第580話 『ノエルとカルビ その2』
その光景に吐きそうだと思った。
一目見て誰がクロエ・モレットは、直ぐに解った。少女は一人しかいない。それと別に女が一人……あれは、クロエの母親だろう。
他には、肥満体の脂ぎった如何にも貴族というおっさんと、ゴロツキ。ゴロツキは話を聞いて解ったが、フランクという男でクロエの父親ではない。
っていうか、あんな変態オヤジ共の目の前で娘を裸にしてお披露目しているのに、平然としている母親の方が異様に思えた。目を疑う光景。
だが、まだ飛び出してはいけない。そのまま身を隠して聞き耳を立てる。クロエはどうやら、この貴族のゲスオヤジに買い取られたようだ。信じられないが、母親が娘を売りやがった。
目の見えない娘の世話が疲れたのか、それともフランクという男の口車に乗せられたのか――両方だとしても反吐が出る。
アテナからは、キャンプでルキアとも友達になって楽しそうにしていたと聞いていたが、今のクロエの表情には、絶望しかないようだ……なるほどな。
グルウウウウウ……
絶望に染まるクロエ・モレットの姿を見たカルビは、次第に唸り始めた。怒りで、牙がむき出してきている。あたしは、部屋の中の男達に声が聞こえないように、小声でカルビに囁いた。
「こ、こら。カルビ! 駄目だ、唸るんじゃない。気づかれるだろ!」
ウウウウウウ……
「やめろって! 唸るな、我慢しろカルビ! クロエがどうなってもいいのか?」
ウ……
どうにかするにしても、チャンスを待てとカルビに教えた。本当にクロエ・モレットを助けてやるつもりがあるのなら……するとカルビは理解したのが、静かになった。でも牙だけは変わらず剥きだしている。す、すげえ怒っているじゃねーか。
とりあえず状況はある程度理解した。クロエ・モレットは、母親に見捨てられた挙げ句、目の前にいる醜悪な貴族の豚に売り飛ばさた。それは間違いなさそうだ。
家の外には、馬車が止まっている。つまり、この醜悪な貴族の豚は、クロエ・モレットが家に帰ってくるのを見計って家にやってきて、今から自分の屋敷に連れ去るつもりなのだ。
カルビには待てと言ったが……さて、どうしたものか。助ける事には違いないが、助けるなら助けるで確実に助けなければならない。このまま連れ去らせていいものか、それとも……
考えを巡らせていると、クロエ・モレットは再び服を着せられて家の外に連れ出された。そして馬車に乗せられる。
馬車に御者が乗り込むと、家の前でたむろっていたゴロツキ共の近くに繋いでいた馬に跨り、場所の横についた。このゴロツキ共は、あの貴族が雇った護衛か。
「はあっ! どおどおっ!!」
御者が声をかけると、クロエ・モレットと貴族の乗った馬車が動き出し、馬に騎乗したゴロツキ共のそれに続いた。
「ま、まずい!! あとを追いかけないと、見失う!! いくぞ、カルビ!!」
ガルウッ!!
慌てて路地から飛び出す。一瞬、窓からクロエの家の中が見えたが、娘が連れ去られたというのに母親はフランクという男といちゃついていた。本当にもう救いようがねえな。
「ま、不味いな!! こ、ここで見失ったら後でアテナになんて言われるか! うおおおおおお!!」
だ、駄目だ!! どんどんクロエの乗った馬車と引き離されていく。不味いな。何処かに何かないか?
きょろきょろと辺りを見回しながらも必死で馬車を追うが、そう都合よく馬があったりとかしない。ちきしょーー!! どうにかしないと!! どうにかしないと!! あたしは、アテナにクロエ・モレットの事を頼まれたんだ!!
頼まれて、うんと返事したからには、意地でもやりとげる!! 絶対にやりとげる!!
一瞬、背中に背負っているバトルアックスを投げ捨てようかと思ったが、それで軽くなったとしても馬には追い付けない。だからと言って、何かいい手も浮かばない。すがる思いで、横を駆けるカルビの名を叫ぶ。
「カ、カルビ!! このままじゃとても、追いつけない!! 見失う前に、お前だけでも先にいって奴らを追跡してくれ!!」
ガルウウウ!!
もうこれしかない。先に行けと言ったつもりだったが、カルビはダッシュしてあたしを追い越して少し先にまで行くと足を止めてあたしの方を振り返った。
「いいから!! あたしのことはいいから先にいけ!! クロエ・モレットの行先が解ったらまたあたしの所に戻ってきて教えてくれ!!」
しかし、動かないカルビ。どういうつもりだ!? カルビだってクロエ・モレットがあんな目にあっているのを見て、あんなに激怒していたのに――歯ぐきをムキキッとして剥き出していた。
するとカルビは唐突に、身を低くして唸り始めた。身体中、全身の毛が逆立って行く。
「カ……カルビ……どうしたんだ⁉」
ガルウウウウウウウ!!
カルビの様子がおかしい。そう思った刹那、カルビの身体の表面が何かモゾモゾと動き出し膨張し始めた。
「カ、カルビ!!」
そしてどんどんと身体は大きくなり、あっという間にドワーフの王国で、あたしやギブンが戦ったカルビになっていた。あたしは、この巨大化したカルビとそれに跨るルキアと、死闘を繰り広げた事を思い出す。
「カ……カルビ……?」
ワウ? ワウワウワウ、ガウウ!
「も、もしかしてあたしにお前の背中に乗れと言っているのか? それでクロエ・モレットの乗り込んだ馬車を追いかけろと?」
ワーウ!
凄く自慢げな顔をして、尻尾を振っている。おお、まさかこのあたしが、あの巨大なウルフに跨れる日が来るなんて思いもしなかった。
ガウガーウ!
「そ、そうだな! 急がないと見失ってしまうな! それじゃ、カルビ! あたしをその背に乗せてくれ! あのドゲス野郎を追いかけてぶっ飛ばして、それでクロエ・モレットを助け出そう!」
ドワーフの王国にいる荷運び蜘蛛は、荷を運ぶ為の魔物。勿論乗った事はないし、何年も冒険者をしているが魔物自体に騎乗してっていうのも、そんな体験した事もなかった。
だけど今日あたしは、生まれて初めて魔物の背に乗って走った。ドワーフの王国で、あたしと刃を交えたルキアはこんな気持ちだったのだろうか。
とてもワクワクするじゃねーか。




