第588話 『ゲース・ボステッド その1』
1階へ上がると、通路でマックが伸びていた。
もしかして、警備隊長とやり合ったのか? まさかな。そう思って、そのままクロエの手を握り駆け抜ける。
エントランスまで戻ってきた所で、警備隊長が仲間をつれて待ち構えていた。いや、あの如何にも豪華な服装に肥えた身体。この屋敷の主ゲース・ボステッドもいる。
ゲースの周囲には30人位の私兵がいて、ゲースの周りと屋敷の出口をしっかりと固めていた。
「ブッヘッヘッヘ。これはこれはまた可愛い少女が、ワタシの屋敷にわざわざ来てくれたもんだ。楽しみが増えてしまった」
「ああ? 気持ち悪りよ、拷問野郎。お前のやっている事は全て見たぞ」
「あん? 見たからなんだと言うんだ? ワタシは、この屋敷の主というだけではない。この領地を治めている領主だ。そして子爵でもある。ここから逃げられはせんが、万が一逃げ出せたとしても、役所に駆けこもうが街の冒険者ギルドに助けを求めに行こうが、どうにもならんぞ。逆にお前達は、ひっ捕らえられてこの屋敷の地下へ逆戻りだ。ブヘヘヘ、運命はもう変わらん」
ドワーフ王ガラハッドの息子、ガラードもそうだったが、だから権力者は嫌いなんだ。全てが自分の思い通りになると思っていやがる。
またあの暗くて不衛生で、臭い地下の拷問室に戻るのかと身体を震わせるクロエ。その手を強く握った。
「大丈夫。安心しろ、クロエ・モレット。お前はこのあたしが命に賭けても、絶対にここから無事に外へ出してやるから。このあたしが約束するんだ、信用しろ。意地でもあたしは約束を守る」
「聞こえなかったのか? ワタシは領主だぞ。お前らのような下賎の者が逆らっていいものではない。いや、本来は会話をする事すら許されない。なのに心が優しく、大いなる慈悲で溢れるワタシは、お前達のような下賎な者も可愛がってやろうというのだ。身体の皮を剥がされ、指を斬り落とされ、耳を削ぎ落される……そうワタシにしてもらえる事は、本来何よりも幸せな事であるのだぞ」
「ざけんな! 生憎あたしは、ノクタームエルドの出身なんでな。クラインベルト王国の貴族なんぞに従う義理もない。しかも相手がサイコパスともなれば、当然だ。いいか、あたし達は出て行く。邪魔するなら蹴散らすまでだ」
まったく気おされないあたしに、あからさまに不快感を見せるゲース。
「ふん、ならば強がっていろ。直に絶望へと変わる。先生! 先生、お願いできますか!!」
ゲースが大声で言うと、エントランス階段の上から一人の男が下りてきた。腰には剣を三本も吊っていて、如何にも傭兵のような風貌。
「ブヘヘヘ。先生には、高額なギャラでこの屋敷の用心棒をしてもらっている。もともと剣術道場の師範代を務めていたそうで、その後は見た目で解ると思うが傭兵稼業を生業としていたそうだ。たまたま街でワタシが目をつけてな、ワタシの身辺警備をお願いしたんだよ」
「へえ。それじゃ、強いのか?」
「ブヘヘヘ、強いのかだって? お前みたいな少女が勝てる相手じゃない事位、解らんのか」
会話をしながらもじりじりと周囲を囲み、距離を縮めてくるゲースの子分達。その一人がクロエを掴もうとしたので、素早くクロエの腕を掴んであたしの方へ引き込んだ。
「この、捕まえてやる!! ぐはっ!!」
「汚ねえ手でクロエに触るな!! ブッ飛ばすぞ……ってもうブッ飛ばしちまったか」
クロエを捕らえようとした男を殴り飛ばすと、それを皮切りに周囲にいる男対が一斉に襲い掛かってきた。
こんな奴らに決して負けはしないが、クロエを守りながら戦うというのはなんとも難しい。だかやるしかない。なんせ、約束をしたからな。
「きゃああああ!!」
「クロエ、じっとしていろ!! あたしが指一本、触れさせやしないから!!」
次々と襲い掛かってくるゲースの子分を倒していく。何度も起き上がってこないように、結構力を入れてぶん殴ってやった。殴られた男たちは、凄い勢いで吹っ飛んでいきエントランスの壁に激突した。それを見てゲースは、やっとあたしの存在に恐れを見せた。
「な、なんだあの怪力は!? 先生!! 先生、お願いします!!」
「あいわかった。しかし、別料金だからな」
「ああ、解っている。弾んでやるから、この少女を動けなくしろ。できるな?」
「なかなかやるようだが、俺に任せてくれれば問題ない。動けなく……というのであれば、腕か足を1本2本切り落とそうか?」
「それは後でワタシが……いや、動けなくしてくれるのならばかまわん。先生に任せる」
ゲースの用心棒は、腰に吊り下げた3本の剣のうち、1本を抜いて構えた。刃をあたしの喉元の高さに合わせると、薄気味悪い笑みを浮かべる。
あたしが背負っているバトルアックスに手をかけようとした所で、クロエが悲鳴をあげた。
「きゃああああ!!」
「なんだと? クロエ!?」
「動くな!! 動くと、クロエ・モレットは殺すぞ!!」
見ると先程クロエを助けに拷問部屋に入っている間に、隙をついて部屋に鍵をかけて逃げ出した警備隊長が、クロエの喉に短剣を突き付けて立っていた。くそ、やっちまった!!
絶対やられねえ自身はあるけれど、やっぱり誰かを守りながら戦うのは苦手だ。だがクロエには絶対に大丈夫だと……絶対助け出してやると断言した。それはなんとしても、確実に果たしてやる。あたしの命に代えても――それがあたしの意地だ。
形勢逆転したと理解するやいなや、ゲースの表情が極めて冷酷なものに変わる。そして声を張り上げた。
「ブハッハー、警備隊長!! でかしたぞ!!」
「はっ! どう致しますか!」
「そのままクロエを人質に、ゆっくりとその褐色の少女から距離をとれ!!」
「はっ!」
まずい、このまま距離をとられると、クロエを取り返せなくなる。考えろ! どうすればいいか、考えるんだ!
考えを巡らせていると、用心棒がこちらへ近づいてきた。握る剣の刃先は、相変わらずあたしの喉元に向いている。そんな用心棒と睨み合うあたしを見るゲースは、何か思いついたように手を叩いた。
「そうだ? 名を聞いていなかった? ノクタームエルドから来たとかほざいたな。お前の名を教えろ」
黙る。するとゲースは、また冷酷さと怒りの混じり合う表情を見せる。
「名乗らなければ、直ぐに今クロエを殺す。ワタシが警備隊長に命じれば、クロエの喉に短剣が突き刺さるぞ。それでもいいのか? あの細い首に刃物が突き刺さっても」
「この卑怯者めが。お前はあたしが確実に、この世に生まれてきた事を後悔させてやるからな。今のうちに覚悟をしていろ」
「ブヒャヒャヒャ。やはりいい声で鳴くな。ワタシは、そういう言葉を吐く少女が、拷問の末にどんどん弱くなって、か細くなって命乞いをする者に変わっていく瞬間が大好きなんだ。もちろん、助けはしない。最後は絶望で満たされる。それがまたいい」
「変態め」
「ブヘヘ、そうそれそれ。それで……褐色の少女よ、名は何という? 言わなければ……」
警備隊長の腕が微かに動いた。
「あたしの名は、ノエル・ジュエルズだ。冒険者だ。お前をブチ潰す者の名だ。記憶に刻み付けろ」




