第589話 『ゲース・ボステッド その2』
エントランス二階の、大きな窓が割れた。そして窓から二つの影が、屋敷に飛び込んできたかに思うと、何か小さなものが飛んできてクロエ・モレットを人質にしている警備隊長の手を射貫いた。悲鳴。
「ぎゃああああ!! て、手があああ!!」
警備隊長の手を見ると、二本の果物ナイフが突き刺さっている。
「ふう、お待たせ。遅くなってごめんね、ノエル」
「遅いぞ」
「もしかして、結構ピンチだったりした?」
「いや、いたって余裕だ。余裕しゃくしゃくだ」
二階の窓から飛び込んできた二つの影は、アテナとカルビだった。
アテナは窓硝子をつき破って飛び込んでくるなり、果物ナイフを投げてクロエを救い出した。そしてカルビは、真っ直ぐにクロエのもとへ走って、今は彼女の前に立って守っている。これでもう、弱みはない。
まあ本当の事を言えば弱みなんてものは、このあたしには端からなかったがな。ハハハ……
「グーレス!!」
ワウワウウウッ
カルビに抱き着くクロエ。目の見えない彼女にとって、カルビのモフモフとした毛並みの感覚は何より落ち着くのだろう。
このあたしでさえ、たまにカルビを見ていて無性にそのお腹……毛並みに顔を埋めてみたいという衝動に刈られることもある。
「ゲース!! これで、人質はいなくなった。しかもこっちには、強力な仲間が二人増えた。お前の部下と違ってとても頼りになる極めて強力な仲間二人だ。どうする? 降参するか? 降参するなら、殴らない。だがお前の罪は、然るべき場所で裁いてもらう」
ゲースにそう言い放ってやったが、奴はまるであたしを見ていなかった。この野郎! しかもどういう訳か、アテナ見て震えている。
「どうした? ゲース。話しているのは、このあたしだ!! アテナでなく、あたしを見ろよ」
「……アテナ……やはりアテナという名前……いや間違いない。その青い瞳と青い髪、それにそのオカッパというのか、その髪型……」
「オカッパな訳ないでしょーー!! ボブヘア!! ボブヘアって言うのよ!! 何てこと言うの、ゲース!!」
ゲースの言葉に怒りが爆発するアテナ。ハハハ、オカッパか。笑える。これからたまにそう言ってからかってやろう。
だがオカッパと言われたアテナ自身は、とても笑っていられないようで、怒り顔のままエントランスの階段を降りるとゲースに迫った。
「お久しぶりね。ゲース・ボステッド子爵」
「ア、アテナ・クラインベルト……いや、王女殿下!!」
「お、王女殿下!?」
たちまちゲースの額から、バケツの水を被ったかのように大量に冷汗が溢れ出す。ゲースがアテナの事を王女殿下と言った事で、ゲースの子分達にも今大変な事態になっているという事が伝わって動揺している。
そう言えばそうだった。ドワーフの王国で聞いた、確かに聞いていた。アテナは、このクラインベルト王国の第二王女だった。
あたし自身は単なる平民だが、ドワーフの王国ではミューリやファムと共にガラハッド王に仕える事も多く、王族は身近だったからな。それ程気にもならないし、すっかり忘れていた。
「な、なな、なぜこのような所へ殿下が? 予めおっしゃって頂いておりましたら、それなりのおもてなしをさせて頂きましたのに」
アテナは、冷たい表情でゲースを睨みつける。
「そう? いきなり来たらまずかったかしら。それはそうと、そこにいる少女なんだけど――クロエ・モレットは、なぜこんな場所にいるの?」
目が泳ぐゲース。汗も尋常じゃない。それはそうか。この領内の領主で子爵と言っても王族と比べれば、足元にも及ばない。
クラインベルトには優秀な騎士団が豊富にいると聴くし、ゲースが乱心して兵を集めたとしても直ぐに鎮圧されてしまうだろう。まあ反乱なんてしようものなら、逆賊として周囲の領主に討伐されて終わりだろうがな。
「こ、この者は……この者は今日からワタシの屋敷の使用人になる事になった者でして。それを何か勘違いしたのか、この褐色の少女がいきなりワタシめの屋敷に押し入って参ったのです。し、しかし殿下がお越しになられるとは……丁度良かった。ささ、あとは他の者に任せまして奥の部屋でごゆるりと……最高のおもてなしをさせて頂きます」
「ゲース! この褐色の女の子は私の友人で、ノエル・ジュエルズ。そしてあなたが使用人って言っているクロエ・モレットも私の友人なのよ。しかもクロエのその使用人とは思えない服装と、身体の傷。どういう事ははっきりと説明してもらえるかしら。今すぐにここでね。私が納得するように」
「うっ、ぐっ、それは……」
「それなら、あたしが説明する。ゲース・ボステッド。こいつはクロエの母親からクロエを自分の玩具とする為に大金で買った。だが玩具と言ってもゲース、こいつは変態趣味で少女を拷問して遊ぶみたいだな。この屋敷の地下に行けば、色々とその証拠が見つかるだろうよ」
「ノ、ノエルと言ったな、貴様」
「言ったさ」
「貴様、殿下にこのような事を吹き込みよってからに……生きてここから出られると思うなよ」
ゲースの言葉に鼻で笑う。アテナは溜息を吐いて、ゲースにこう言った。
「それじゃ地下室を改めさせてもらうわ。実はもう間もなくここへ、クラインベルトの騎士団が向かってきているの。到着したら、屋敷にあるもの全てを調べさせてもらう。ゲース、あなた程のものなら当然知っていると思うけど、クラインベルト王国は奴隷売買等を決して許さない。もちろんそういう悪趣味で、少女を拷問して殺害する事もそれに該当するわ。もしそうだとすれば、許されないし事だし極刑を言い渡される事になる。巨大犯罪組織『闇夜の群狼』との関係性もあるかもしれないし、あなたの罪が見つかって拘束されれば、罪を裁かれる前に今度はあなたが尋問ではなく拷問されるかもしれないわね」
アテナの言葉に俯いて真っ青になるゲース。両目をゆっくりと閉じる。もはや罪を認め、降参したかに見えたがゲースは、すかさず立ち上がり大きく人さき指をアテナに向かって突き付けると怒号を放った。
「不届き者だ!! こやつは、クラインベルト王国の第二王女アテナ王女殿下を名乗る不届き者なるぞ!! 者ども、こやつら偽物を斬り捨てろおお!!」
「やっとその醜い正体を表したわね、ゲース・ボステッド!」
アテナは、素早くこっちへ駆けてくるとあたしの方を振り返ってニコリと笑って見せた。
なるほど、こうなる事は既に想定済みであたしを頼りにしているという事か? まあ、いい。何だかんだと語るより、拳で語り合う方があたしには、楽だし性にあっている。




