第299話 『テトラとボーゲン』
私は、意図せずしてボーゲンに吐きかけてしまったものを、必死にハンカチで拭いた。
「だだだ、大丈夫ですか? ごご、ごめんなさい!!」
「大丈夫じゃねええよ!! 酸っぱいよおお!!」
「すいません、すいません!!」
本当に申し訳ない事をしてしまったと思った。だから必死になって拭き取っていると、ボーゲンは手で大きく払って言った。
「もういいよ! もういい、やめろ!!」
「で、でも……その、ちゃんと拭き取らないと……」
「もういいっつってんだろ!! それよりも、もう大丈夫なのか? あのでかいのと小さいのの合体技を喰らって息ができなかったろ? 動けるのかよ?」
「え? あ、はい……もう大丈夫のようです」
そう言えばとんでもない技を喰らってしまったんだった。ローザもこの技を受けて、大ダメージを負ってしまったのは知っていたけど、実際に喰らってみるともう二度と喰らいたくないと思う程の恐ろしい技だった。
「それで、ちゃんと立てるか? 歩けるのか?」
ボーゲンは、心配してくれているようだった。それがなんとなく狐につままれたような感覚に陥った。どちらかというと、狐は私の方なんだけど……
事あるごとに私にきつく当たるし、挙句の果てには囮にまでされた。
ボーゲンは、私の事を酷く嫌っているのだと思っていたけど、今は凄く心配してくれている。嘔吐物まで吐きかけてしまったのに……
それによく考えてみれば、囮にはされたのはちょっと酷いと思うけど、こうしてちゃんと陰からついてきて守ってくれている。
やはり、ボーゲンはバーンさんが紹介してくれたように、立派な頼れる冒険者なんじゃないだろうか。そういう風に思えてきた。でもそれならなぜ、こんなにも私に冷たく当たってくるのだろう。
考えを巡らせながらボーゲンを見つめていると、もう一度問われた。
「おい! それで、大丈夫なのか?」
「あっ! は、はい! もう大丈夫です! 心配してくださって、ありがとうございます」
「し、心配なんかしてねーっつーーの!! お前みてえな弱っちょろ女は、ちょっとしたことでもビビッて死んじまいそうだからよ!! そうなったら、俺様がバーンさんに怒られるんだよ!! それだけだ!!」
ボーゲンは、そう言い捨てた。
「そんじゃキャンプへ戻るぞ」
「あ、あの? あれ……あれを持って行きたいんですけど、手を貸してくれませんか?」
私がそう言って指をさしたその先には、ゴブリン達が仕留めた鹿が横たわっていた。
ボーゲンは、一瞬呆れた顔を見せると溜息をついて鹿の方へ行った。そして、私が鹿に巻きつけていた蔓を持つと言った。
「もう大丈夫なんだろ? じゃあ、さっさとこっち来て鹿を運ぶのを手伝えよ!!」
「は、はい!!」
私はボーゲンと二人で鹿を引きずってキャンプまで戻った。
途中何度か、あのボロボロのローブに身を包んだあの二人に喰らわされたダメージがまだ少し残っていたのか足が痙攣した。だけど、上手く誤魔化してボーゲンには気づかれないようにした。
これ以上、心配をかけたりお荷物だと思われたくなかったから。
「よーーし。キャンプに戻った! とりあえず、鹿を置いたら俺は一度、川で服と身体を洗ってくる」
「は、はい。でも着替えがないと風邪を引きますよ」
「うるせーーよ!! ずっと酸っぱいよりも、風邪引く方がマシなんだよ!!」
「うう、すいません……」
「チッ」
ボーゲンはそう言って舌打ちすると、キャンプを見回した。私も同じように見回す。
……おかしい。なぜ、そう思ったのかというと、キャンプで待っているはずのミリスやアレアス……それにダルカンの姿が無かったからだ。
「ど、どういう事だ。誰もいないぞ……」
「どどど、どうしたんでしょうか、ミリス達は……皆何処へ行ったんですかね? メイベルやディストルも、薪拾いから帰ってきていないようですし」
「いや、帰ってきている。あれを見ろ」
ボーゲンが指した先に、薪が積まれていた。もちろんキャンプをここで始めた時には無かったもの。つまり、メイベルとディストルは薪を集め終えた後、ここへ一度戻ってきている。
だけど薪は使われていない。食事の準備もライスが洗っているだけで、ぜんぜん途中で中断してそのままといった感じだった。
私達がキャンプを離れている間に何かがあったのだ……
皆いったい何処へ……
「狐女!! ついてこい!!」
「え? あ、待ってください!」
何かに気づいたボーゲンが、獣道のような場所に飛び込むと、どんどん先へ進んで行く。私も薪の近くに鹿を降ろすと、慌ててその後を追った。
夜の森。鬱蒼とした草むらが多くある場所で、ボーゲンが立ち止まった。……呻き声。見ると人が二人倒れていた。ボーゲンは、手前で倒れている方の男に近づいていく。
「ボ、ボーゲン?」
「大丈夫か? 誰にやられた?」
更に近寄ってボーゲンの後ろから倒れている男の顔を覗き込んでみると、なんとそれはアレアスだった。
驚いてもう一人も、確認する。ダルカン。慌ててゆすって呼びかけてみると、反応がある。つまり、二人とも生きてはいるけど、何者かにやられたという事だ。
――あれ? 私は気が付いた。
「ミリスは? ミリスの姿がないのですが!!」
嫌な予感が走る。背筋を冷たい汗が、つたう。
「おい、アレアス。何があった? ミリスやメイベル、それにディストルはどうした? 無事なのかよ?」
アレアスは苦しそうにしながらも、持っていた剣を地面にさして上体を起こした。そして木に寄りかかるとキャンプで何かあったのかを話し始めた。
アレアスの身体は無数の切傷や刺傷、そして背や腕には矢が何本か刺さっていたので、私はそれだけでもアレアス達に何が起こったのかなんとなく理解した。




