第124話 『小さなアテナ その4』
小屋を取り囲んでいたのは、ドルガンド帝国軍だった。私はアテナに絶対に小屋から出ないようにと言い聞かせ、小屋の床下にアテナを隠れさせた。
そして剣を握りしめ、もう片方の手には小屋で見つけた鉈を手にとった。扉のすぐ横の陰に身を屈める。
「ティアナ王妃。あなたとその娘がここに隠れている事は、もう解っている。だから出てきなさい。私はあなたを、安全に帝都へ送り届けなければならない使命があるのだ。決して危害は加えないと約束する」
陰から覗くと、ヴァルター・ケッペリンが立っていた。そしてその顔には十字に刻まれた傷。流血していた。私が抵抗し、逃げ出した事に対する怒りを含んだ悪魔のような形相……
それにその部下の眼鏡の男、ニーベルとかいう男とラグという男もいる。ここから見えて、確認できるだけでも全部で、50人はいるかな。これは、どうやっても逃げ切れない。だったら、アテナだけでも……
私は外に向けて叫んだ。
「ケッペリン閣下! どうやってここが解ったの!!」
「私の事はヴァルターとお呼びください。ティアナ王妃。どうやって見つけたとはまた異なことを――――あなたの放った煙を、私の捜索隊が見つけたまで。それにどうやらあなたは、深い傷を負っている様子。もう歩くのも限界で、誰か助けを呼ぶつもりだったのでしょ?」
え? 煙? そんなの私は…………
私は、はっとした。ヴァルターは、アテナが料理をした時の煙を見つけてここへ来たんだ。それを私が、セシル達王国軍に向けて助けを呼んでいたと勘違いしているんだ。だとしたら、これは使える。
私は剣と鉈を持ったまま、小屋から飛び出した。
「50点ね! ヴァルター! 私が煙を放った理由は、助けを呼ぶ為ともう一つ! 娘を随分と前に別の方へ逃がしたから、あなた達の注意を私に引き付けたかったからよ!!」
「な……なんだとーー⁉ まさか、誘引されたのか?」
明らかに動揺しているヴァルター。娘を逃がしてやってもいいなんて、嘘だ。やはり目的は、私と娘。だけど、その両方は絶対に渡せない。アテナは私が必ず守るのだから。
鉈を大きく振りかぶって、ヴァルター目掛けて勢いよく投げた。しかし、鉈は逸れてヴァルターの隣にいた兵士の頭に突き刺さった。
「ぎゃああ!!」
「ヴァルター・ケッペリン!! お覚悟を!! いやああああ!!」
その勢いで私は、ヴァルター目掛けて走った。他の兵士が盾になる。二人斬り倒した所で、ラグという男に掴まれ、あっという間に組み伏せられた。
「暴れるなっ! 殴りたくはない! 諦めて、大人しくするんだ!」
「ラグ! そのまま押さえていろ!」
ヴァルターが指示を出すと、部下達は小屋の中へ入って調べ始めた。お願い。アテナ、そのまま隠れてて。
「王女はいたか?」
「くまなく探しましたが、おりません!!」
ヴァルターは舌打ちすると、ニーベルという眼鏡の男と小屋へ入っていった。そして、暫くして外へ出てくると、その手に刃がボロボロにかけた包丁を持っていた。アテナが料理を作ってくれた時に使用していた包丁。私の方へ近づいてくる。どうにか抜け出せないか力を入れてみるが、ラグという男の力は、怪力で全く動けない。
ヴァルターは、その包丁を私の左腕に近づけた。そして、少し刃を動かす。ピリっとした感触。刃が触れている部分の肌から、血が滲み出た。
「利き腕は勘弁してやるが、左腕は失う事になるかもしれんなー。フハハハ。まあ、私の顔をこんな風にしたんだから、これは当然の報いだな」
「こ……こんな事はやめて!!」
「なら娘の居所を言え。それができなければ、左腕を失うぞ。因みに続けて、右手、右足、左足と順にいくからな。左腕だけで終わるとは思うなよ。フハハハ」
ドルガンド帝国軍が冷酷非道で残忍だという事は、セシルやゲラルドから聞いていた。でも、人はこんなにも残酷になれるのだろうか。私は、目を瞑って歯を食いしばった。アテナは私の宝物。絶対に娘は守ってみせるって誓ったから。
「話すつもりはないか。残念だよ。君を綺麗な身体のまま、私の妻にしたかったのだが……仕様が無いな。では、頑張れるだけ頑張りたまえ」
腕がまたピリリとした後、すぐに激痛が私を襲った。腕から血が溢れる。ボロボロの包丁を鋸のように引く度に気を失いそうなうなくらい痛い。でも、叫べない。だって、叫ぶとアテナはきっと出てきちゃう。
「さあ、どこまで耐えられるかな?」
ゴリゴリという音がした。
!!!!
