!!
美味しい!! こんなもの、今まで飲んだことがない! ココナツジュースという飲み物は、物凄く甘くて私好みの味だった。
「美味いか?」
「はい! 物凄く美味しいです! これは、ココナツっていうフルーツなんですか?」
「そうだ。美味いだろ? 熱帯地方に生えるヤシという木に実る、果実だ。実は凄く固くて、そのままではどうにもならないが、穴をあける事ができれば、その実の中にルキアが今飲んでいる甘いジュースが入っているんだよ」
熱帯地方に、ヤシ、そしてココナツの実。全て初めて聞く名前だった。世界は、私が知らないもので溢れている。そして、もう一つ気になるものがあった。
「ナジームさんが飲んでいるお酒ですが……お店の人は、この中に入っている氷を、どうやって手に入れてお店で出しているんですか?」
ナジームさんは、笑って答えてくれた。その笑った顔は、少し私のお父さんに似ているなあって思った。
「いい質問だ。氷は、そういう氷を生成できる魔道具で作る事ができる。勿論、原動力には魔石を使用するのでとても高価な代物だ。他にも、そういう事を生業としている魔法使い……ウィザードに依頼して氷魔法で作ってもらうという方法もある」
「氷を作れる魔道具に、氷魔法ですか! 確かにそれなら氷は手に入りますけど、凄いですね」
そう言えば、アテナやルシエルも魔法を使えるけど、水魔法はおろか氷魔法を使っているところを見たことがない。このガンロック王国で、荒野を彷徨って脱水症状になって危なかった時も、そういう魔法は一切使わなかった。きっと二人とも使えないんだ。
「ところで、ナジームさんはどうして、ここへ来たのですか? 喉が渇いたから……ですか? さっき購入したネックレスはどなたにプレゼントするんですか?」
「はっはっは。質問攻めだな」
ナジームさんは、そう言って笑う。私は、言われてはっとした。そして、顔を赤くして俯いた。
「確かに気になるよな。うん。気になる。バーテン! もう一杯同じものを頼む」
ナジームさんは、お酒をもう一杯注文すると、話し始めた。
今から、約5年前――――ナジームさんは、今と同じく行商人としてガンロック王国を渡り歩いていた。ある日、荒野を旅していると、盗賊団に遭遇し全財産と所持品を全て盗られてしまった。水も食糧も何もかも。
命は奪われなかったものの、盗賊たちがなぜ、ナジームさんの命をとらなかったかという疑問が残った。でも、暫く荒野を彷徨っていると、その疑問はすぐに解けた。
何処までも荒れ地が広がる荒野、灼熱の太陽が大地を焼き焦がす。夜は、寒さで眠れなくなる。テントもなく魔物が現れても、身を守れない。武器も奪われてなにもない。いつ襲われるかという不安。荒野で延々と続く恐怖と疲労。
――――そう、殺さなくても、そのままほうっておいたら死ぬ。盗賊たちは、ナジームさんを、より苦しめる為にそうしたのだ。ナジームさんをあえて、荒野のど真ん中に放置したのだ。
やがて、荒野で彷徨い疲れたナジームさんは力尽きて倒れた。食べ物はおろか、水も飲めず炎天下にさらされ地獄だっただろう。
「ナジームさんが、私たちをあんなにも親身になって、捜索してくれた理由が解った気がします。何処までも続くような広大な荒野で、あてもなしに私たちを必死になって探し出してくれた理由が」
「はっはっは。前にも言ったが俺は当たり前の事をしただけさ」
ナジームさんは、更にバーテンにお酒を注文した。そして話を続ける――――
ナジームさんは、荒野で倒れやがて意識もなくなった。消えゆく僅かな意識の中で、自分はこのままここで力尽きて死んでしまうのだろう。そういう行商人は、世の中に山ほどいる。そう何度も思って、自分を言い聞かせていた。
――――それから暫くして、目が覚めた。誰かのテント。
ふらつく身体。テントの外に出てみると、そこにはルビーのように燃えるような赤い髪をした、一人の女が焚火の前に座っていた。
それが、バーバラさんとの初めての出会い。バーバラさんは、意識を取り戻したナジームさんにチャイを進めた。暖かく、生姜とミルクを使用した栄養のあるチャイは、ナジームさんの身体に生気を取り戻させた。
「ええーー! もしかして、そのバーバラさんって人がナジームさんの……」
ナジームさんは、鼻の頭をかいた。
バーバラさんは、ナジームさんと同じ行商人で、ガンロック王国内で商売をして渡り歩いていた。その途中、力尽きたナジームさんを見つけて助けたのだ。
それからナジームさんは、バーバラさんと意気投合し仲良くなった。でも二人とも行商人で常に渡り歩いている毎日。
