第534話 『ルキアとクロエ その2』
「ルキア―! ルキアー!! どどど、どうすればいいかしら、これ!!」
クロエの持つ釣り竿が大きくしなっていた。やっぱりこの川の水が、泉へと流れ込んでいるポイント――絶好の狙い目だった。
クロエの釣り竿を見ると、もう物凄いしなっていて、バキっと今にも音を立てて折れてしまいそうだった。カルビがすかさず、クロエのスカートの裾を咥える。クロエが泉へ引きずり込まれないように、必死に頑張って引っ張っている。
私も自分の竿を一旦置いて、クロエの身体を掴みに行った。
「クロエには、私とカルビがついてますから絶対に大丈夫です!!」
「で、でもこの感覚……コナリーさんから借りた釣り竿の方が大丈夫ではないんじゃないですか?」
「うう、確かにそうですね!」
糸を引っ張る力は、凄く大きい。上手くこのまま釣り上げる事ができれば、立派なお魚が手に入る。そう思ったけど、クロエが口にした言葉にドキリとする。
「ルキア! これは尋常ではない力ですよ。これ……わたしには見えないけれど、何か普通ではないものを感じる……もしかして、針にかかっているのは魚ではなく魔物って事はないですよね」
「ま、魔物!?」
カルビと顔を見合わせる。だけどカルビにも、水の中のそれがなんなのか解らないようだった。困ったな、どうしよう。
ビビビビビ……
駄目!! 徐々に身体が泉の方へ引きずられる!!
「ルキア!! このままじゃ皆、泉に引きずり込まれてしまう!!」
「解りました! このまま頑張って釣り上げようとしても、私達だけじゃこの獲物を釣り上げる事はできないです!! 残念ですが、ここは諦めましょう!!」
腰に装備している『破邪の短剣』を引き抜くと、それで糸を斬ろうとした。刹那、大量の水飛沫とともに泉の中から大きなものが姿を現した。
ザパーーーーン!!
「きゃあああ!!」
クロエの持つ釣り竿の糸を斬ると、カルビが彼女を後ろへ引き寄せる。そしてクロエを守る為に彼女の前にカルビとともに立つと、太刀『猫の爪』を抜いて構えた。
霧の中――自ら姿を現したのは、水だった。こんな事を言っても、誰も意味が解らないだろうけど、そう言うしかなかった。
「ル、ルキア! な、なにがどうしたの? 魔物!? やっぱり、泉に魔物がいるの!?」
怯えるクロエ。目が見えなくても、気配がする。そして泉から何かが飛び出してきた事も、降りかかる水飛沫や大きな水の音でそれが解る。得体の知れない何かに恐怖するのは当然だった。
「心配しないでくださいクロエ! 私もカルビも絶対に、クロエを置いて逃げたりしません!! 絶対にそれは無いから、それだけは安心してください!! 食べられる時は、一緒ですよ!!」
食べられる時は、一緒。それでクロエは泉から姿を現したそれがとても大きいもので、人間や魚などでは無い事を悟ったようだった。でも私のセリフがなんだか変だったようで、こんな状況なのにクロエは少し笑って取り乱す事はなかった。
「っぷ! なんですか、それ。食べられる時は一緒ですよって! 戦うとか逃げるとか、そういうのじゃないのですね」
「え? だって、私クロエを抱き上げて走って逃げるなんて力ありませんし、戦うと言ってもこんな大きな魔物……勝てる自信がないですよ……」
「ま、魔物なんですか?」
「はい、大きな蛇の魔物です」
それならなぜ、水と思ったのか。――そう。目の前に突如として泉から姿を現した大きな蛇は、肉体というものがないように見える。確かに蛇の姿かたちをしてはいるけど、その身体は全て水でできていた。
そう言えば、マリンは水属性魔法が得意だったという事を思い出す。周囲を見回す。しかしマリンの姿は何処にもない。
もしかしたら、私達を驚かせるためのマリンの悪戯かなって僅かに思ったけれど、それとも違うようだった。
シャアアアア……
水の蛇は、襲って来る訳でもなくじっと私とクロエ、カルビを見ている。ちょろっと舌を出して、ペロペロっとして見せたがその舌も肉ではなく、水のようだった。大きな蛇の全てが水で形成されている。
「ルキア……今、わたし達の目の前に何がいるのですか? できれば、解るようにもっと説明して欲しいです」
「はい、でも……驚かないでください。実は、水でできた蛇がいます。大きな水でできた蛇。泉から姿を現してからは、じっとこちらの様子を見ています」
「水でできた蛇……それは、魔物ですか?」
「え? こんな動物見た事はありませんし、魔物だと思いますけど。な、なぜですか?」
聞くと、クロエはじっと水の蛇を見つめている。クロエは、盲目で両目とも見えない。だから目は確かに蛇の方を向いてはいるけども、どことなく虚ろ気な目だった。
でも私には、そんなクロエが目ではなく、他の何かの感覚で蛇の姿を捕らえようとしているようにも見えた。
「……ルキア。その、今わたし達の目の前にいる大きな蛇ですが、本当に魔物なのでしょうか?」
「え? でも」
「襲ってこないですし……その確かに何か得体の知れない大きなものと向き合っている気配はして、恐ろしいのですが……何て言うか、嫌な……気持ちが悪くなるようなそんな感じが伝わってこないから……」
言われてみれば、じっとこちらを見つめているが襲ってはこない。狂暴な魔物だったなら、私とクロエとカルビはもうこの大きな蛇のお腹の中だろう。
もしも既に食べられていたとしてもアテナなら、私達に気付いて、きっと消化される前に見つけて助け出してくれそうだけど……
…………
水でできた大きな蛇の事を恐ろしいと思っていたけど、にらめっこが続くうちに、徐々に不思議な感じに思えてきた。その瞬間、一旦地面に置いていた私の釣り竿の先端がグググっと動いた。
釣り竿の仕掛けや餌は、そのままほっぽりだしたままだった。糸も泉に垂らした状態だったので、こんなタイミングで魚が釣れてしまったのだと思った。




