第506話 『ブレッドの街の喫茶店 その4』
特に何を言っても動じる事がなさそうだと思っていたマスターだったが、私のこの申し出には流石に少し驚いたような顔をした。
「当然普段はお店の営業があるでしょうし、もしも定休日とかそういうのがあればでいいんですけど……ダメですか? 失礼でなければ、もちろん授業料もお支払いしますから是非お願いできないでしょうか?」
「うーーん。この店にはね、定休日は特にないんだよ。それに、さっきみたいに勝手に見てもらう分にはかまわないがね。私も喫茶店を営んでいるから、企業秘密っていうのもあってだね。お嬢さんがこの店を継いでくれるとか、開業を目指しているとかで弟子入りしてくれるのであれば、この店の珈琲の事を一から百まで教えてあげるという事も吝かではないのだが」
「そ、そうですか……確かにそうですよね。私、マスターに無理を言ってしまいました。ごめんなさい。私だって冒険者を生業にしていますが、確かに誰でも彼でも自分のスキルをペラペラと喋って教えるような事はしないですもの」
確かにそうだった。無理を言っていた。なんだか、申し訳ない事を言い出してしまったなと思って反省する。すると、奥さんが言った。
「あなた、行ってきたら?」
「行ってきたらって何をだい?」
「キャンプよ。この子達と街の近くの森か草原ででもキャンプをしてあげたらいいじゃない。仕事は1日位臨時休業にしてもいいんじゃないかしら」
「でもな……テレサ」
「ずっとお休みがなかったから私、久しぶりにお休みをとりたいわ。あなたもたまに行くキャンプ、夜だけじゃなくて1日まったりとしてきてもいいんじゃない。それでこの子達に折角だから、とびきり美味しい珈琲を入れてあげればいいんじゃないかしら」
奥さん……テレサさんはそう言って私の方を向くとウインクした。
もしかして、一緒にキャンプする時にマスターに珈琲を入れさせるからまた見学すればいい。教えてもらう事ができなくても、見て学べばいいという事を言ってくれているのだと気づいた。つまり、私にチャンスをくれたのだ。なんて優しい人だろう。
「……そうだな。それもいいかもしれないな。解った。皆でキャンプに行こう。それじゃ、いつがいいかな?」
「ありがとうございます! じゃあ今日は……」
ルキアと顔を合わせる。
「今日は、一緒にこの街に来ている友人たちと予定がありますので、明日か明後日でも一緒にキャンプをどうでしょうか?」
よし! テレサさんに作ってもらったチャンスを無駄にしてはならない。ここで、出すしかない!! 私の渾身の必殺技を!!
必殺の上目遣いを、マスターに放った。これを目にしたら、きっとこのダンディーなマスターは私の事を可愛いと思うに違いない。そうすれば、全て上手くいく。それ、私がルキアから学んだ必殺プリティーな上目遣いをくらえ! ふんぬーー!!
