第387話 『幼い時の押さえていた気持ち』
あたりの景色が回って見えた。
自分でも相当、葡萄酒を飲んで酔っ払ってしまっていると思ったけれど、もうどうしようにもならない。
なぜか馴染みも無い森の中、全裸で毛布一枚を身に纏い、酔っぱらっている自分を客観視して笑ってしまった。それも、お酒の効果だと思った。
レティシアさんは、そんな酔っ払いの私の事をとても優しい眼で見つめていた。
「さて、お腹もいっぱいになった事だし、お酒もいい感じに飲んで楽しんだし、そろそろ寝ましょうか?」
いつもなら「はい」と答えた。だけど、お酒がそうさせているのか、私はシラフじゃ絶対にやらないような事をレティシアさんにしてしまった。まだ、寝たくないという風に、ぷいっと横を向く。
そして、ちびっと残ってる葡萄酒の入ったコップに口をつける。
「ねえ、テトラちゃん? そろそろ眠らない? 明日、起きたらまたやらなくちゃならない事があるのでしょ? 今晩は私が一緒についているから、安心してゆっくりと眠れるわよ」
私はレティシアさんの顔を見つめた。自分の事をおばさんって言っていたけれど、とても綺麗な人だと思った。はっとするような色気もあるし、私はそんな出会いも経験もないけれど、素敵な恋を沢山重ねてきた人なんじゃないかと思う。
綺麗で優しくて強くて色々知っていて、料理まで上手。私なんかとは、まるで違う人。十分の一でも、私がこの人みたいだったなら、きっと私の人生ももっと大きく変わっていたのかもしれない。
だけど、私の人生はあの九尾の末裔としてフォクス村で生まれた時から虐げられると決まっていた。
虐げられ、虐められ、嫌われ……そんな道を歩いてきたけれど、陛下やモニカ様に救って頂いてクラインベルト王国にやってきてからは、いいものに変わっていった。
セシリアと知り合ってからは、全ての事に対して前を向いてとらえる事ができている。マリンやリア、ミラール君にクウちゃん、ルンちゃん、ロンくん……沢山の友達もできた。
妹にも愛想をつかされたようなこんな私にも、心から支えになってくれて、私も僅かでも支えになりたいと思えるようなセシリアという心からの親友ができたこと――私の心の拠り所をようやく見つける事ができた。
焚火がパチパチと音を立てる。
ふと見ると、アローはもううつらうつらとしている。レティシアさんはアローを脅かさないように薪を取りに行くと焚火にそっとくべた。
私はまた葡萄酒をごくりと飲んだ。
「それで……寝ないの? もしかして、夜の森でキャンプなんてしているから、もしかしたらオバケができるかもしれないって怖くなって眠れないとかかしら? それなら、私がいるから大丈夫よ。おトイレもついていってあげるわよ。ウフフフ」
オバケ? オバケとか、そういうのはセシリアと旅を続けているうちにそれなりに平気になったので直ぐに否定した。
「いえ、そういうのではないです。……ペリュトン、とても美味しいお肉でした」
「そうね、とっても美味しかったわ。燻製にした事も大正解。明日、リベラルに戻って早速残った燻製肉を売りにいこうかしら。この味なら、きっと高価買取してくれるわね。ウフフフ」
「でもそのペリュトン……ゴブリン達が仕留めたのを私が奪ったものなんです。以前にも、ゴブリンから鹿を奪った事もありますし、なんかそんな事ばかりで……」
レティシアさんは、それを聞いてまたウフフと笑う。
「ゴブリンっていうのは、冷酷残忍で恐ろしい魔物なのよ。友好的なコボルトは、聞いた事があるけれど、人間と友好的なゴブリンやオークっていうのはちょっと聞いたことがないわね。だから、別に気にする事ないんじゃない。テトラちゃんは、よほどゴブリン運があるという事でいいんじゃないかしら」
