第1045話 『エスメラルダとアテナ その4』
パスキア王国の王都。そこから、少し行った場所にその湖はあった。
私はそこであのエスメラルダ王妃と一緒に向かい合い、話をしていた。今までの私達の関係を思い浮かべると、とても信じられない事だった。
だって私とエスメラルダ王妃は、顔を合わせれば常に火花を散らして、睨み合っていたから。
「どうなのですか?」
「既に言ったはずですけど」
「この際です。もう一度、確認しておきたいのです」
「私は、あなたと鎖鉄球騎士団に借りがあります」
ノクタームエルドを旅した時に、ドワーフの王国を助ける為に力を借りた。今でもその判断は微塵も間違っているとは思わない。あの時、ゾルバ達の力を借りたからこそ、救う事ができた命も沢山あったから。
縁談は、その借りの代償。
「だからゾルバに言われたように、あなたに会って話を聞きました。そしてあなたに従って、カミュウ王子との縁談を承知しました。でも最初にこれだけは、言っていたはず。私はまだ結婚もしたくないですし、そのつもりもないです」
「これは政略結婚なのです。あなたがカミュウ王子と結婚すれば、両国は繁栄し平和になる。それは解りますよね」
「解ります。でも私は今は、キャンパー……冒険者だから。色々な場所を旅して、キャンプして……色々なものを見て体験したい。世界はとっても広くて、私の知らない事で溢れている。それを私は今、一緒にいる仲間と共に見てみたい」
本心だった。いつも衝突しているから、こんなふうに彼女と話した事は、これが初めてかもしれない。私は続けて言った。
「カミュウ王子は、とても素敵な方だと思います。私よりも若いし、とても可愛らしくて女の子みたいだと思いました。でもとても優しくて、その内側にはしっかりと何か王族の持つ聡明さのようなものも感じました。カミュウには3人のお兄さんがいるけれど、カミュウにも王位継承権はあって、もしも彼がパスキア王国を継ぐ事になるような事があったら、この国はもっと大きな国になるかもしれない」
「ですが、そう言ってもこの縁談……あなたは、進める気はないと。それは、どうあがいてもという事ですね」
ゆっくりと頷いて見せる。するとエスメラルダ王妃は、私から視線を外して湖を眺めた。そして溜息を1つつくと――
「ふう……解りました、いいでしょう」
それでもきっと彼女は、私とカミュウを絶対に結婚させようとするはず。だってこの話は、随分と前から彼女が計画していた事。だからなんとしても縁談を進めて、私の気持ちとは関係なく平行線状に……って、え⁉
ええええ!? 聞き間違え!?
今さっき、確かにエスメラルダ王妃は私に向かって……解りました、いいでしょうって言った!?
彼女はこれまで、この縁談を何がなんでも成功させようとしてきた。それに彼女自身も政略結婚でクラインベルトにやってきているから、それが一番正しい事だと信じて疑わないと思っていた。だけどこの発言は……私は、驚いて彼女の顔を覗き込むように見た。
「な、なんですかアテナ!」
「え? いえ? その、今なんて言ったのかなーって思って。もしかして、縁談断っていいって事?」
「そうです。断ってもいいです」
「…………」
うそーー!! これには、驚きを隠せなかった。そ、そんな……
確かにそれじゃ、私の望む通りだけど……私の事が嫌いで、目の敵にしている彼女がこれで引き下がるとも思えない。もう私をここまで連れてきているのだから、なんとしてもカミュウ王子との結婚を遂げさせるはず。
でも彼女の言っている事が本当なら、これで私は、早々にでもルシエル達と合流してまた楽しい旅を再開できる。うわーー、それだったらいいなあ。
いいんだけど……やっぱり手放しで喜べない自分がいる。恐る恐る聞いてみる。
「え? そ、それじゃ、私……この縁談を反故にしてまた旅だっちゃったりするけど……いいの?」
「あなたがどうしても結婚を考えたくないという気持ち、それが思いもよらない程に固い事にやっと気づきました。いいでしょう、この結婚は取りやめましょう」
やった!!
「ですが……」
きた!! やっぱり、何か続くんだ!!
「私に借りを返すという約束、それは果たしてもらいます」
「それってどういう? 意味が解らないんだけど……」
湖を眺めていたエスメラルダ王妃は、再び私の方を振り返ると怒った顔で言った。
「縁談は続けてもらいます。そしてあの不届き者達に痛い目をあわせた所で、わたくし達はパスキア王国から引きあげましょう」
あの不届き者達にって……?
はっ!
私はやっとエスメラルダ王妃が、あれだけ縁談をプッシュしていたのに、いきなり引き下がっても良いという考えの先の真理に気づいた。
そう、エスメラルダ王妃は兼ねてからこの計画を進めていた。もちろんそれは、パスキアの国王であるフィリップ王やメアリー王妃と共に……
なのにフィリップ王は、エスメラルダ王妃に恥をかかせた。結果そうなってしまったのか、そのつもりがないのかは解らないけれど、縁談相手である他国の王妃と王女を迎え入れておいて、後から3人の対抗馬を出してくるその神経。
私は少しでもこの縁談が破綻すればいいって思って、それほどその事に対して気になっていなかったけれど、エスメラルダ王妃――彼女からしてみれば、とても馬鹿にされていると感じるのは当然だろうし、彼女のような人がそれを笑って許せる程、穏やかな気持を持ち合わせてもいなかったのだ。
つまり、エスメラルダ王妃はこのパスキア王国に対して怒り始めていたのだ。