第1169話 『夜の森にて、これまでの事を思う』
王都周辺の平原から見える森に入り、また暫く歩く。ただでさえ、既に夜になり、闇のとばりがおりてしまっているのに――森の中。ランタン無くしては、完全な闇で歩くこともままならない。木々に囲まれてはいるが、少し拓けた場所を見つけるとジュノー様は、ここで野宿をすると言った。
草木が生い茂る場所なので、辺りからは虫や何か動物の鳴き声も聞こえてくる。しかし更に耳を澄ませると、その森の奏でる音の中に、微かに水の流れる音が聞こえた。近くには、小川が流れていた。
私とジュノー様は、まずその小川で手や顔を洗い、水を飲んだ。そして野宿する場所に戻ると、私の方を見て言った。
「ベレス、暫くここに1人でいれるか?」
「え?」
周囲を見回すと、完全に暗闇に包まれていた。貧しくても、騎士になる前から街暮らしだった。夜に街の外で徘徊した記憶はない。村に住む者でも用がなければ、こんな夜更けに鬱蒼とした森の中で野宿をしたりはしないだろう。私も例外ではない。闇は怖いものだと思っているし、こんな所で1人置き去りにされれば恐怖も感じる。
私は縋りつくような目で、ジュノー様に言った。
「も、もしかしてジュノー様は、これから何処かに行かれるのですか? 私をここにひとり置いて……」
「食糧の確保をする。何か食べられるものを手に入れたら戻ってくるから、それまでお前はここにいろ」
「で、ですがこんな真っ暗な森の中を……」
「もしかして、怖いのか?」
「怖いだなんて……いえ、そうです。怖いです」
思わずムキになってしまったけれど、ジュノー様には本当の自分をさらけ出してしまう。するとジュノー様は、クスリと軽く笑うと私を優しく抱きしめてくれた。
「ジュノー様……」
ジュノー様に抱きしめられて、心臓がドキドキと激しく鼓動していた。ジュノー様は、私を安心させようとしてこうしている。だけどジュノー様の事が大好きで大好きでたまらない私は、このままこうして抱きしめられていると、とても我慢ができない。このままだと、ジュノー様に対して歯止めが効かなくなってしまう。
だから逃げるように、ジュノー様の肩を軽く押して距離をとった。真っ赤になった顔を背ける。
ジュノー様はまたクスリと笑うと、辺りに落ちている薪になりそうな木々を集めた。そして私達のいる、拓けたこの場所の中央にそれを持っていくと、地面に積み上げ始めた。
ジュノー様は、集めた薪に手を翳して何か小声で呟く。魔法の詠唱。すると掌から炎が飛び出し、薪に火を点けた。
「火があれば、動物や魔物除けに多少の効果はある。それに辺りの様子も見えるだろう。焚火の火が小さくなれば、お前が薪を足すのだ」
「ほ、本当に行ってしまうのですか⁉ 私をここにおいて、お一人で!! 嫌です、そんなのは嫌です!! 私も一緒に行きます!!」
「困った奴だ。少し落ち着け、ベレス! 私はちょっと行って食べられるものを手に入れてくるだけだ。1人の方が都合がいいし、お前にはここで待っていて欲しい。直ぐに戻ってくる」
「本当ですか? 本当にここに私を置いて、何処かへ行ってしまわれないのですか?」
「本当だ。なぜ私が何処かに行くと思う?」
「そ、それは、私のようななんの能力もない者に嫌気がさして……」
「言ったはずだ。ベレス、お前は私の部下だとな」
「は、はい!」
「大切な部下を、こんな場所に置き去りにする理由が何処にある? 言った通り、私は何か食べ物を探してくるだけだ。いつまでもぐずっていないで、お前はここで火の番をしていろ。待機命令だ」
「は、はっ!」
いつまでもぐずっていると言われて、また真っ赤になってしまった。恥ずかしい。だってジュノー様の事が、大好きなのだ。そうなってしまうのも、とうぜんの事。私のこれからの人生は、全てジュノー様と共に歩み、この身を全て捧げたい。
「それでは、行ってくる」
「ちょ、ちょっと待って頂けますか、ジュノー様!!」
「まだ、何かあるのか、ベレス。夜の森に慣れていないお前の事だ。怖がるのは解るが、いい加減……」
私はジュノー様のもとへ行くと、彼女の頬にキスをした。
「なっ!」
「お許しください、ジュノー様。い、行ってらっしゃいませのキスです。よ、夜の森の中は物騒ですし、せめてご無事でありますようにと思って……その……もし、ご不快であったなら、どのような罰も受けさせてもらいます! でも私!」
「解ったベレス、もういい。ありがとう」
「ジュノー様……」
「私が人に、ありがとうなんて礼を言うなんて異例の事だぞ。それに、漆黒の戦乙女と呼ばれるこの私の隙をついて、頬にキスをするとはな……そんな事ができる者は、他にいない。ベレス、お前は凄い騎士だぞ」
ジュノー様はそう言って微笑むと、「行ってくる」と言って、今度こそ森の闇へ消えて行った。
ジュノー様がいなくなると、私は彼女に言われたとおりに辺りを見回して薪を拾い、焚火が尽きないように火の番をした。途端に心細くなる。
ジュノー様が戻るまで、焚火の前に座って待つ。最初は、暗闇の中から聞こえる何かの鳴き声や、気配などに恐怖していた私だったが、メラメラと燃え続ける焚火のお陰もあってか次第に慣れてくる。
そうすれば、少しは気持ちも落ち着いてきた。焚火を見つめる。今までの事などを、思い返し始めた。
ルーラン王国でバラミス様に騎士にしてもらい、大森林でドルガンド帝国の残党討伐部隊とぶつかった。そこでアテーム・シュバインの部下達に掴まって、凌辱されて暴力も振るわれた。地獄だった。せめて、シュバイン共と刺し違える。そんな事を考えて耐えていた。しかし、ジュノー様やヴァルツ総司令官に助けられた。
それから気が付けば、ジュノー様へ忠誠を誓い、ルーラン、ドルガンドと経て……今は、クラインベルトの王女アテナを追ってパスキア王国にいる。
ジュノー様と出会えた事は、私の人生最大の喜びではあるけれど……まさか、こんな事になるなんて誰が予想できただろうか。私の人生はなんとも数奇なものになってしまったものだと思い、なんだか笑いが込み上げてきてしまった。




