第1269話 『ダニエルの闇 その13』
「何をしている、テトラ!! 武器を捨ててしまうなんて、あり得ない事だ。そのまま戦って、賊を打ち倒してしまうのだ。君にはその力があるのだろう」
「でも、アロー。そんな事をしたら、シェレイちゃんは……シェレイちゃんは殺されてしまう」
「レディー、いったい何を言っているのですか。シェレイ・コマネフは、もう既に盗賊によって殺されてしまっている。ダニエル・コマネフの妻、スザンヌ。それに息子のトマスもこの場所で、巨大犯罪組織『闇夜の群狼』の一味である、グレッチェル達によって殺されたのだ。今、君が助けようとしているのは……言わば幻のようなものに過ぎない。ダニエルの心と記憶に、刻まれたものなのだ」
「でも、そうだとしても、馬車に乗せてもらった時、シェレイちゃんもトマス君もあんなに楽しそうにしていました。キャンプをする事になった時もそう。そして私やセシリア、アローにだって笑いかけてくれました。あれがダニエルさんの記憶としても、私は偽物だなんて思えません!!」
「ふう……だから放ってはおけない? レディー、あなたは解っていませんね。何度も言いますが、この世界は現実ではないのです。でも僕達は違う。現実世界ではないといっても、もしもこの世界で僕達に何かあれば、それは確実になんらかの形で作用して残る」
「解っています! 十分に解ってます!! それでも私は……幻だって解っていても、シェレイちゃんだけでも助けたいんです……」
「そうですか、解りました。でも僕には、責任があります」
「責任?」
「そうです。僕はテトラ、セシリア。君達2人の後を追ってこの世界に来た。つまりそれによって僕には、2つの使命ができた訳だ。1つは、レディー。君達が『狼』を見つけ出す手助けをする事。そしてもう1つが、『狼』を見つけ出す為に、十三商人の中に入る君達を無事にもとの意識へ戻って来させること」
アローが言っている事は、十分に心では理解していた。ここでシェレイちゃんを助けたとしても、意味はないかもしれない。現実は、変化しない。盗賊達に、愛する家族の命を奪われてしまった過去は変わらないし、変えようもない。
再びダニエルさんの心と記憶の中に入る事があれば、また何事もなかったかのようにスザンヌさんや、トマス君やシェレイちゃんがいて、リベラルの街へ幌馬車で向かって旅をしているかもしれない。
そしてまたこの街の近くの街道の森で、盗賊に襲われて……あの日の悪夢を繰り返す……
ダニエルさんから、この記憶が消え去る事は永遠にないだろうし、この悪夢はきっと終わらない。だけど……だけど……
セシリアに目をやると、彼女は顔を左右に振った。きっとセシリアもアローと同じ考え。私の行動は、きっと皆を危険にさらしてしまっている。ダニエルさんは、『狼』ではない。それが解った今、私達は直ぐにでもこの世界から脱出するべきなのに――
それでも私は、目の前で捕らわれて剣を突き付けられているシェレイちゃんを、そのままにはしておけなかった。再び、手に持っていた棒を投げ捨てようとした。その時、豪雨の中で地響きのようなものが微かに聞こえた気がした。
「ぎゃああっ!!」
次の瞬間、シェレイちゃんを人質に取る男の足元から巨大な針が飛び出した。石でできた針。それが男の肩を貫いたのだ。
「ふざけやがってえええ!!」
「しまった!! 雨のせいもあってか、狙いが外れた!?」
土属性の攻撃魔法。アローのその言葉で、彼がやったんだと解った。
「許さねええええ!! この俺を馬鹿にしやがってえええ!!」
「待たんか、ジブラ!!」
「うるせー、グレッチェル!! 俺に指図すんな!! 俺は別にお前をボスだって思っちゃいねーかんな!! 俺のボスは、『闇夜の群狼』の幹部様だあああ!!」
ジブラ。グレッチェルにそう名を呼ばれた髭面の男は、シェレイを背中から容赦なく斬った。シェレイは、言葉を発する間もなく前のめりに倒れた。私は叫んだ。シェレイの名を叫ぶ。次の瞬間、ジブラに何者かが体当たりをして馬乗りになった。ナイフを奪いとると、それを思い切り振り上げる。
襲い掛かったのは、なんとダニエルさんだった。
「許さない……許さないぞ……貴様ら!! 汚らわしい盗賊共め!! 私の大切なものを奪っておいて、許されはしない……ここで皆殺しにしてやる……」
「ダニエルさん!!」
シェレイちゃんの次に、ダニエルさんの名を叫んだ。そして彼と倒れたシェレイちゃんのもとへ駆け寄ろうとした。
すると、ダニエルさんの胸に矢が突き刺さった。エルフの矢。悲鳴を上げる間もなく、倒れる。ジブラは立ち上がると、倒れたダニエルさんを蹴り飛ばした。
「ダニエルさん!!」
それでも彼に駆け寄ろうとしたところをアローに遮られて、セシリアに腕を掴まれた。
「テトラ! もういいでしょ、戻りましょ!!」
「で、でも!!」
「どうにもならないわ。こうなる事は、予め決まっていたのよ。ダニエルさんの家族は、過去にここであの男に……殺されたのよ。無残にもね。でもダニエルさんは、ここでは死なないわ。それはもう解っている事でしょ。さあ、行きましょう」
「そ、そんな……そんな事って……」
「何度も言わせないで。ここであなたが何かしたとしても、決定してしまった過去は何も変わらない。変えられない。ここで変えたとしても、ここは現実世界ではないのだから……とても悲しいけれど、何にもならない」
「ううう……」
「やるべき事を見失っては駄目よ。あなたにできる事は、ここにはない。ここでできる事は、調査する事だけ。現実世界の交易都市リベラルと、首都グーリエにこそ、私達のなすべき使命があるんじゃないかしら」
「セシリア……」
「だって、そうでしょ。本来、クラインベルト王国の王宮メイドである私達がここにいる理由、それはなにかしら? ルーニ様をお救いした時、カルミア村のリア達のような、捕らえられて奴隷にされていた子供達を見た時に、あなたは何を思ってどう行動したいと思ったのかしら?」
「ううう……」
「ほら、いつまでも唸っていないでさっさとしなさい!! 行くわよ!! アロー、お願い!!」
「逃がすかこらあああ!!」
ジブラが動いた。レファリアというエルフの、ボウガンの矢も直ぐ横を飛んでいく。アローは宙へ舞い上がると、身体全体を光らせる。辺りに眩いばかりの光を放った。
周囲はあっという間に真っ白になり、光に包まれて何も見えなくなった。その中で、ダニエルさんの泣き叫ぶ、悲痛の呻き声だけはずっと聞こえていた。




