第1168話 『ジュノーの機嫌』
アオオーーーーーン!!
パスキア王国、王都周辺にも魔物は徘徊している。辺りは暗くなり、やがて夜になると狼のような鳴き声が、何処からともなく聞こえてきた。きっとウルフだろう。
ゴブリンの群れに村が襲われていないかと、様子を見に行ったフリート将軍。彼の心配は、するだけ無駄だという事は理解していた。なにせ彼の異名は、竜殺し。その名の通り、ドラゴンを倒した事があるらしい。ドルガンド帝国の皇帝、ジギベル・ド・ドルガンドが自らその強さ認め、ドルガンド帝国民でもない彼を将軍として取り立てた経緯から、竜殺しの話は真実なのだと裏付けになる。
だから心配は、するだけ無駄なのだ。ウルフの群れがフリート将軍を襲ったとしても、心配しなければならないのはウルフの群れの方である。この辺りのウルフ全てが、フリート将軍に一斉に襲い掛かるような事があれば、この辺りからウルフは忽然といなくなるだろう。
でも私の意識は、フリート将軍よりもジュノー様に向いていた。ジュノー様もフリート将軍と同じく、一騎当千の強さを持っておられる。同じようにウルフの群れに襲われたとしても、ものの数ではないだろう。だがジュノー様は、辺りに闇が落ちると何処かへ向かって歩き始めた。アテナ王女の捕縛、それを諦めたのだろうか。いや、それはない。このままこの平原にいても、何も進まないし解決の手もないので移動をするのだ。
「ベレス、何をしている。ついてこい」
「は、はっ! ジュノー様!」
私は慌ててジュノー様の後を追った。
ジュノー様は、周囲を見渡すと木々が生い茂った場所をみつけ、そちらに向かって歩いた。
「ベレス、見ろ。森だ。今日は、あそこで休息をとるとしよう」
「え? あ、あのような森でですか⁉」
私はジュノー様の隣に移動すると、歩きながらに話を続けた。
「なんだベレス、やけに驚いているな。私が休息をとると言って、意外なのか? 言っておくが、いくら帝国最強の剣士と呼ばれようが、漆黒の戦乙女と言われ怖れられようが、こう見えて私も人間だ。腹も減れば睡眠も欲する」
「い、いえ、それはそうですが、休息をとるならば近くにある村か街を探して、そこで宿でもとった方が十分な休息をとる事ができるのではないですか?」
切れ長の鋭い眼を、更に細くさせるジュノー様。私は、何か失言をしてしまったのかと取り乱してしまう。
「も、申し訳ありません!! 私、何かジュノー様のお気に触る何かを申し上げましたか?」
「いや、そうではない。だがな、ベレス。もしもお前のその案に従うならば、ここから近いのは村になるだろうな」
「村? 村だと何か駄目な理由でも……」
あっ! そこまで言って、やっと気づいた。
「ここから一番近い村、そこにはさっきゴブリンがどうのと言っていた、竜殺し殿がいる村だろう。村人に関心を示さなかった私がそこへ後から現れたら、気まずいじゃないか」
「は、はい! そうでした! 申し訳ありません!」
ジュノー様は、私の肩に手を置いて顔を近づけてきた。とても帝国の将軍、いや軍人とは思えない程の、整った綺麗な顔。
「あ、あのあのあの……」
「ベレス。私は怒ってはいない。いちいち、萎縮するな。それにたまには、森で野宿というのも良いだろう」
そう言って微笑んだジュノー様、また歩き始めた。
私は何処でだっていい。そこにジュノー様がいるのなら、それで十分。でもそれを今ここで声にはできない。言い訳としては、今はヴァルツ総司令官からの大事な任務中である訳だし。
平原。森に入る手前で、何かがこちらに直進してきた。思わず、声をあげる。
「ジュ、ジュノー様!! 何かがこちらに向かってきます!!」
声を放った時には、ジュノー様は私が指した方を向いていて剣を抜いていた。そして目にも止まらない速度で、二連突き。
キャンッ!!
平原をうろついていたウルフだった。2匹のウルフが、私達に気づいて襲い掛かって来たのだ。でもジュノー様を狙った2匹のウルフは、あっけなく突き殺された。噛みつこうとして大きく開けた口の中に、剣が深く突き刺さる。ジュノー様はそれを素早く引き抜いて、同時に襲い掛かって来たもう1匹のウルフも刺した。一瞬だった。
「これは、この辺りを徘徊している夜行性のウルフか。思いがけずも食糧が手に入ったと思ったが……よく見ればこれは駄目だな」
「は? なぜ、駄目なのでしょうか? 肉なら焼けば……」
「この種は味がよくない。ベレスには嫌な思い出だが、ルーランの残党を狩る為に大森林に入ったあの時、ルーランのタルサ・ズリックが奇策として帝国軍にけしかけてきた森林ウルフ。あれは、美味いのだがな」
「そ、そうなのですか。私は、肉であればなんでも焼けば食べられると思っておりました」
「兎に角、もう真っ暗だ。ゆっくりと休息をとれるところを探そう」
「解りました……あっ! でも勝手に森に入ったりすれば、フリート将軍は私達の居場所が解らなくなって困るのでは?」
「だからと言って、ずっとあの平原にはいたくない。ウルフの群れもうろついているし、何より目立つ。いくら私でも徹夜でそんなのと一晩中戦ってもいられない。私は睡眠を貪りたいのだ」
「は、はあ……」
「それに私達から離れて行ったのは、ジークからだ。私達が気にする必要はない。彼も帝国の将軍だ。きちんとできるさ」
先ほどは怒っていると思ったけれど、そうではなかった。それによくよく見てみると、今晩のジュノー将軍は、なんだかとても機嫌がいいような気もした。




