第593話 『与えられた絶望と勇気 その2』
母親に別れを告げ、そのまま立ち去ろうとするクロエ。その腕を、母親が掴んだ。
「クロエ!! 待ちなさい!!」
「待ったらどうするの? またお金の為にあんなゲース・ボステッドのような人にわたしを売るの?」
「違うわ、クロエ。あのままこの生活を続けても、もうお金が底をつきかけていたのよ。それならって、フランクがゲース様を紹介してくださったの。クロエを娼館にやらないかって。貴族やお金持ちの商人が多く通う高級な娼館だから、お客さんも紳士ばかりで変な事を強要される心配も無いし、お金も沢山もらえるって。そうすれば、あたし達の生活も裕福になるしあなたは、大金を手にすればそれで見えない目も治せるかもしれないって……だからあたしは、フランクにあなたを任せて……」
「それでわたしの行きついた先は、その紳士の通う娼館ではなく拷問の館だったわ」
クロエはそう言い放って、母親に捕まれていた手を振り払った。
「それにお母さんは、最近フランクさんと知り合ってから、よく晩に二人で出て行くようになったわ。帰ってくると、お酒と煙草の臭いをさせて。わたしは目が見えないけれど、その代わりニオイには敏感になったの。だから解る」
「それは……」
「わたし一人で過ごす日も多くなった。正直、お母さんはお父さんがいなくなった日からおかしくなった。わたしの事も重荷に感じているんでしょ? だからフランクさんのその娼館の話を聞いて、頷いた」
「それはだからあなたの事を思って……それしか今の状況を抜け出せる方法がなかったのよ」
「嘘よ! お父さんは、あの日いきなりわたし達を置いていなくなってしまったけれど、お金はいくらばかりか残してくれていたわ。なのにお母さんはいつからか、そのお金をお酒や煙草に使い始めたんじゃない!!」
「そ……それは……それは、私だってとてもつらくて……」
「全部知っているのよ。わたしはずっと家から出られなかったんですもの。そこにいるフランクさんに、お金を沢山渡しているのも知っている。お母さんは、わたしの事は重荷に思っているだけで、自分の事とフランクさんの事ばかり考えているわ。だからわたしがこのまま家からいなくなった方が、自由になっていいでしょ! わたしはもう帰らない。さようなら!」
クロエは泣いていた。今のクロエとチェルシーのやり取りを聞いて、なんとなくこれまでの事は解ったけれど……クロエを今すぐにでも、抱きしめてあげたいと思った。
クロエの母親、チェルシーは娘に全てを語られて茫然としている。何も言い返せない。もう母親の方を振り返る事もないクロエ。だけど今度はクロエのその細い腕を、チェルシーではない者が強引に掴んで引っ張った。
「きゃああっ!」
引っ張られた勢いでクロエは、地面に転がった。カルビが唸り声をあげる。クロエを強引に引き留めたのは、フランクだった。フランクが目で合図を送ると、その仲間達もクロエの方に近づいてきた。
「セイセイセイ、勝手に行くなって。親子の話はそれで解決したんだろーがよ、俺との話は済んでねーだろうがよ」
「フランクさん! あ、あなたには、関係がありません! これは親子の問題です!」
「ああん? それがどっこい関係おおありよ。あんたらには、ゲースさんが既にたんまりと大金を支払っているんだ。本当だぜ、チェルシーに聞いてみな。人生やり直せる位にはもらってっからよー。それ位、お前には高値がついたっつーことよ。まあ、痩せすぎだが顔は整っているし、チェルシーに似て美人だ。それはそれで良かった。だがよ、ゲース様が捕まっちまったからって、金だけ受け取ってこの話を反故にはできんだろーがよ」
「じゃ、じゃあわたしをどうするの?」
「今度は、本当に娼館に売り渡す。もしくはあれだなーー。ゲースさんの他にも変態趣味な貴族はいる。そいつらにっていうのもありだな……そうすればまたマージンを頂いて儲かるぞ。いっそそれで稼いで、何処かで屋敷でも買って一緒に暮らすか、チェルシー! なあ?」
「フランク……そ、そうね。あなたなら、全てを上手く導いてくれる。あの人のようにあたしを決して見捨てたりしないわ」
「あたぼうよ! 俺はチェルシー、お前を決して見捨てたりしねえぞー。何て言っても……まあいいか」
言葉には出さないけれど、フランクの言葉の続きは解る。お前を決して見捨てねえぞ……の後は、なんといっても俺の大事な金蔓だから――だ。
実の娘がこんな思いをしているのに、チェルシーはフランクの言葉に酔いしれている。もう、十分に解った。クロエをここに置いておいても、売り飛ばされるだけ。それはクロエにとっての地獄。
ノエルが私の肩を叩いた。
「おい、アテナ」
「うん、解ってる。でもここは私に任せて欲しい」
「そうか。お前がそれでいいなら、あたしは何も文句はない。好きにすればいい」
フランクは、ゆっくりとクロエに近づいてまた彼女の腕を掴もうとした。刹那、クロエの隣によりそっていたカルビがフランクの腕に噛みついた。
ガルウウウ!!
ガブリッ!
「いてええ!! この駄犬があああ!! か、噛みつきやがったあああ!! こ、殺してやる!!」
「やめて!!」
フランクは、思いきりカルビを蹴飛ばそうとした。カルビはサッとかわして反撃に転じようとしたが、その時クロエがカルビを守ろうと覆いかぶさった。フランクの蹴りがクロエの横腹にめり込み、彼女は地面に転がった。
「げほっげほっ……うう……」
「なんだ、クロエ!? この女、邪魔しやがって!!」
クロエに怒りを見せるフランク。流石に目の前で娘を蹴られたチェルシーは、フランクに縋った。
「やめて、フランク!! 娘を傷つけるのはやめて!! ね? 全部フランクの言う通りにするから」
「ああ、解ってる。大事な商品……じゃねえ、大事なお前の娘に傷つけちゃなんねーよな。へへへ。それじゃ、早速クロエを捕らえるか。それで今すぐ買い取ってくれそうな奴に連絡を取る。それとお前らは、その駄犬を殺せ」
「へい」
カルビの身の危険を感じてクロエが暴れた。男達がカルビにじりじりと近づいていく。男の一人がカルビを捕らえようとした所で、カルビはその手をサッと避けて、先程と同じように噛みついた。悲鳴。
「何をやってんだ!! 駄犬1匹によ!!」
「だって、こいつ……」
――よし! 今だ!
カルビが一瞬、その場にいる全員の注意を引いてくれた瞬間を狙って私は、隠れていた物陰から飛び出すとクロエを拘束しようとしているフランクに近づいて、彼を投げ飛ばした。




