第57話 『酒場の洗礼』
私とセシリアさんは、誘拐されたルーニ様を探し出す為に城をあとにした。
そしてまずは、昨日ルーニ様を送って行った、王都内にある貴族の館へ向かった。
「こ……ここです」
「そう、ここね。じゃあ、あなたちょっと行って聞いてきて」
「え? 私ですか?」
「そうよ。聞こえなかった? この家の人に、昨日の夜、女の子がこなかったかどうか、聞いてきてって言っているのよ。二度は言わせないでね」
「はは……はいっ!」
セシリアさんは、きつい性格だと思った。それとも私のような下級メイドなど、さほどルーニ様の捜索の役には、立たないと思っているのかもしれない。セシリアさんは、国王陛下直轄の王室メイドだ。上級メイド。そう考えると、セシリアさんの私に対する接し方は納得がいく…………
私は、セシリアさんに言われた通り、この館の人に昨日の事を聞いてきた。結果、昨日の夜は、ここへ女の子は来なかったとの事だ。
「これからどうしよう? セシリアさん?」
「そうね。…………酒場に行きましょう」
「酒場?」
セシリアさんは、くいっと眼鏡を持ち上げた。
「ええ。酒場は、意外な情報がいきかっていたりします。それに他の捜索している者の知らせでは、酒場の情報は無かったわ。だから、気になるの。ダメもとで行ってみましょう」
「酒場ですか? わかりました。でも私、酒場なんて行った事がありませんよ」
セシリアさんは、もう私のいう事を聞いていなかった。そればかりか、セシリアさんは、そんな私の気も知らないでさっさと行ってしまう。
「あ……あの、待ってください」
私は、慌ててセシリアさんのあとを追いかけた。
王都内には、いくつもの酒場がある。セシリアさんと私は、ルーニ様の情報を求めて、いくつもの酒場を渡り歩いた。しかし、何も情報は得られなかった。そして今度は、下町の方へ歩き出した。私がそうした訳ではなくて、セシリアさんがそういって歩き出したので、成り行きのままついていったのだ。
夕暮れ空になる頃、私はセシリアさんと一緒に、下町のとある酒場の前に立っていた。酒場がある場所は、俗にいうスラムと呼ばれる場所で、王都でも極めて治安の悪い場所だった。酒場が建っている通りにも、所々に盗賊のようなガラの悪い男たちがたむろしている。
セシリアさんが言うには、王都内の酒場で情報を集めている時、ある男から「そういった事なら、このスラムの酒場なら、きっと有力な情報を仕入れられる」と聞いたそうだ。
確かに私は頼りないかもしれないけど、そういう情報を聞いていたなら、その時に一言教えて欲しかった。でもその不満をセシリアさんに、面と向かって言える勇気は私にはない。
「だ……大丈夫でしょうか……セシリアさん…………」
「この酒場に入りましょう」
その辺にいるガラの悪い男たちが、私たちを凝視する。それもそうだ。考えてみれば、こんなスラムに場違いなメイドが、二人もうろついているのだ。目立って仕方がない。無事に店を出られるかどうか考えると、恐ろしくなってきた。
酒場に入った途端、店内のほとんどの客が、一斉にこちらを注目した。ざわざわと声が聞こえてくる。
「冗談だろ? メイドだぜ」
「メイドが入ってきた。まさか、メイドが酒でも飲むのか?」
「メイドだ。どっかの貴族のメイドか? いったい酒場に、なにしに来たんだ?」
酒場の客に睨まれる。恐怖で、また身体が震えた。セシリアさんの顔を見ようとしたが、セシリアさんは私の事なんて気にしている様子もなく、わき目もふらず真っすぐにバーテンの方へ歩いて行った。
「こんな所にメイドが、なんのようだ? あいにくと、ウェイトレスなら間に合っているぜ」
辺りから下品な笑い声が漏れる。
「先を急いでいるので単刀直入に言うわ。情報を売って欲しいのだけれど」
バーテンは、セシリアさんを睨んだ。その目には、敵意が感じられる。
「ここは、酒場だ。用件があるのなら、先に酒を頼め。話をするならそれからだ」
「じゃあ、赤ワインを頂戴」
そのセシリアさんの言葉にバーテンは一瞬、キョトンとした。そして、それを聞いていたガラの悪い客達がセシリアさんをからかった。
「じゃあー、あかワインをちょーだいーー!
