第564話 『美味しい珈琲の入れ方講座 その4』
コナリーさんの、美味しい珈琲の入れ方講座。
珈琲を落とし終えると、コナリーさんは持ってきた荷物から何やら箱を慎重に取り出した。それを開けてみてと私が言われたので、開けてみる。
するとアテナさん達の「わーーっ」って驚く声が聞こえた。なんだろうと思っていると、ルキアがとても美味しそうなケーキだよって言って教えてくれた。
ケーキなんて……かれこれもう食べていない。
わたしのうちは、お母さんとわたしの二人暮らし。蓄えもそれ程ないみたいで、慎ましやかな生活を送っていたけど、フランクさんがお母さんの前に現れてから更にうちは貧しくなった。それからケーキなんてもう口にしていない。
アテナさんにキャンプに誘われた時は、わたしがそこへ行って楽しめるかどうか自信がなかったし、目の見えないわたしはきっと皆の迷惑になる……そう思っていたけれど……今は楽しくて夢のように思える時間が続いている。
「さあ、今日は特別な日だ。お嬢さん方はケーキが大好物だろ? うちの店の美味しいケーキだよ。一人二つ食べていいからね、遠慮せずに選んで選んで! 淹れたての珈琲と一緒に食べようか」
「わあ! ありがとうございます、コナリーさん! うわー、まさかこんな所でこんな美味しそうなケーキを食べられるなんて!」
アテナさんがそう言うと、ルキアやルンちゃんもそれに続いてお礼を言ったのでわたしも慌てて言った。
するとコナリーさんのテントからも「ありがとうございます、遠慮なく頂きます」っていうマリンさんの声が聞こえてきて笑ってしまった。本当に楽しくて、素敵な人達。
皆で集まって食べるケーキと珈琲の味は、最高だった。
見えなくても辺りが霧に包まれているのが、なんとなく湿気などを肌やニオイで感じた。これでお天気が良ければもっと……って思ったけれど、それでも家の外……泉の傍にテントを張って、お茶をする午後のコーヒーブレイクは、この上ない幸せ。
ああ、本当にこんな日が毎日続けばいいのにな。足元にモフモフしたものを感じる。グーレス。わたしは彼の頭を優しく撫でた。
ワウ。
ケーキも美味しい、珈琲も美味しい。皆の笑い声に楽しいお喋り。
それらを耳にしていると、急にふっと怖くなった。なぜだろう……きっとこんな今までに無かった幸せに、どっぷりと浸かってしまっているからだと思った。
ずっとずっとずっと、このままずーーーっと、グーレスやアテナさん、ルキア達といたい。
……でもアテナさん達は冒険者だし、色々な場所を旅していると言っていた。
このブレッドの街に来たのも、アテナさんの友達が商人で、その仕事についてきただけ。そのお友達の用が終わればまた何処かへ旅立ってしまう。そうすれば、またわたしの何もない真っ暗な日々がやってくる。閉ざされた自分の部屋で、じっとしている毎日が続く。
お母さんの頭の中には、わたしよりフランクさんの事ばかりになってしまっている。それにお母さんは、フランクさんの事が好きみたいだけどわたしは……あの人の事が……怖い。
お父さんがいてくれればと思った。
無意識に気持ちが沈んでしまっていたら、アテナさんが気づいてしまったみたいで声をかけてくれた。
「あれ、どうしたのクロエ? ケーキ美味しいよね。もうお腹いっぱいって事はないんでしょ?」
「え? ええ。ちょ、ちょっとわたし……」
今が楽しいだけに、後の事を考えると心が潰されそうになった。急に立ち上がると、どうしたのかと心配してくれる皆。わたしは「ごめんなさい」と言って逃げるようにして、泉がある方へと歩いた。
「待って、クロエ! そっちは泉が……」
「大丈夫。おトイレに行きたくなったのかもしれないし、私が行くから。それにここからでも見える所だしね。ルキアはルン達と一緒にここにいて、ケーキと珈琲を楽しんでいて」
「……はい。わかりました」
ルキアとアテナさんの声。アテナさんがこっちへ近づいてくるのが解った。
「クロエ、そこでストップ。そのまま行くと泉に落ちちゃうよ」
アテナさんに言われて立ち止まる。しゃがみ込んで手を這わせてみると、水に触れた。わたしはそこに座り込む。すると、後を追ってきたアテナさんが隣に座りこみ、私の前に珈琲とケーキの乗ったお皿を置いた。音と感じで、それも解る。
「どうしたの、クロエ。あっ! 解った! 折角泉まで来ているから、泉の前で美味しいケーキと珈琲を味わいたくなったんだね。いいよね、私も一緒しちゃおーっと」
「あ、ありがとうございます。アテナさん」
「んーん、いいよ。気にしないで」
そう言ってアテナさんは、自分の分のケーキを一口わたしの口に放り込んだ。パクリと食べると、ブルーベリーとチーズケーキのまろやかな味が口の中に広がる。甘いけど、しつこくない上品な味。美味しい。
「ルンも、クロエの隣に座りたいんだけど!」
ワウワウッ
「こらルン! 気を付けないと、泉に落ちちゃうんだから!」
「霧が漂う泉の畔で、ケーキと珈琲を頂くというのもなかなかいい考えだ。端的に言って、クロエはなかなか楽しみ方を心得ている」
どうしようもなくなって、皆から離れるとアテナさんに続いてルンちゃんにグーレス、ルキアにマリンさんまで私の隣に来て座った。
私を中心にして皆が1ヵ所に寄り集めっているのを見て、少し離れた場所で笑っているコナリーさんの声も聞こえてくる。
私の手に、暖かくて柔らかい手が優しく振れた。直ぐにアテナさんの手だと気づいた。
「クロエ、私達はもうあなたの友達だから。困ったことがあったら力になるから、なんでも言ってね」
「そ、そんな……」
ルンが続けた。
「ルンも友達だから! クロエの友達だからね! だから、クロエが困っていたり悲しい気持ちになったらルンが力になるよ。でもルンが困っていたら、クロエがルンを助けないといけないんだからね! 友達だから、それが当然なんだよ!」
笑っちゃった。確かにそれが、友達。
目が見えないわたしに、困っていたら助けてなんて……そんな事を言われたのは初めてだった。私は皆に「ありがとう」って言った。
本当は、その後に皆の事が大好きって伝えたかったけど……それは流石に会ったばかりで、そんな事を言うのは可笑しいと思われるかもしれないと思って言えなかった。




