第616話 『あの日のフォクス村 その7』
フォクス村にある空き家、そこに私はセシリアと共に忍び込んで隠れた。村中には、帝国兵があちらこちらにいて、その中には先程まで私を縛って木に吊るし上げていたリヒャルトやハーガンの姿もあった。
ハーガンに至っては、額から血を流しながらも鬼の形相で、血眼になって私達を探している。
木に吊るされていた時に見えたけど、この空き家は既に帝国兵によって中を検められていた。だからここにいれば、見つかる可能性は低い……と思う。
家の中、気づかれないように二階へあがるとそこからクローセットへ侵入し、更にそこから屋根裏へと移動した。子供の時の記憶。この空き家には、子供の頃に何度か忍び込んで、自分の隠れ家にしていた記憶がある。
隠れ家は他にもあったけど、村の中では特にお気に入りの場所。
屋根裏。セシリアは壁の隙間から侵入してくる光を見つけると、それを頼りに近づいて経年劣化でできたと思われる亀裂から外の様子を覗いた。
「まだ、そこらじゅうに帝国兵がいるわね」
「あ、あの……セシリア」
「何かしら?」
「助けてくれてありがとうございます!」
「あら、どういたしまして」
「子供の時と同じだとすれば、私はあのまま吊るされても死ぬ事はありませんでした。でも陛下やモニカ様に見つけて頂いて助け出されるのは、もっと先。それまでは、石を投げつけられたり罵声を浴びせられたり、食べるものももらえずそのまま放置されて地獄のような苦しみが、永遠とも思える程に続く所でした。セシリアには依然に話しましたが、私はこの時助かっています。でももう一度、この地獄を繰り返す度胸はありません」
「…………」
「だから木に吊り下げられても、どうにか脱出できないかと藻掻きました。でも、駄目でした。もう一度あの地獄を繰り返すなんて、とても耐えられないと思いました。でも逃げ出す事もできず、どうする事もできなくて……そんな時に、セシリアが助けに現れてくれたから……だから改めてありがとうって言いたいんです」
「そう、それなら良かったわ。ひょっとしたら、テトラはあのまま吊り下げられていたいのかもしれないって可能性も、一瞬考えてしまったから」
「そんな訳ないじゃないですかー!!」
セシリアの肩をポコポコと叩く。
今なぜか私達は子供になっていて、昔のフォクス村のような場所にいる。だけどあの時とは、違う事がいくつかある。
子供の時にまだ出会ってもいなかったセシリアが、今は傍にいる。
そして私もあの頃の私じゃない。陛下やモニカ様やアテナ様やゲラルド様、ボーゲンにメイベルにディストル。ミリス達にリア、ルーニ様。バーンさんやミャオやマリン……レティシアさん、アロー。
色々な人達に出会って、親切にされて子供の時にいくら手に入れようとしても手に入れられなかった人の暖かさも手に入れた。同時に強さも。
どの位強くなったかって言ったら、まだよくは解らない。だけどあのアーサー・ポートインにも勝つことができて、ルーニ様を無事に救い出して凱旋し、ゲラルド様に褒められた時は、少し自分の事を強くなったと思った。きっと己惚れて、図に乗っていた。
でもモロロント山で対決した覆面女剣士や巨漢ホルヘットの実力を知り、私なんてまだまだなんだと解った。
だけどそれでも、ただただ震えて怯えて地べたに張り付いていた頃の自分と比べると、少しは強くなったと思う。今なら、自分の過去を変える力があるかもしれない。
そんな事を思っていると、セシリアが私の顔を覗き込んできた。
「今、何を考えているの?」
「い、いえ。なぜだか解りませんが、私もセシリアも子供になっていて、今は私がその子供の頃にいたフォクス村にいます。でも今なら……セシリアもそばにいてくれる今なら、きっとあの時のようにはならないなって……そう思えて」
少し照れながらセシリアに言うと、セシリアは私とは正反対にがっかりしたような態度で溜息を吐いた。え? どうして?
「そんな事は、今はどうだっていいわ。今一番重要な事は、あなたの心の整理ではなくて、もとの世界へ無事に戻る事よ。思っていたんだけれど、テトラ……あなたには、この世界はトラウマであり最も深く刻み付けられて忘れられない過去だったのかもしれない。だけど重要なのは、あくまでも脱出する事よ」
「だ、脱出……」
「そうよ。忘れたの? あなたと私は『闇夜の群狼』を倒して、メルクト共和国を救うためにここまできた。今はレティシア・ダルクという人に会う為に、交易都市リベラルに向かっているその途中。忘れたのかしら。レティシアという女冒険者に会えば、リベラルにいる『闇夜の群狼』の幹部を探し出す事ができるかもしれない。そういう流れだったんじゃないかしら」
セシリアに言われて、はっとした。
そうだった。別に忘れていた訳じゃ……ううん、完全に私は子供の時の自分に戻っていた。子供に戻ってフォクス村にいるっていうのは、理解していたけど……もとの世界でやらなくてはならない事よりも、過去をやり直すとかそういう思いに心が包まれていた。
なぜだろう?
ぼーーっとしていた意識から、晴れた辺りでそんな風になっていたのかもしれない。
「テトラ。あなたが過去を乗り越えてトラウマを克服する為に、頑張っている事は解るわ。応援もしている。けれどそれは、今じゃないわ。私達のキャンプでローザとアローが待っているのを忘れないで」
「ローザとアロー……そう!! ローザたちが待っています! 私達、薪拾いに出てそれから……」
「何か気になる事は、あるのかしら? それがこの世界から脱出する鍵かもしれないわね」
鍵……そう言えば、私はこの子供の時に過ごしたフォクス村にどうやってきたんだろう。あの薄暗く赤い森。そこで大きな穴に落ちて、ウルフとアウルベアーがあの時と同じく落ちてきて……這い出した時に……
そうだ!! 私は、少し変わった兎を見つけて、追いかけてきた。