――だってよー!!」
「どわーーーーーーッハッハッハッハ!!」
酒場中が、笑いの渦になり、客たちがセシリアさんを罵り笑い転げた。私は、いたたまれなくなってセシリアさんに近寄って声をかけた。
「セ……セシリアさん?」
「だーーはっはっはっは!! 赤ワインだってよ! 冗談だろ? やめてくれーー!! 笑い死にさせる気か? 今日日のメイドは、コメディアンのスキルにも長けているのかよ!」
「ほらっ! バーテン! かわい子ちゃんのメイドさんが、赤ワインをご所望だ! 用意してやれや!」
「あ……あの? セシリアさん?」
セシリアさんは、表情を全く変えないで、バーテンをじっと見つめている。バーテンは、ムッとした顔をした。
「赤ワインだと? やすもんの葡萄酒ならあるが、そんな赤ワインなんてもんは、ここにはねえな。ここは、おまえらのようなションベンガキが、来る所じゃねえ! さっさと、お貴族様のもとに帰って、お貴族様が喰った残飯でももらってな! さあ、とっとと帰りな!」
出入口の近くで行儀悪く座っていた、スキンヘッドの大男が立ち上がった。私の顔や背中を、冷汗がつたう。恐怖で身体が竦む。
「セシリアさん……いったん引き返しましょう。なにか、危険な感じがします」
「じゃあ、お酒を飲んだって事で、情報を聞いてもいいかしら? 勿論、その分のお金は支払います。決して悪い話じゃないでしょう? いくら払えば、情報を売ってもらえる?」
バーテンは、ジョッキに葡萄酒を並々注いで、それをいきなりセシリアさんの顔に浴びせた。
「セシリアさん!!」
「これは、店からのおごりだ! もう一度だけいう! ガキは帰れ!」
バーテンのその行動に、酒場の客は大盛り上がり。客の一人がこっちにこいと、私の手を掴んだので、振り払った。
「やめてくだい!!」
「ハッハーー!! 可愛い狐っこメイドがやめてくだちゃいだってよ! ぜってー、俺っちに惚れてるよ! たまんねーな! こっちこい! おじさんが、かわいがってやんよ!」
葡萄酒を頭から浴びてビショビショになったセシリアさん。私は、彼女の腕を掴んで引っ張った。そのまま店を出ようとすると、スキンヘッドの大男と、顔に傷のある男が立ちふさがった。
「なな……なんですか? 私たちは、もう帰ります。ここを通して下さい!」
「へっへっへっへ」
いやらしく笑う男たち。怖い。震えが止まらない。どうすれば…………
また、逃げだしたくなった。何もかもから逃げだしたい。私は、腰抜けだ。ルーニ様。ルーニ様。私のせいで、ルーニ様は大変な事になってしまっているのに、私は、腰抜けだからルーニ様を救えない。私は、もう…………
陛下と約束をしたのに…………陛下にお会いした時、陛下は平静を装っておられた。でも本当は、心の底で娘の事を心配して、悲鳴をあげておられたのだ。それを思うと、心が砕ける。だけど、私には誰かを助ける勇気や力なんてない…………私は、虫けらなのだから。
その時だった。セシリアさんが、店の出入口に立ちふさがる、顔に傷のある男の肩を片手で勢いよくドンっと押した。
「うっ!! このアマ……!!」
「わかりました。帰ります。帰りますので、どいてください」
男たちは、驚いた。ここまで、あおられても罵られても、毅然としているセシリアさんの姿に。私もセシリアさんのその姿を目の当たりにして、胸の奥で少し熱い何かを感じだ。
隙をついて、間を抜けて店の外に出た。そして、そのままスラム街の外へ急いで逃げた。
「はあ……はあ……良かった。なんとか、出られて良かった。私、怖くて怖くて」
「まさか、怖くてまた漏らしたりしていないでしょうね」
「………………」
私は、セシリアさんの質問に押し黙った。
「なぜ、黙っているの? …………それにあなた? 自分のするべき事を解っているの?」
「え?」
