第1162話 『泉の底』
泉の水は、かなり冷たかった。この洞穴の泉の水は、湧き水でそもそもがとても冷たい水。だけど陽が昇っている間は、外は炎天下で冷たい水も触れると心地よかった。
だけど今は、夜。荒野の夜はとても肌寒い。だから泉に潜った事により、体温が一気に低下している事に気づいた。それでも更に水の中に居続けると、だんだん感覚が麻痺してくる。
ブクブクブク……
泉の底へ向かって泳ぐ。チラリと後方を振り返ると、私の後を追ってくるゾーイの姿が見えた。泳ぎは、苦手ではないらしい。フフ、それもそうか。ゾーイは騎士なのだから、当然訓練もしているし万一に備えて泳ぐ特訓もしているはずだもんね。
例えばクラインベルト王国に、ドルガンド帝国とか敵が攻めてきて迎撃に出たとする。その際に目前を川が塞いでいたら、その川を泳いで渡らなければならない場合もある。
もしくは、エスメラルダ王妃のような、要人の警護をしている時に水に入るようなトラブルがあった場合、自分が泳げなければ他の誰かを守る事もできない。だから一般兵士の更に上に位置する騎士は、泳ぎの訓練にも余念がない。
泉の底の方まで行くと、周囲に小魚が泳いでいた。なるほど、これがルキアが言っていた白い小さな魚。目もやや白っぽく見えるけど、もしかしたら目が退化していて見えていないのかもしれない。光が届きにくい水底、地底湖などに生息している魚などの生物は、こういう種類がいたりする。
ブクブクブク……
まだ息は続く。もっと泉の底を色々と見てみたかった。隣にゾーイが来る。キョロキョロと周囲を見渡すと、ルキアが言っていた大小様々な白い岩があった。近づいてみる。
私はゾーイの方を向いて、水底の白い岩を指さした。そこまで行こうって。するとゾーイは、頷いてくれた。
私は冒険者だけど、旅の途中などにキャンプする事が特に大好きで、趣味にしている。暇さえあればキャンプをしたいから、キャンプをするのに一番適している冒険者になったと言ってもいい位。そんなキャンプ大好きな愛好家の事を、キャンパーというんだけど、川とか湖、海などに潜る事を生業にしている人をダイバーっていうみたい。もちろん、趣味にしている人もそういうらしいけど、こういう水中の景色を眺めていると、ダイバーをやっている人の気持ちが解る。
水の中というのは、なんとも不思議で神秘的。そして癒される。爺が昔、人間の身体の大半は水で作られているって言っていたけれど、だから余計にそう感じるのかもしれないと思った。
もっと色々と見たくなって、岩に近づく。触ると、滑々していて気持ちいい。エスメラルダ王妃とルキアが獲ってきてくれた二枚貝と、巻貝も見つけた。確か名前は、ミルキーシェルと白巻貝だっけ。お刺身は絶品だったから、もう名前を覚えちゃった。フフフ。
またもゾーイの方を振り返り、彼女に岩が滑々している事や、貝がいるよってジェスチャーで伝えた。ダイバーなら、水中でも互いに会話ができるサインとか、そういうのを会得しているのだろうけど、とうぜんそういうのを知らない私は、一生懸命に自分で考えたサインをする。それでも結構、伝わるものなのだと勉強になった。
ゾーイは私の隣に来て、白い岩を触った。そして続いて貝を見つけると、軽く触れる。
……う……うぐう……ブクブクブク……
駄目だ! そろそろ息がもたない。
ゾーイの肩を触り、彼女がこちらを振り向くと私は上の方を指さして、一旦呼吸をしに上にあがろうと伝えた。頷くゾーイ。一気に上に浮上すると、身体に負担がかかる。だからゆっくりと、上を目指した。
ザパアアッ!!
「ぷはーーー、はあ、はあ、はあ」
「はあーー、はあ、はあ」
私もゾーイも水面にあがってきた。
「ゾーイ! 泉の底、とても面白かったねー!」
「ええ、そうですね」
いつも冷静で、あまり感情を表に出さない印象の強いゾーイ。本当はそうじゃないかもしれないけれど、私の前では少なくともそう。
だけど今のは、明らかに気持ちの入った返事だった。
「ルキアやエスメラルダ王妃が言っていた白い岩や、貝。いっぱいあったよね」
「そうですね」
「ゾーイは、何を見て一番面白いと思った?」
「何が面白いかと聞かれたら、どう答えるか悩みますが……アテナ様に呼ばれて水底……白い岩が沢山あった場所まで降りた時、少し離れた箇所――壁側に横穴がありました。あれを発見した時、その中がどうなっているのか気になりました」
「そうなんだ、横穴なんてあったんだ!! 私は気づかなかった。どのくらいの大きさ?」
「さあ……少し遠目でしたので。でも直径1メートル程だと思います」
「直系1メートルか。それなら中へ入って、そこがどうなっているか確かめられるわね」
そう言ってクククと笑うと、ゾーイは少し驚いたような呆れたような顔をする。
「中はどうなっているか、解らない。泉にいた貝は、私もエスメラルダ様も知っている種でしたが、あの白い小魚は知らない。もしかしたら、穴の中には見た事もない化物がいるかもしれないのですよ」
ゾーイの言葉を聞いて、私は更に笑った。ゾーイの眉間に皺が寄る。
「あっはっはっは、ごめん、ごめん。気を悪くしないで。ゾーイって、ガンロック王国で戦った時は決して怯まないし、何がなんでも任務遂行で追ってくる。そんな強烈な女の子だと思っていたんだけど、意外と怖がりやさんなんだなって思って」
「アテナ様にもしもの事があってはと思って、言っているのです」
「それなら大丈夫、大丈夫。私がノクタームエルドを旅した事も、知っているでしょ? あの時は地底湖にも行ったし、そこで泳いだのよ」
「あの大地底湖でですか?」
「うん。だから大丈夫よ。冒険はいつもの事だし、そもそも私は冒険者だから。冒険は得意なの」
諦めたのか溜息をつくゾーイ。
「よーーし、それじゃこれからもう一度、泉の底へに潜って、その横穴を調べよう! フフフ、なんだか面白そう」
泉の水がとても冷たすぎて、本当に感覚が麻痺してきたから解らないけれど、水中にいてもあまり寒いと感じなくなってきていた。




