第620話 『赤い目の兎 その2』
「アロー、この夢の世界から脱出する方法って」
「まあ方法は一つではないですが、あの兎を捕まえるという方法が、一番穏便で一番手っ取り早い方法ですね」
セシリアがアローに、視線を向ける。
「つまり解説すると、兎を捕まえて私達をもとの世界へ戻せと脅せばいいのかしら」
「ええ、まあそういう事ですね。でもできるだけ、穏便にお願いします」
アローは、私達をこの夢の世界へと引き込んだ兎を穏便に捕まえるよう言った。だけど私もセシリアもそれを疑問に思った。なぜなら、アローは兎を捕まえる事に関して穏便にと、二度も言ったから。セシリアがその事を突っ込む。
「それじゃあの兎を捕まえる為の大作戦を決行する前に、一つ確認をしておきたいのだけれどいいかしら?」
「ええ、もちろん」
「直ぐにでも目の前の兎を捕まえなきゃという現状において、わざわざ回りくどい質問はナンセンスだわ。だからズバリ聞かせて欲しいのだけれど、あの兎を捕えるじゃなく、倒すじゃだめなの? なぜ、私達はあの兎に攻撃されているのに、穏便に事を済ませなくてはいけないの?」
「セ、セシリア……それはアローにきっと考えが」
「そうかもしれない。だけど相手をただ倒せばいいというのと、捕まえなくてはならないのとでは難易度が明らかに違うわ。穏便にというのは、相手にできるだけ怪我などさせないようにという事よ。それで捕えなくてはならないという方が、倒す事よりもよっぽど難しいわ」
「た、確かにそうですけど……」
「それに私達は、今も攻撃されて夢の中に引き留められている。なら、早く脱出しないといけないわ。じゃないと、私達は今とても危険な状態なのよ」
危険な状態……あっ!!
セシリアに言われて、それで私もようやく大変な事態である事を思い出した。この世界はなんだかボヤっとするし、考えも上手く浮かばない。私は頭があまりよくないからかもしれないけれど、言われてやっと自分達のこの状況に改めて危機を憶えた。
でもこんな状況下でちゃんと現状を見据えて考えて行動してくれているセシリアの存在は、素直にありがたいなと思った。
「教えてもらえるかしら、アロー。私達は仲間なのでしょ? このまま私達が目覚めずにあの草原に横たわったままで意識を取り戻さずにいて、もしもそこへ何か危険な魔物がやってきたらどうなるか……あなたにも容易に解るでしょ?」
「ええ。もちろんです。無抵抗な状態で食べられてしまうかもしれませんね」
「それなら答えて」
「本当は僕もそう思っていたからこそ、余計な説明は後ですればいいと、あえて省かせてもらっていたのですが――こうなってしまっては、説明しなくては前に進みませんね。では簡潔に説明しましょう」
私の肩に乗っていたアローは、羽ばたくと近くに生えていた木の枝にとまった。そして答えた。
「あの赤い目の大きな兎は、ラビッドリーム」
「ラビッドリーム……」
「セシリアもテトラもあれが、攻撃してきていると思っているようですが、それについては正解です。ラビッドリームは、相手の深層心理や夢の中に潜り込み、それを操り世界を創る。そしてその夢の中に相手を捕える」
「それであの魔物の目的は?」
「目的は、単なる憂さ晴らしでしょう。兎だけに憂さ晴らし。フフフフ……」
セシリアが拳を作ったので、私は「まあまあ」と言って彼女の肩を摩った。するとセシリアは、更にアローに迫った。
「憂さ晴らしで私達は攻撃されているの? いったい何がしたいの?」
「ですから憂さ晴らしです。あの兎ですが、魔物でも悪魔でもありません」
え? まさか……私ははっとした事をアローに言った。
「それじゃあ、なんなんですか……あの兎は? も、もしかしてあの兎も私の心が作り出したもの? もしくは、他の誰かが私達にあの兎を見せているとか……」
「違います。あの兎はラビッドリームという名だと言いましたよね。実在します。そしてあれは、魔物でも悪魔でもなく精霊なのです」
せ、精霊!? これには、私だけでなくセシリアもかなり驚いているようだった。今度はセシリアが言った。
「精霊が人に悪夢を見せて、それを食べるなんて聞いた事がないわ。それは夢魔なんじゃないの?」
「夢魔ではありません。確かに人の心に侵入し……今回はテトラの心にですが、そこへ入ってテトラの心を栄養にはしています。ですがラビッドリームはれっきとした精霊ですよ。土の精霊です。テトラのその顔……土の精霊と言えば、ノームなのでは? そんな顔ですね。しかし精霊は一種類ではありません。ノームと言えば代表的な土の精霊ですが、ラビッドリームは土の下位精霊です。しかもレアリティも高めです」
つ、土の精霊? 土の下位精霊……それを聞いて、ますます解らなくなった。なぜ土の精霊がこんな所にいて、私達を攻撃しているのか?
そして土の精霊は私も名前を聞いた事があるけど、ラビッドリームなんて名前じゃない。その事をアローに指摘すると、アローは顔を左右に振った。
「それはテトラ、あなたが知らないだけです。僕の持つ魔導に関する知識は、あなたやセシリアよりも深い。ですから僕が知っている事で、君達が知らない事なんてものは山のようにある。例えば……例えば僕は王宮メイドの仕事について、何も知らない。でも君達は知っている。それと同じです。僕は魔導に関してはプロだ」
確かにアローは、色々と魔法に関して詳しい。魔物でもない、言葉が喋れて知力に優れているボタンインコ。
「土には、記憶が宿ると言ってね、実はちゃんと関係があるんですよ。まあ今は詳しい事は省きます。これは、今話すと更に混乱を招くと思って悩みましたが、話さないとどうやらラビッドリームを捕まえには行ってくれそうもないので話す事にしましょう。あの土の精霊、ラビッドリームはレティシアの連れている精霊です」
せ、精霊を連れている? セシリアと顔を見合わせる。
しかもレティシアさんが連れているって……精霊を連れ歩くなんて聞いた事もないし、そんな事が可能なのかも解らない。しかもレティシアさんがって言うと……もうちょっと訳が解らない。
確かにアローの予測した通り、私はもう何がなんだかわからなくなってしまった。