「はあー。私たちは、ルーニ様をできるだけ早くお救いしなくては、ならないのよ! 緊急事態なのよ! これは使命なのよ! 私たちが怖いとか嫌だとか、そういった私たちの感情はこの際関係ないの。私たちの感情なんてものの優先順位なんて、下なの! わかる? あなた、それちゃんと理解しているの?」
「ご……ごめんない。私…………」
「はあ……まあいいわ。次の手を考えないと、ならないわね。あのバーテンの対応、物凄く気になるし。……とりあえず、王都の外に出ましょう。これから、私たちの野宿をする場所を確保しましょう」
「え? 野宿? なんで? 野宿なんて、私…………」
「まだわかっていない…………明日、またあのバーテンと交渉するのよ。そしたら、もしかしたらお金が少しでも必要になるかもしれないでしょ? だから少しでも、節約して野宿するのよ」
「でもそれだったら、一旦お城に返るとか……陛下にお金を…………」
「そう。陛下に行って参りますって、意気揚々と出ていってまた城へ戻るの? そんなみっともない事ができるの? あなたは? そんな事をすれば陛下だって、きっと不安になられるわ! ルーニ様が誘拐されて、今の陛下が内心どういうお気持ちなのかちゃんと理解しているの?」
「うっ……」
「それに陛下にお金を頂くですって? じゃあ、お金を欲しいですって言って要求すればいいわ。スラムのゴロツキが沢山たむろする酒場で、お金をバラまいて情報を引き出すから、お金をくださいってね。言えばいいわ。ゲラルド様に言ってしまえばいいわ。どうなるか、見ものね」
「え……そんな……お金をバラまくとは言ってません。それに、なぜゲラルド様のお名前が……」
「え? あなた、ゲラルド様が好きなんでしょ? なんなら、かわりに私が言ってあげるわ。ゲラルド様、お金くさーいって、テトラが言ってましたって」
セシリアさんを完全に怒らせてしまった。毒舌が止まらない。
「とりあえず、野宿しに向かいましょう。全身、葡萄酒を浴びたせいで、身体がベタベタする。とっても気持ち悪いわ」
私はセシリアさんと王都の外に出て、野宿する事になった。
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〚下記備考欄〛
〇リトルフランケ 種別:ヒューム
スラムにあるメルの酒場にいる常連のゴロツキ。スキンヘッドの大男。力自慢で喧嘩慣れしているようだ。
〇葡萄酒 種別:酒
貴族や王族が飲んでいる葡萄で作られたお酒はワインと呼ばれているが、葡萄酒と一般的に呼ばれているものはもっとグレードが低い。街や村にある普通の酒場にはだいたい置いてあって注文すると、樽コップに並々と注いで出てくる。庶民にも親しまれるお酒で、産地や葡萄の種類によっても色々味や質も変わる。店で購入する場合は、大抵は樽に入れて売られているが瓶に入っているものは高額のいいものが多い。
〇スラム 種別:ロケーション
下町にある、特に治安の悪い場所。ゴロツキなどがそこいらじゅうにいて、盗賊などもその辺を歩いていたりする危険な場所。王国兵士も好んで足を踏み入れない場所。あえてこんな所に来るのは、冒険者か傭兵位のものだろう。
〇酒場 種別:ロケーション
ゴロツキや酔っ払いがいたりする酒の飲める場所。しかし、酒場を訪れるのは冒険者や行商人なども多く、驚くような情報を仕入れられたりする場所でもある。それ以外にもパーティーを組む為の仲間を探しに来る冒険者もよく来るようだ。情報や仲間が見つかる場所、それが酒場。
〇国王陛下直轄王室メイド
国王や王妃など王族の傍で、そのお世話をする上級メイド。王族の周囲に常時いる為、メイドの中でも忠誠心に厚く、極めて信頼があり尚且つ優秀な者にしかならないメイド。
〇野宿
これがグレードアップすると、キャンプになる。キャンプっていいですよねー。




