第1236話 『グランドリベラル21階にて その6』
レティシアさんは、お湯に浸かりながら、にこにこと女神のように微笑んでいる。相変わらず、何を考えているのかその心の奥底が見えない。
けれど十三商人の中に潜む、『狼』を見つける為の次なる手はハッキリと理解した。それは、私がレティシアさんから今も預かっている、この土の精霊ラビッドリームを使うのだという事だった。
ラビッドリームは、見た目は目の赤い大きな兎。だけどその実態は、土の精霊で人の心の中に入る事ができる。
ラビッドリームを知るまで、私は土の精霊というのはその名の通り、精霊魔法で土や石を生成して敵に礫としてぶつけたり、マリンが使う水属性魔法で作る水壁のような土壁を作って、襲ってくる相手の攻撃を防いだりとか……そういうイメージだった。
私が武術をしているからかもしれないけれど、そういう物理的な能力というか、そんな類いのものしか浮かばなかったのだ。
でも土には、人の記憶や思い出が宿る事があるらしい。例えば久しぶりに思い出の地に訪れて、ふっとあの時の記憶が甦える事がある。それは、その大地にその時の記憶が残っているという事なのだそうだ。私にはその原理も難しくて、詳しい事までは解らないけれど……土にはそういう特性があるらしい。
確かによく考えてみると、水の力だってそうだった。マリンの得意な水属性の魔法。どんな固い魔物の皮膚も貫き、岩をも穿つ強力な水を放つ事も出来れば、人の傷を癒す力もある。
私はアローを見つめた。
「アロー。このラビッドリームを使えば、『狼』を見つける事ができる。そういう事ですよね」
「イグザクトリー」
「でもラビッドリームは、レティシアさんから預かっているだけですよ」
レティシアさんは、お湯に浸かって気持ちよさそうに微笑んでいた。相変わらず心が読めない。
「ウフフフ、確かにラビッドリームは私の持つ精霊だけど、今はまだテトラちゃんに貸しちゃっているから、自由に使ってくれていいわよ。それにそうは言っても、ラビッドリームは土の精霊。意志だってちゃんとあるから、誰にだってホイホイと従う子じゃないけどね」
そうだった。ラビッドリームには、意思がある。しかも以前、制御ができていなくて、セシリアと一緒にあの夢の中の世界、あの時のフォクス村に連れて行かれた事がある。あの時は、アローが助けに来てくれたけど、もしかしたら私達はあの草原でずっと横になったまま、目覚めなかったかもしれない。
「そうです。ラビッドリームには、人の記憶に触れたり、夢の中へ入る力があります。でも私には、それを扱う自信がありません。だって私は、ラビッドリームに夢の中に連れていかれて……その時に、もう戻れなくなるかもしれないって思った事が何度もありました」
「ウフフフ、テトラちゃんが生まれ育ったフォクス村、そこへ行ったのよね。アローからその話は、ちゃんと聞いているわ。でもね、テトラちゃん。さっきも言ったけれど……ラビッドリームには、ちゃんと意思があるのよ。あなたにあの夢を見せたのは、きっと意味がある事なんだと思うわ」
「い、意味ですか……」
「そうよ。そして私には、あの子はテトラちゃんの事を、凄く気に入っているように思える。そうでないのなら、こうして私が近くにいるのだから、テトラちゃんの中から飛び出して私のもとへ帰ってきているはずだから。あの子には、それもできる。でもそうじゃないという事は、きっとそうなのよね」
「で、でも……私に上手くラビッドリームを使う事ができるかなんて自信なんてないし……人の記憶を探ったり、夢に入り込むなんて、どうしたらいいか解らないですよ」
そういう魔導に関する専門知識に明るい、マリンがここにいてくれたら、どれだけ心強いかと思った。彼女なら、こういう事に詳しい気がするし、なにより私なんかよりもラビッドリームを上手に扱えるんじゃないかと思った。そのな私の心を見透かしたような目で、レティシアさんは私を見た。
「駄目よ」
「え?」
「駄目よ、だめだめ。言ったでしょ。その子は、テトラちゃんを気に入っているのよ。ずっとその子と一緒にいる私が言うんだもの。間違えないわ。テトラちゃんだからこそ、ラビッドリームで相手の心を覗き見る事ができるのよ」
「で、でもその肝心のやりが、私には解らないんです」
「ウフフフ、大丈夫よ。テトラちゃんとその子なら、きっと相性もいいしできるから」
「ううーー、でも……」
レティシアさんの言っている事は解った。ラビッドリームを使って、相手の心を読む。そして『狼』を見つける。それは解るけど、いったいどうやったらそんな事を、私ができるのか解らない。私はただのメイド。そして少し戦えるというだけ……マリンのような魔法使いでもないのに、精霊を使う方法なんてどうやったらいいのか解らない。
そんな困惑している私に、アローが強い視線を向けてきた。
「テトラ、君はこのメルクト共和国に何をしに来たのかな?」
「え? そ、それは……メイベルやディストルに、この国を助けて欲しいと言われて……」
「違うでしょ」
今度は、セシリアの言葉。セシリアはアローと同じく何かを訴えかけるような強い目で私を見ていた。
でもそれで、気づいた。そうだった。メイベルやディストルに助けて欲しいって言われて……バーンさんの代わりに、このメルクト共和国を盗賊達の魔の手から救うって事で、私は……セシリアやローザやボーゲン、ミリス達とここまでやってきた。だけど大切な所で思い違いをしていた。
そうだった。
『闇夜の群狼』。子供達を奴隷にして、誰かに売り飛ばす。そんな悪い事を、なんとも思わずにやっている組織。それを私は許せないと思った。子供達を……苦しんでいる人達を助ける為に……どうにかしたいと思った事が、私の戦いの始まりだった。
「セシリア……そうでしたね。私は、ルーニ様が攫われた時に、トゥターン砦までお助けしに行って……そこで『闇夜の群狼』っていう、子供達を拐って奴隷にしたりする悪い人達の存在を知りました。そしてそんな組織を、このまま野放しにしておけないって思ったんです。でもその想いだけで、ラビッドリームを扱う事なんてできるのかどうか……」
「それでも、やるしかないんじゃないかしら。私には、あなたにそれができる気がするわ。なんなら、賭けてみる? もしもラビッドリームを使って人の心を探れなければ、私は皆の前で裸踊りでもなんでもしてあげるわ。でももしもそれができた場合、あなたが裸踊りをするのよ」
「そ、そそそ、そんなのできませんよ!! は、裸踊りなんて!!」
「あら、そう? ラビッドリームを使って人の心に入る。そんな事ができないなんて断言できるのなら、別にいいんじゃないの? そうでないのなら、テトラ。あなたは心の底では、無意識にでも可能性を信じているという事じゃないかしら。それならやってみる価値は十分にあると、私は思うのだけれど」
「セシリア……」
今のところ、『狼』を炙りだすには、ラビッドリームを使った方法が一番いいとは解っている。だけど私にラビッドリームを扱う事なんてできるのだろうか。
マリンがもしこの場にいてくれれば、きっと大きな力になってくれていたのに……
そう思ったけれど、私はこのメルクト共和国にそもそも何をしにやって来たのかという当初の想いと共に、マリンがいなくてもセシリア……それにローザやシェルミーにファーレ。メイベルやディストルにアロー、そしてレティシアさんまで一緒にいてくれている事に気づいた。
皆が一緒にいてくれるなら、こんな私にだってやれるかもしれない。できないと思う事を、可能にする事だって――




