第1198話 『苦汁』
「どういう事なのですか、ストラム卿!! 説明なさい!! あなたは、あんな反則行為を許すと言うのですか⁉ それでも英雄と民に慕われている騎士ですか!!」
周囲上空に浮遊する無数のテントウムシ。こちらの映像を、パスキア王宮にいるフィリップ王や、この対決を観戦している他の王族や貴族、重臣達に映像を常時中継している。トリスタンの合図で、そのテントウムシ達が全部空高くに上がっていった。あれだけ上空にあがってしまうと、こちらの状況はよく見えないはず。
トリスタンは、その場で崩れるように跪くと、エスメラルダ王妃と私に向かって大きく頭を下げた。そしてそのまま地面に、自分の額を打ち付ける。重い謝罪。
「くっ、申し訳ござらん!! エスメラルダ王妃、アテナ様!! 本当に申し訳ござらん!!」
「いったいどういうつもりなのですか? まさかとは思いますが、ガスプーチンの一件、本当にこれで反故にしようというのではありませんね!!」
トリスタンは、エスメラルダ王妃と、この対決の中心人物である私の目をじっと見つめて言った。これから彼がなんて言い出すとしても、私にはその目が凄く誠実な者の目に見えた。だからエスメラルダ王妃は、これ以上ない位に激怒しているけれど、私はそのトリスタンの尋常ならざる態度を見て、彼がなんと言ったとしても受け入れる準備ができていた。
ルシエルとノエルも、私の方をチラリと見てきたけれど笑顔を返す。それが答え。心配はいらないんだよって、伝えたつもり。
「トリスタン・ストラム卿。このわたくしが、ちゃんと納得できるだけの説明をして頂けますよね? 事と次第によっては、覚悟はできていますね」
コケにされて怒っているのも解る。でも覚悟って言っても、トリスタンはクラインベルト王国ではなくて、パスキア王国の騎士なんだもん。腹が立ったからって、どうにかできる事もないのに。
ガスプーチンの得体のしれない肉塊爆弾と、私達を殺してしまうつもりだったのかと思えるようなやり方。獰猛なラプトルの群れを、ここへ誘い込むなんて正気の沙汰じゃない。だけど私の怒りは、どこへやら。エスメラルダ王妃の激怒で、完全に影を潜めてしまっていた。
「拙者で済む事であれば、如何様なりとも!!」
「そこまでいいますか。それならいいでしょう。それではなぜ、モラッタ・タラー達はあのような恥ずべき事をして反則負けにならないのですか? 説明なさい!」
「それは――肉塊をこのキャンプ場所へ落下させた者は、独断でそれを行ったからです」
トリスタンは、苦しそうに言った。自分でも納得していないのだろう。だれもこんな馬鹿げた理由、好き好んで言いたくはない。だがパスキアに仕える者として、言わなければならない。
でも彼程の者をここまで苦しめるなんて、ガスプーチンにはちょっとできなさそう。きっともっと大きな圧力が、彼を押さえつけている。そう考えると、私の事を嫌っているセリュー王子の顔が浮かび上がる。セリュー王子とガスプーチンが手を組めば、いくら英雄と呼ばれるトリスタンでも、従わざるを得ないのかもしれない。
それとなぜ彼は、ペガサスを使ってこの場所にラプトルを引き連れてきて、オマケに肉塊を投下したガスプーチンの事を、敢えて名前を出さずに落下させた者と言ったのか。引っかかる。
「またあの肉塊は、対戦相手であるアテナ陣営に対しての、贈り物であったのだと相手側は主張しております。それが唐突な事故で落下させてしまい、ラプトルの群れをこの場に雪崩れ込ませる結果になってしまったのだとご説明させて頂きたい!」
「は? ふざけているのですか? 事故である訳がないでしょう!! ガスプーチンは、あんな得体のしれない大きな肉の塊を、この場所に意図的に投下させたのですよ。そうです、ナイフで肉塊を吊り下げている縄を切りましたよ。見ましたよね、アテナ!!」
「え? あ、はい……そうですね」
トリスタンは、目を一瞬閉じると唾をごくりと呑みこんだ。そしてこう言った。
「拙者は、そうは聞いておりません。あくまでもあの肉は、アテナ陣営に対しての贈り物であり、言うなれば好敵手に対し塩を送る行為であったと。そして縄は、運悪く切れたと。つまり事故であったのだ」
「よくもまあ、そんな戯言が言えますね!! それであなたは、あのブラッドリー・クリーンファルトと共に、パスキアの双璧などと褒め称えられていますね。呆れてものも言えません。こんな事なら、ブラッドリーに審判を務めてもらえば良かったわ。彼ならきっと、こんな圧力に対しても屈せず、信念をもって公平にルールを守ってくれた事でしょう」
トリスタンは、本当に申し訳なさそうに頭をまた深く下げた。
「肉塊が落下した場所には、こんな小さな女の子をいたのですよ。たまたま助かりましたが、何かあったらどうするつもりだったのですか? あなたは、責任がとれるのですか?」
エスメラルダ王妃はそう言ってルキアを指すと、ルキアはどうしていいか解らずに困った表情をトリスタンに見せた。トリスタンは、エスメラルダ王妃と私だけでなく、ルキアや他の者にも申し訳ないという顔をした。その表情から、苦しんでいる事は伝わってくる。
「申し訳ござらん。本当に申し訳なく言葉も……ござらんが、モラッタ・タラー嬢側の反則負けにはならず、この対決は継続される事となった。ここは、なんとか怒りをおさめて頂き、了承して頂きたい所存」
「了承? 了承とは、どうすればそういう言葉が出てくるのですかと聞いているのです。わたくしは、まだ納得していませんよ。クラインベルト王国の王妃であるわたくしだけでなく、ここにいるクロエやルキアのような、か弱い少女を危険にさらしておいて、納得できるわけがありませんわ!!」
「納得してもらわば、先へは進みもうさん!!」
「なら、説明してくださるかしら!! ガスプーチンがなぜ、あちら側に味方しているのですか?」
「ルールでは、主要人物を含め、計30名までの参加が認められておりますゆえ」
「知っています! 私が問うているのは、なぜ男であるガスプーチンが、この対決に参加しているのかという事です。確かこの勝負、女性しか参加できない対決だったはずですよ。なんならフィリップ王に、この場で確認をとってみるといいわ!」
エスメラルダ王妃は、トリスタンを睨みつけて声高らかに言い放った。私から見ても、完全に論破していた。板挟みの厳しい立場。
トリスタンは、うつむき気味だった顔をあげると、エスメラルダ王妃を一点に見つめる。そして片手を挙げて、何かのサインを出すと、遥か上空に浮かび上がっていたテントウムシのうちの1匹が、私達のいる位置まで降りて来た。