二人は、そのナジームさんが救われた場所から一番近いオロゴの街で、定期的に会う約束をした。3か月に1回。それからその約束は今も継続され、今に至る。
「最初は、恩人でもあり、気もあって同じ行商人で、情報交換もできる良き親友だった。でも、3か月に1度、再開するたびにいつしか俺は、彼女にあえるその日が楽しみになり生き甲斐になっていた」
「バーバラさんの事が好きになってしまったんですねー」
私は、胸をドキドキさせながらそう言った。
「ああ。行商人は、孤独だ。村や街に立ち寄っている間はいいが、荒野を旅する時はいつも孤独が付きまとう。その中で、3か月に1回会える、彼女の姿は眩いばかりに感じられた」
「それで、バーバラさんとは、また会えるんですよね」
「ああ。実は、次に彼女と再会できる日が今日なんだ」
「えっ!」
「今日、この酒場で彼女と会う約束をしている。それで、彼女にこのネックレスをプレゼントしてプロポーズするつもりだ」
ナジームさんの発言に驚いて、ひっくり返りそうになった。
「えええ! それ凄い素敵です! 私、ナジームさんを応援します」
「…………ありがとう。ルキア。もしも、片思いで彼女は俺の事を友としか、思っていないのかもしれないと思うと怖い。彼女には、別に大事な人がいるかもしれない。そう考えると、プロポーズなんかしないで、今の関係を続けた方がいいのかもしれない…………」
「ナジームさん…………
「酒の力でも借りんと、とてもじゃないがプロポーズなんてできないな。はっはっはっは」
私のお父さんも昔、お母さんにプロポーズする時に、お酒の力を借りたって言っていた。かなり飲んだみたいで、その時にお母さんに「お酒くさい!」って怒られたらしい。
私は、ナジームさんとバーバラさんが、幸せになるように心の中で祈った。
――――それから随分と経ち、夜になった。
「バーバラさん、遅いですね」
ナジームさんは、何処か一点を見つめていた。
「……もう会えないのかもしれない」
「え? なぜ、そんな事を言うんですか?」
「3ヶ月前……彼女に最後に会った時に、伝えたんだよ。次に会う時に、大事な話をしたいって。…………それで、彼女は何かを感じ取って、俺から遠ざかってしまったのかもしれないな」
「そんなことないですよ!! きっとバーバラさんは、ここへ来ますよ! だって、今までずっと欠かさずに5年間会い続けてきたんでしょ?」
必死になって言った。でも、響かない。
ナジームさんは、少し悲しい顔をしたが、すぐに微笑んで私の頭を撫でてくれた。
結局、その日……バーバラさんが酒場にくる事はなかった。
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〚下記備考欄〛
〇オロゴ村にある酒場のバーテン 種別:ヒューム
オロゴ村には毎日何人もの行商人や冒険者が立ち寄る。そして、酒場にもよる人も多い。バーテンは旅人たちの話を聞き、時には話をしてお客の心を穏やかにさせる。酒場のバーの意味は棒、鳥達の止まり木という意味があるそうだ。
〇バーバラ 種別:ヒューム
燃えるような赤い髪の女行商人。ナジームも昔、ガンロックの荒野で遭難しており、彼女に助けられた。そして、彼女に介抱され美味しいチャイも教わった。それからは、定期的に会う仲になりナジームは彼女に恋をした。ナジームの想い人。
〇魔道具 種別:アイテム
色々なものがあり、原動力に魔石を使用する事によっていろいろな事ができる。例えば、冷蔵庫。大きな縦長の保存用の金属箱で、中は常に冷えているので生肉や野菜、飲み物など冷やして保存しておくことができる。他にも製氷機などもあるが、どれも高価なアイテムで動力には魔石が必要。便利ではあるが維持費もかかるので、一般家庭ではちょっと手が出せない。
〇魔石 種別:アイテム
鉱山などで採掘される魔力が結晶かして石になった物。宝石と同じく高価取引されている石でその多くは、ドワーフ達が住んでいるという大洞窟が広がる世界、ノクタームエルドから流れてくる商品が多い。
〇ココナッツジュース 種別:飲み物
ガンロック王国にはない果実。南国、熱帯地方に生えるヤシという木に実る果実で、実は非常に硬い。ハンマーで殴りつけても、なかなか割れない程の硬さで実の中にある果汁を取り出すのは知識がないと大変。果汁は白い色をしており、甘くてひじょうに美味しい。ガンロック王国では南国からココナッツを輸入しており、飲食店でこのジュースを見かけることもしばしば。「うん、凄く好きなんだココナッツ」




