第542話 『トニオ・グラシアーノ その1』
――――ブレッドの街の外れ。そこにまだ建築されて新しい屋敷があった。
ブレッドの街の商人、トニオ・グラシアーノが思い切って建てた屋敷だ。ニャーがこの屋敷にやってくるのは確か……三回目だったかな。
それなりに大きな屋敷。空は曇り空。辺りには霧が立ち込めていて、普段はぜんぜんそういう風に見えないけれど、それらが良くない方へ演出をしてしまっていて、まるで吸血鬼でも住んでいるかのような感じの屋敷になってしまっていた。一応しつこく言っておくけど、普段はいたって普通の屋敷に見える。
屋敷を囲む鉄柵。その門の前に立つと、それを開けて庭に入る。日中は、鍵がかけられていない。そのままズカズカと中庭を通ると、屋敷の入口扉の前へ移動する。
「ごめんくだニャーーーーい!!」
強めにノックをする。霧の発生で余計に不気味に辺りが見えるせいか、ビクビクしているクウ。対してシェリーは、相変わらずけろっとしている。だが、警戒はしてくれている。
「そ、そんなに強くノックしたら迷惑じゃないでしょうか? きっと皆驚くんじゃないですか?」
「驚くも何も、この屋敷にはトニオしか住んでいないニャ」
「え? それってどういう事ですか?」
「トニオは確かにニャーよりも稼いでいるニャけど、それでもこの屋敷は、見栄を張って買ったんニャ。ニャから執事やメイドなんかまで雇う余裕はとてもないはずニャ」
「つまりグラシアーノさんは、ここに一人で住んでいるんですか。確かに街の外れだから、簡単に街に戻れますし、特に不便もなさそうですね」
「そうニャ。それに――」
続けようとした所で扉がガチャリと開いて、知っている顏が扉の間から覗いた。
「それに――街で屋敷を建てるよりも、その近くであっても、街外に屋敷を建てれば土地代が安く済む。なんだ、ミャオにはお見通しだったか」
「トニオ! 良かった、いたんニャね」
「そりゃそうだ。そういう話だ。まだ取引を完了していないし、代金も払っていない。まあお前さんが代金なんていらニャーよ、って言ってくれんだったら、ミャオ様ミャオ様仏様って手を擦り合わせて感謝するんだがなー」
「勝手に仏様にしないで欲しいニャ。それより、家の中へ入れて欲しいニャ」
「こりゃまた天気も悪いし、凄い霧だな。クウとシェリーも一緒か。まあ、中へ入れよ」
「こんにちは、グラシアーノさん。お邪魔します」
「邪魔をする」
ニャー達は、トニオに屋敷の中へ入れてもらうと、早速客間に通された。
「まあ知っての通り、この屋敷には俺しか住んでいない。つまり今ここにいるのは俺達だけだ。だから遠慮なぞせずに、適当にくつろいでくれ。そして、ちょっとここで待っていてくれるか」
「何処か行くかニャ?」
「召使がいねーんだって。ちょっと待っててくれよ、今何か食い物と飲み物を用意するからよ」
そう言ってトニオは何処かへ消えていった。シェリーは溜息をつくとニャーの方を向いて言った。
「昨日、店で会った時はもっと普通の商人してただろ? 本性はあんななのか?」
「そうニャ。あんなニャ。店じゃ、自分が雇っている他の従業員の手前、一応まともにしているニャけど、プライベートはグダグダニャ。猫被ってるニャー」
クウが笑う。
「プライベートがグダグダってミャオと一緒ですね。フフフフ」
「ニャニャ!! 心外ニャ!! ニャーは、そんな事ないニャ、エスカルテいちの淑女ニャ!!」
変わらず口を押えて笑うクウ。ニャンカニャーー、ニャーのような可憐な少女とあの金儲け大好き商人トニオ・グラシアーノを一緒にしないでほしい。
…………
でも……それでもトニオは、生粋の商人。ニャーンさんから頼まれた鰐の仮面、大人しく返してもらえるかどうか、それが解らない。返却を良しとしたとしても、きっと吹っ掛けてくるかもしれない。そしたら、面倒臭いことこの上ない。さて、どうきりだそう。
「お待たせーー、ほら!! 燻製肉を食べやすいようにカットして、皿に乗せて持ってきた。ろくに料理ができなくても、こうして見せればそれなりのおもてなしに見えるだろ? 果実や菓子もある。クウは遠慮せずに食べろ、なんてっても、育ち盛りだからな」
ムッとした顔でシェリーが言った。
「アタシは?」
「も、もちろんシェリーもどうぞ。遠慮しないでねー。飲み物は生憎酒しかないが、それでいいかな?」
「おお、いいじゃないか」
「わ、私はお酒はちょっとアレなのでお水をください」
「よし、わかった。じゃあ、クウには水を持ってこよう。ささ、遠慮しないで食べて!」
昼間っからだというのに、なんとなく宴のような感じになってしまった。トニオは、見るからに今日は一日休みなのだろう。だから昼間っからでも酒を飲んで、ダラダラと過ごしている。
だけど、ダラダラ過ごして宴といっても、結局はニャーと商談の話をするのだから、やっぱりこの男は生粋の商人だと思う。
少し他愛のない話を楽しんだ。クウは、ニャーとトニオの会話の聞き役に徹していて、シェリーは一人酒と燻製肉を食べて楽しんでいた。
「アッハッハッハ! やっぱりミャオとの会話は勉強になる。それに楽しい」
「そうかニャ? それを言うなら、ニャーも色々と勉強させてもらったニャ。それで勉強ついでに、ちょっとご相談があるニャ」
ここだ! 切り出すなら、このタイミング。だけど、まずはジャブから打ち込んでいく。
「ほう、なんだ?」
「昨日トニオの店に持ち込んだ品物の買い取り金額ニャンニャけど、もう少しでいいから勉強して欲しいニャ!」
屈託の無い笑顔を向けて、トニオの「じゃあ少し位なら勉強してやるか」っていう気持ちを引き出そうと試みる。酒を飲んでいる今なら、チャンス。
しかし昨日持ち込んだ品物の代金の話に変わると、トニオ・グラシアーノのさっきまで上機嫌だった表情は、みるみると鋭いものへと変貌した。