しかし、マスターはそれに気づくと声をあげて笑った。なんで? 何か思っていた結果と違う。
「はっはっは。まいったな。テレサにもお嬢ちゃんにもかなわないな。じゃあ、明日にしようか。明日の朝にこの店に来てくれれば、この辺りで私がいつもキャンプを設営している場所に連れて行ってあげよう。そこで宿泊して明後日の朝、解散の予定でどうかな?」
「やったーー!! ありがとうございます!!」
「良かったですね、アテナ!! 私も一緒にキャンプしたいです!!」
「もちろんルキアも一緒だね!! じゃあ、また明日の朝にこちらに伺いますので」
マスターと約束を交わしお店を出ると、マスターも奥さんも見送りに出てきてくれた。
「ええ。また明日、いらっしゃい」
テレサさんがそういうと、私は自己紹介をしなければと二人に自分の名前を伝えた。もちろん、ここはクラインベルト王国内なので、ファミリーネームの方は隠した。
「申し遅れましたが、私の名前はアテナです。冒険者アテナ。そして、この子達は……」
「ルキアです! アテナと同じく冒険者のルキア・オールヴィーです。この子は、使い魔のカルビです」
ワウッ
「ルンはルンだよ!! エスカルテの街で、学校に行ってるの。あと、ミャオのお店を手伝っているんだよ」
「そうなのそうなの。アテナちゃんにルキアちゃん。それにカルビちゃんに、ルンちゃんね。覚えたわ。私は、もうこの人が呼んでいたからもうご存知だと思うのだけれど、テレサよ。この人は、夫のショーン」
「私の名前は、ショーン・コナリーだ」
「ショーン・コナリーさんに、奥さんのテレサ・コナリーさんですね」
「所で、さっきルンちゃんが言った事だが、ルンちゃんが手伝いをしているというミャオさんというのは、もしかして猫の獣人の女の子、ミャオ・シルバーバインの事かね?」
「え? コナリーさん知っているんですか、ミャオの事?」
「ああ。たまにだが、彼女に珈琲豆を仕入れて納品してもらう事があってね。特別な珈琲豆なんで仕入れが大変なのだが、美味しい珈琲でそれを飲みにうちの店に来てくれるお客さんもいるんだよ。それで、彼女はそれをどうやってか、その特別な珈琲豆を調達してきてくれる。だから、その珈琲豆が無くなりそうになると、彼女に仕入れの依頼を出しているんだよ」
「そうだったんですね」
考えてみれば同じクラインベルト王国内だし、ミャオの住むエスカルテの街と、今いるこのブレッドの街は近いし、ミャオは商人なのだからこの街のお店を営んでいる人達と面識があってもなんらおかしくはないのだ。
「彼女は今、どうしているのかな?」
「あはは。実はですね、ミャオは今仕事で私達と一緒にこの街へきているんですよ。今は商売の話で、取引先に行っていると思います……でもまた後で合流するので、コナリーさんのお店に顔を出すように伝えておきます」
「ありがとう、アテナちゃん」
絵に描いたよう仲睦まじい夫婦。ショーン・コナリーさんとテレサさんに、また後程会いましょうとお別れを言うと私達は二人のお店を後にした。
ルンは、よっぽどテレサさんの事を好きになったのか最後までべったりだった。そう言えば、皆そうは感じさせないけれど、ルンもクウもミラールもロンも……ルキアやリアと同じように、冷酷残忍な賊に両親を殺められた事を思い出した。
皆、周りを心配させまい、迷惑かけまいと強がって普通を装っているけれど、両親に会いたいだろうし会えるのならあまえたいに違いないと思った。
私が少しでも皆のささえになって、家族同様になる事ができればその失った心を僅かでも埋める事ができるかもしれない。
皆まだ幼いのに、とても強くていい子達だ。だから皆、幸せになって欲しい。心からそう思った。
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〚下記備考欄〛
〇ショーン・コナリー 種別:ヒューム
ブレッドの街でも1、2を争う程評判の良い喫茶店のマスター。何十年と培ってきたその珈琲豆を選ぶ目と珈琲を落とす技術は素晴らしい。実はキャンパーでもある為、珈琲好きとキャンプ好きのアテナにはとてもいい出会いとなった。アテナはこのチャンスを生かして、美味しい珈琲の入れ方を彼から教えてもらおうとしている。
〇テレサ・コナリー 種別:ヒューム
ショーン・コナリーの妻。ケーキなどお菓子作りも大好きで、以前は喫茶店で出すケーキも作っていた。しかし歳を重ねてそれも大変になった為、ブレッドの街でも最高に美味しいケーキ専門店に発注している。ケーキはパンなどと同じくオープン前には店に届けられる。因みにショーンとテレサには子供がいないので、ルキアやルンが可愛くて仕方がないようだ。もちろん、アテナに至っても孫娘を見ているような感覚だろう。