「………………!!」
「気が狂いそうな位に、痛いはず。なのに、叫びもしないか。おかしい…………なぜだ? まさか、近くに娘がいるのでは……」
まずいっ!! そう思った瞬間だった!
「お母様――――!!!!」
アテナだった。ヴァルターが私を拷問する光景を、この場にいる帝国軍全てが注目していた。その隙をついて、アテナが敵から奪っていた剣を手に、後ろからヴァルターに突き刺した。
「ぎゃあああ!!!!」
ヴァルターが転がる。しかしすぐに立ち上がって剣を抜き、アテナを殴った。アテナはその衝撃で吹っ飛んだ。アテナの幼い身体では、十分に剣を突き立てられなかったのだ。
「逃げてーー!! アテナ!!」
「そのガキを捕まえろ!! お仕置きしてやる!!」
「やめてえええええ!!!!」
叫んだ刹那、周囲にいた帝国兵の半数が血しぶきをあげて倒れた。そして、その場には見覚えのない冒険者風の、マントをなびかせた男が立っていた。年は60前後だろうか……白髪に白いひげ。そして、両手にはそれぞれ剣を持っていた。
「誰だああ!! 貴様!! 我々をドルガンド帝国軍だと知っているのだろうな!!」
その冒険者風の男は、地面に倒れ込んだアテナを優しく立ち上がらせると、服を払ってあげた。そして、ヴァルター達を睨みつけた。
「なんとも穏やかじゃねーなあ。こんな可愛い小娘を殴りつけ、美しい女性を下着1枚にした挙句、大の大人の軍人さんが、大勢で寄ってたかって拷問するなんてよ。クズ共が――腕を斬り落とそうとまでしやがって……おまえら、頭おかしいんじゃねーか? ひょっとして、サイコパスなのか? お前ら、サイコパスなのか?」
ブツンっ! 私にもヴァルターが怒りで何かが切れる音が聞こえた。
「この小汚いジジイを殺せーーー!!!!」
ヴァルターの怒号で、一斉に何十人もの帝国兵が一斉に冒険者風の男に襲い掛かった。男は、そうなる事をまるで待っていたかのように両手の剣で、襲い掛かってくる帝国軍を次々と斬り刻んだ。
その光景を目の当たりにして、怯むヴァルター。ヴァルターを守るように、私を押さえつけていたラグという男が、冒険者風の男に立ちはだかった。眼鏡の男ニーベルは、巻き込まれないようにかなり距離を取っている。
「アッハッハ。盛り上がってきたじゃねーか! な?」
「ふざけたジジイめ!! 殺せ!! さっさとこのジジイを殺せ!!」
「――――さてと。逃げるか、戦うか? 選ばしてやるから、よく考えろよ。逃げるか、戦うか? 別に逃げるってんなら逃げてもいいが、これだけの事をしたんだからな。俺は、おまえらにそれ相応の責任は、取ってもらうと思っている。それを踏まえて、よく考えて行動してみやがれ。ハハ」
「クソジジイめ!! こうなったら、私の本気を見せてやる!! 召喚魔法!!!!」
ヴァルターは、両手を正面に翳した。すると、その目前にサークル上の赤い光が現れ、その中から悪魔が飛び出してきた。
「悪魔召喚か。召喚魔法まで使えるとは、流石帝国軍人さんだ。でもレッサーデーモンじゃ、ちと俺には役不足だな」
冒険者風の男は、ヴァルターが召喚した悪魔も、一刀両断してしまった。呆然とするヴァルター。
アイアンナックルを装備した、ラグが男に攻撃を仕掛ける。だが男は、ラグが突き出した拳をよけざまに腕を掴んで、ラグを投げ飛ばし地面に叩きつけた。
「自分で強いと思っているんだろうが、俺に言わせればまだまだヒヨコちゃんだな」
「き……きさま、何者なんだ⁉」
「俺? 俺か? 俺は、単なる通りすがりのキャンパーだよ」
「キャ、キャンパーだと⁉ そ、そんな、お前みたいなキャンパーがいてたまるか!!」
「キャンパーだっつってんだろ? おまえら弱い者虐めしかしてないだろ? だからこんなジジイにも勝てねーんだよ」
ヴァルターは、悲鳴を上げてなりふり構わず逃げ出した。
私もアテナも、あまりの出来事に少しの間、声を出すのを忘れていた。
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〚下記備考欄
〇レッサーデーモン 種別:悪魔
インプと同じく、下位悪魔。物理攻撃や黒魔法に耐性があるが、神聖系の攻撃には弱い。魔族とも呼ばれている。
〇アイアンナックル 種別:武器
まるで、見た目は大きなガントレット。装着して殴れば岩をも砕け、相手の剣を受ける事も可能。リーチは剣や槍には及ばないが、攻撃の速度と回転率は物凄い。




