第610話 『あの日のフォクス村 その1』
これは……夢?
でもウルフに襲われて噛まれた痛みは、本物のように感じた。それに私はメルクト共和国についさっきまでいたはず。謎は深まる。
私の住んでいたフォクス村は、クラインベルトとノクタームエルドに近い場所にあり、ドルガンド帝国との国境付近にある村だった。メルクト共和国からだと、かなり距離がある。だから一瞬でこんな場所にこれる訳がないのに……なぜ私はここにいるのだろう。
まったく事態が呑み込めないで、まごまごしているとまた信じられない事が起きた。
「ひ、ひえ……う、嘘でしょ!?」
気が付くと私の身体は、物凄く縮んでいた。そのまま身体が小さくなったという訳ではなくて、子供になってしまっている。そう、丁度私がフォクス村で住んでいた頃の年頃。
これは完全に夢だとしか思えない。だけど痛みはあるし……何がなんだか解らない。頭もなんだかぼーっとするし、ちゃんと考えないといけないのに上手く頭が働かない。
「テトラ、こんな所で何をしているんだ」
唐突に声がした。振り向くと、そこには私の知っているおじさんが立ってこちらを見ていた。フォクス村で暮らしている、近所のおじさん。でもおじさんは確か……
「さてはまた村を抜けでして、勝手をしていたな」
「え? いえ、そんな……」
おじさんの事を知っていた。そう思って色々と思い出そうとしていると、また別の人の声がきこえた。その声にも馴染みがある。
「皆ああ!! 逃げろ、急いで村から逃げるんだ!! 帝国軍がやってくるぞおお!!」
帝国軍……帝国軍と言えば……ドルガンド帝国。
「ほら、テトラ!! お前もさっさと逃げ出すんだ!! 出来損ないのお前が帝国の奴らに捕まって殺されても、誰も悲しまないかもしれないが、それでも子供だ!! 帝国軍は、子供でも決して容赦はしないぞ!!」
帝国、子供でも容赦はしない、出来損ない、誰も悲しまない――
そうだった。私は出来損ないとか偽物って呼ばれて子供の頃を送っていた。このおじさんも、私に話しかけてはくれるものの、一度も笑いかけて接してくれることがなかった。記憶が蘇っていく。
セシリアやマリンやモニカ様にレティシアさん、ミリスにリアにローザ。大事なものが私にもできて、過去の事はもうどうでもいいって忘れかけていた昔の記憶……それが蘇る。
「ぎゃああああっ!!」
「おじさん!!」
気が付くとおじさんは、長い槍に胴体を貫かれていた。
「ぐは……」
「お、おじさん!!」
私は槍に貫かれて、動けなくなっているおじさんに駆け寄った。子供の身体になっているので、いつものようには走れない。
「た、助けて……助けてくれ……テトラ……」
「は、はい! ちょっと待ってください!! 誰か人を……」
誰か助けを呼んで来ようとした。周囲を見回すと、少し離れた場所からこちらに向かって駆けてくる10騎程の騎馬が見えた。
「あっ」
先頭を駆ける鎧甲冑の男が剣を抜いたかと思うと、一瞬にしておじさんの首は宙に飛んだ。
「あ、あ……あ……」
昔から知っている近所のおじさん。その首が胴から離れる無残とも言える光景に私は、腰を抜かしたみたいにその場にへたりこんでしまった。
おじさんの首を跳ねた男は私の近くまで来ると、下馬した。それに続く他の騎馬に乗る者達も同じように馬を降りると私の方へ視線を向けた。
男は私の直ぐ目の前まで来ると、被っていた兜を取り、顔を見せる。
私はその顔を見て、恐怖で青ざめた。全身がまるで痙攣しているかのように、震えが止まらない。歯はガチガチと音を立てる。男はそんな私を見て優しく微笑みかけた。
「どうした? 何をそんなに恐れている? 帝国がこの村に攻めてくるというのに……こんな所でゆっくりとしていていいのか? 捕まったら子供でも、大変な事になるのだぞ。それをちゃんと理解しているのか?」
「あ……あ……ああ……」
駄目だ。声が出ない。本当に出ない。私はこの青年が怖い。
「名はなんと言う?」
「……テ……テ……テト……」
「フーーー。なるほど、自分の名前も答えられないか。容姿は整っているな……それにメイドか……何かに使えるか」
青年は考える素振りを見せる。するとその後ろにいる別の男が、青年に話しかけた。
「ハイドリヒ様!」
「なんだ?」
「ハイドリヒ様! お言葉ですがその娘、九尾の末裔ではありませんか? その……尻尾が」
「ほう、そうか。なるほど、確かにそのようだ」
そう、青年の名前はハイン・ハイドリヒ。その名前を聞いただけで、身体が震える。私が最もこの世で恐ろしいと思っている男。
ハイドリヒは、私の背の方を覗き込む。そして尻尾を確認と、目を丸くさせた。
「これは面白い。本当だ、尻尾が複数あるな。これが噂に聞いていた獣人の希少種である九尾か。だが――九尾にしては、尻尾が4本しかないぞ。これはどういう事だ?」
ハイドリヒがそう言うと、部下が数人で周囲を見て回り、女の人を一人捕まえて戻ってきた。その女の人も私は知っていた。しっかりと九本の尻尾を持って生まれてきた妹。その妹の世話を少しの間してくれていた人で、レマという名前。
「答えろ、女。この娘はなぜ尻尾が4本なのだ?」
「は、はひ」
「即座に答えろ。嘘をついてもかまわんが、それが嘘だと解ったら、罰を与えるからな。因みに罰は、お前の四肢を切り落とす」
「へ、へええ!! は、はひ!! 答えます、答えます!!」
レマは、その場で這い蹲って私の事、そして妹の事、九尾の事を知っている事全てをハイドリヒに話し始めた。
私だけでなく、レマもハイドリヒの普通ではない冷酷残忍さを感じとったのだろうか。ひれ伏し、決して顔を見あげずにただひたすらに怯え続けていた。




