第651話 『リベラルの夜』
明日、ダニエル・コマネフの屋敷に伺う事になった。ダニエル・コマネフは、私達の事を勘ぐっているのかどうか――その表情からは読み取れなかった。
だけど今にも『闇夜の群狼』に乗っ取られようとしているこの国を救う為には、手掛かりがつかめるチャンスがあれば前に出てそれを掴むしかなかった。
ダニエル・コマネフと別れると、彼はリッカーの住処に戻って行った。これから大切な商売の話をするのだろう。
私達もリッカーの住処をあとにすると、急いでこの荒んでいるエリアを抜けて、沢山の人が行きかっている通りへと出た。
シェルミーは、ロドリゲスに向かい手話で何かを伝える。するとロドリゲスは頷いて、何処かへ走って行ってしまった。私はその事を聞いた。
「あの……ロドリゲスさんに、何を伝えたんですか?」
「ああ、別に大した事じゃないよ。とりあえず、行動を起こすのは明日から。だから、明日まで待機って伝えたの。ロドリゲスはそれを、私が他に連れていた者達に伝えに行ってくれたの」
シェルミーの連れていた連れ。あのターバンを巻いた、黒ずくめの人達の事だ。
「それじゃあ、これからどうしようか? すっかり夜だし、良かったら私の泊まる宿に来ない? そこで一緒に泊まれば、明日も直ぐに一緒に行動できるしね」
確かにその方が都合がいいと思った。何より、リベラルはとても大きな街だった。流石自治都市というだけあって、この街だけで一つの国を成している規模だ。だから一緒にいれるのであれば、そうした方がなんとなく安心に思える。
セシリアとローザの顔を見ると、二人ともそれで構わないという表情をしている。私達はシェルミーの泊まる予定の宿へ一緒に宿泊させてもらう事にした。
空を見ると、星が出ている。でもこのリベラルの街は夜になっても活気は収まらずに、灯りが絶えない。とても賑やかな街。
シェルミーについて行くと、いつの間にか大きな通りに出た。そして目の前には、川が流れている。川の両サイドの道は綺麗に舗装されていて、それに沿って何本もの街灯が設置されていた。それはとても綺麗な灯りで、その光が夜の川にかかって幻想的な光景を生み出している。
私はそれを見て、はっと息を呑んだ。綺麗なその光景を心の底から美しいと感じたからだった。セシリアが隣にきて言った。
「川の両脇にある舗装された道は、レンガになっていてとてもいいわね。それに一定の距離で配置された街灯。デザインも凄くオシャレな作りになっていて、見る者の心を虜にするわね。これ程、精巧なものになると、ドワーフの職人に発注して作りあげたものかもしれないわね」
「セシリアもこの川が、綺麗だと思うんですね」
「あら、私がそう思っているなんておかしい?」
「いいえ、変な意味じゃなくて、私が綺麗だと思って見ているものを、自分の親しい人が見て同じ風に思う。それって凄く嬉しいなって思って」
「……そうね。私も同じかもしれないわ」
セシリアと二人、少しリベラルの街に通る川に心を奪われていると、ローザが背中を押した。
「さあ、そろそろ行くぞ。シェルミーも待っている。宿についてから、またのんびりとすればいいんじゃないのか。明日、ダニエル・コマネフの屋敷に行く。そうすれば、あの男が私達の事を勘違いしてくれているのか、それとも正体を見透かしているのか解らないが、そういった目を向けられてまた冷や汗を流す事になるかもしれないしな。休んでおいた方がいい」
「は、はい。そうですね。それじゃあ、行きましょうか」
無意識にセシリアの手を掴んで引っ張っていた。あっ! って思ったけれど、セシリアは特に私が掴んだ手を振りほどこうとはしなかった。でも傍からこんな私達を見たらと思うと……とても面白い絵になるかもしれない。
リベラルの街に通る川。その脇のレンガ畳の道を歩く、私とセシリア。貴族令嬢のようなセシリアを踊り子の私が手を引いている光景。この瞬間を、絵にできたらとても面白いだろうなって思った。
題名は――リベラルの夜、川沿いのレンガ道にて。
「フフフフ」
「あら、テトラ。随分と、嬉しそうね」
「い、いえ。ちょっと……セ、セシリア」
「なにかしら」
「あの……すべてが終わったら……このヨルメニア大陸に蔓延る悪をやっつけたらですけど、そしたらもう一度陛下にお願いして、もう少しお暇をもらってこのリベラルの街にまた来ませんか?」
「それはいいわね。この街は活気に満ちているし、面白そうな所も多そうだわ。私ももう一度この街に来る事があったなら、今度は何も気兼ねしないでゆっくりと羽を伸ばしに来たいわね」
「私は絵を描いてみたいです。この川の絵」
「あら、絵なんて描けるの?」
「え? 描けませんけど、それはチャレンジです! 何事も初めてみたいと上達もしませんから」
「フフフ、そう。それじゃ、次にこの街に来ることができてゆっくりとできる時には、画材もちゃんと持ってこないといけないわね」
「さあ、行くぞー! 話は宿についてからでもいいだろ?」
ローザにまた急かされた。私は、ローザとシェルミーに謝って直ぐに彼女達に追い付いた。
それにしても、いくらこの街の川が幻想的でとても美しいといっても、唐突に絵を描いてみたいと思うなんて……確かに思いつきではあるけれど、何かを始める切っ掛けを得る事はとても大切な事だと思う。
私が陛下やモニカ様に助けられてクラインベルトの王宮メイドになった事や、モニカ様に練習相手としてお誘いを受けて武術を身に着けた事も、突然で唐突な事だった。
今では、それらが私自身の一部になっている。




