第512話 『クロエとグーレス その3』
クロエは、カルビが見つけてくれた杖を手にすると、それで辺りを軽く叩いて確認し始めた。その行為をじっと見つめるカルビ。
すると、カルビはクロエの方を見て2回吠えるとサッと何処かへ走り去ってしまった。
「グーレス! どうしたの? グーレス、何処かへ行ってしまったの?」
クロエは耳が良かった。むしろ、かなりいい方かも知れない。だからカルビが吠えた後に、自分を置いて何処かに行ってしまった事にも音と気配だけで気づいた。
クロエは、どうしようかと思った。自分一人の力で家に帰ることができるのだろうかと、唐突に不安に襲われる。
てっきりカルビは、自分の言葉を理解しているのだと思っていた。だからクロエには、ショックだった。涙が溢れそうになる。この目は、役に立つ事もないのに涙だけは流れる。それがクロエには無性に腹が立った。
すると、向こうの方――カルビが走り去った方から、何者かがこちらに向かって駆けてくる音が聞こえた。間違えない、この足音は……4本の足。
クロエは涙を拭うと、そっちの方へ振り返った。すると、モフモフの何かがクロエ目掛けて跳びかかってきた。
ワウッワウッ!!
「もうーーー! グーレス、心配したんだよ、わたし! もうあなたはわたしをここへ置いて行ってしまたのかと思って!」
カルビをぎゅっと抱きしめるクロエ。カルビの頭に顔を押し付けると、ほんのりと干し草のいい香りがした。そして、可愛い尖った耳の感触。出会って僅かしか時も経っていないのに、クロエはカルビの事が心の底から大好きになっていた。
それというのも、理由があった。クロエには別にこれまで友達がいない訳ではない。誰でも最初はある。そう、クロエにも友達がいた時はあったのだ。
でも、クロエにはハンデがあった。遊ぶことにも何をするにしても、制限がある。だけどクロエにしてみれば、別に目で見る事はできなくても、匂いを嗅ぐ事や肌で感じる事、聴く事ができる。考える事だってできるし、喋ることだってできる……
他の子と違う所なんて一つしかないのに……それでも、クロエにとっては、それは大きな壁となっていた。
気が付くといつしか仲の良いと思っていた友達は、クロエの周りにはいなくなっていた。両親もそうだった。
クロエの事で次第に、夫婦の間で諍いが多くなった。そしてある日父親は、妻と娘のクロエを置いて何処かへ行ってしまった。それから、母子二人での生活になり、クロエの世話をする母親も次第になんだかおかしくなっていった。
クロエの父がいない今、母は生計を立てる為に自分自身が働かなくてはならなくなった。更に、ハンデをかかえたわたしの世話と、両立しなくれはならない毎日。そんな日々の連続に、母は耐えられなくなってきているのだとクロエは実感していた。
だから別に母が世話をやかなくても、一人で生活できるようになりたかった。なれるのだと、母に証明して少しでも母の負担を軽くしてあげたかった。そうすれば、以前の優しい母に戻ってくれるのではないか。クロエは、そう信じていた。
それなのに……それなのに、慣れ親しんだ街だからと調子に乗って一人で少し家を出ると、こんな事になってしまった。可能性を考えて何をやってみても、上手くいかない。
クロエも叫びたかった。思いきり、喉が張り裂けそうな位、叫びたい。クロエの父がいなくなり、悲しい思いをしたのはなにもその妻だけではないのだ。
「グーレス、だーい好き! アハハ、ついに言っちゃった。見る事はできないけれど、匂いや聴こえるあなたのしぐさ。手で触ったモフモフの感触。とっても、可愛いって事が手に取るように解るわ」
ガルゥ!
「あっ、ごめんなさい。そう言えばグーレスは、男の子だったわね。じゃあ、可愛いと言われるよりはハンサムって言われた方がいいに決まっているわ。グーレスは、とってもハンサムね」
クロエはそう言って再びカルビを撫でた。すると、何かが手に障る。これは何かと手に取って調べる。
「これは……縄? もしかして、あなたこれを取ってくるためにさっき……」
クロエは、はっとした。そしてカルビの事を本当に頭の良いモフモフだと思った。
カルビは、コナリーさんの喫茶店の場所を知っている。そして何処からか縄を持ってきたカルビの意図、それはクロエにそれを使い自分に巻き付けて、リードにしろと言っているのだと察した。
「グーレス、あなた……犬よね。人の言葉をこれ程まで理解して……こんなに頭のいい犬なんているのかしら……」
ワウッ
「ウフフ。解ってるわ、ありがとう。別にそんな事、考えても仕方がないわよね。わたしとグーレス、それだけでいい。それじゃ、この縄をリードにさせてもらうわね。早速あなたに結び付けるから、ちょっとじっとしててね」
クロエはカルビに触れると、カルビに縄を巻き付けた。カルビの首には、ルシエルに買ってもらった魔装具が装着されているので、きっとそれに縄を結び付けてくれるのだろうと思っていたカルビ。しかしクロエは予想に反して、カルビの胴体に縄をぐるぐるに巻き付けた。
なんか、違う。
カルビの眉間に皺がよる。動きにくいし、なんだか少女にまんまと生け捕りにされたウルフの子供みたいでかっこ悪かった。
「よし、これで良し! それじゃグーレス! わたしをコナリーさんの喫茶店へ連れていって!」
クロエの笑顔。先程、少し暗い表情をしたのをカルビは見逃さなかった。縄で変な感じに巻き付けられて凄く嫌だけど、クロエの笑顔を見るとカルビはまあいいかと思い直す。
カルビは縄を引っ張って、先程アテナ達がお茶をしてケーキを食べていた喫茶店のほうへクロエを誘導した。