「でもなんだか私……色々考えてしまって……そのゴブリン達、私と遭遇するちょっと前に、他の人間を襲っていたみたいで、その襲って殺めた人達の鼻や耳などそぎ取ってアクセサリーにしていました。そしたら、私なんだか何か物凄く黒くて深い沼に浸かっているような気分になって、気が付いたら嘔吐していました……」
目を細めるレティシアさん。アローは、もう完全に眠ってしまって焚火の横に転がっていた。鳥って確か、木にとまったまま眠ると思っていたけど、アローはちょっと違うみたい。
レティシアさんは、焚火の傍で転がっているアローを優しく手に乗せると、それを私に手渡した。
息をする度に、私の手の中で小さな身体が僅かに動いている。鼓動。私は、アローを受け取ると胸に抱いた。アローの身体からは、少し暖かな熱を発していてそれが心地よく感じた。
「私、このままこの国の為に戦おうとしても、果たして役に立つことができるのかなって思ってしまって。この森で薪拾いした時も、凶悪な猿達に囲まれて散々な目にあいました。私……私……」
森で襲われた猿の事、ゴブリンの事。それらは、単なるきっかけにすぎない。張りつめていたものが、切れそうになっていた。
そう、フォクス村で生を受けた時から私はずっと、何かが張りつめていた。
九尾の末裔でありながらも、尻尾は4本という形で産まれ、生まれながらに両親にも同じ村の人々にも嫌われ罵られた。
9本の尻尾を持つ妹が生まれてからは、ますます両親は、私の事を偽物とか失敗作だとか罵倒して相手にしなくなった。他の村人達にもそうだった……
それで、幼い頃から誰一人として気持ちを通わせる事ができる友達もおらず、常に一人で遊んでいた。
カマキリとかテントウムシとかそういうのが、唯一の友達。いつからか思いが伝われば、虫達や動物がこんな私に応えてくれるんじゃないかって夢見て話しかけていた。そうでも思っていないと、とても気持ちがもたなかった。
それからやがて、そんな私にとって悲惨な記憶しかないフォクス村は、ドルガンド帝国の侵略を受ける。すると私は、更に私は酷い目にあった。
ドルガンド兵に捕まり、いたぶられ木に吊るされて石を投げつけられ雨が降っても、空腹に苦しんでも失禁してしまっても放置され、挙句の果てには妹にその惨めな姿を見られ、軽蔑されて見捨てられた。
私はまだ子供だったけれど、何もかも失ったのだ。……いや、生まれた時から何もかも失っていたのかもしれない。
今までの押さえつけてきた気持ちがなぜだかここへきて――溢れた。
「ふ……」
「ふ?」
「ふえ……」
「え?」
「ふええええええ……」
「あらあらあらあら、どうしたの? テトラちゃん! どうしたの?」
涙が次から次へと溢れ出す。陛下やモニカ様には、救ってもらった。アテナ様にも優しくして頂いたし、思い出もくれた。
セシリアやマリンは親友で、私と対等に接してくれる大切な存在。
そんな人達に巡り合える事ができて、私はとても幸せだと思った。だけど……だけど、私は今の今まで甘えられる人がいなかった。
両親に甘えたいと何度も幼い頃は思ったけれど、何もかもが許してもらえなかった。そうしてここまで来たけれど、もうどうしようもしていられなくなった。
一度だけでも、両親に……誰かにあまえてみたかった。幼い子供なら、当然の感情。ずっと圧し殺していた。――それが、今溢れた。
「わあああああああ!!」
「あらあらあら。よしよし、大丈夫よ。人はね、特に理由がなくても泣きたくなる事もあるのよ。そういう時は、泣いてもいいの。本当よ」
レティシアさんは、そう言って私を抱きしめると優しく頭を撫でてくれた。いい香りがする。
私にはその経験はないけれど、母親に抱きしめられたり、甘えたりする気持ちっていうのはこんな感じなのかなって思った。




