第1037話 『もっと優しくしてよ』
私とクロエは、今もこの王都の何処かで待ってくれているルシエル達を……そしてエスメラルダ王妃は、息子のエドモンテと鎖鉄球騎士団他、クラインベルト王国から護衛として連れてきた兵や使用人達を置いて、外へ出てきてしまった。
王都から外の世界へ出ると、そこはもう壁もパトロールしている兵士もいない。パスキア王国内だと言っても、誰にも守られていない世界。クラインベルトだってそうだけど、あちこちに魔物が徘徊していたっておかしくないし、盗賊だっているだろう。
冒険者である私は兎も角、エスメラルダ王妃がそんな場所を歩いて移動するのは、流石に危険かもしれないと思って、馬車に乗ろうと提案した。しかしエスメラルダ王妃は、歩くと言った。
「何をボーーっとしているのですか、アテナ。行きますよ」
「行くって何処に?」
「何処か落ち着いて、話をできる場所です」
「話ってそんなに長くなる話なの?」
「いえ、別に」
「それなら」
「嫌です。パスキアの者に、会話を聞かれるのがわたくしは、嫌なのです!! いいから、言われたとおりにしなさい!!」
「えーーー」
「なんですか、その態度は!! わたくしは、あなたの……」
そこまで言って、彼女は横を向いた。
そうなんだ。私とエスメラルダ王妃は、出会った時から険悪な仲だった。
私の実母、ティアナが亡くなった後、父セシルは、クラインベルト王国の平和と繁栄の為に、東にある大国、ヴァレスティナ公国のエゾンド公爵の娘と再婚した。
誰が見ても解る、お互いがそう理解していた政略結婚だった。自分自身の気持ちは、二や三の次。一番大切な事は、国の為。お父様とエスメラルダ・ヴァレスティナはそれで夫婦となった。
だけど愛はない。私には、そう見えた。でもそれから間もなくして、2人の間には、ルーニという可愛い娘ができた。子供を作る事は、絶対必要な事だったから。それでお互いの絆がより強固なものになる。子供を作れば、セシル・クラインベルトとエゾンド・ヴァレスティナにも、血の絆が生まれるから。
だからルーニの誕生は、両国にとっても必須だった。
お父様が愛しているのは、今も変わらない。ティアナ……亡くなったお母様だけ。それは、一緒にいれば伝わってくる。そして私もそう。私のお母様は、お母様だけ。
だからお父様を愛してもいないのに、クラインベルトへやってきたエスメラルダ王妃の事を私は大嫌いになっていた。ううん、そう思っていたというよりは、無意識にかもしれない。それに近かったと思う。なにより、エスメラルダ王妃も私の事を嫌っていた。そういう目をしていたし、彼女も私の事を実の娘だなんて認めない。
彼女にとって私とモニカは、なんでもない。本当の子供は、ルーニとエドモンテ。その2人だけなのだから。
だから今も、私とエスメラルダ王妃はお互いを認め合っていない。私は彼女の事をお母様と決して呼ばないし、彼女も私の事を娘だと言わない。
なのに、今ここで私の事をうっかりとわたくしの娘でしょと言いかけた。それは、私にとってとても驚くべき事だった。
パスキア王国に来てから、何かがおかしい。いつもトゲトゲしていて、人を寄り付かせないのに……クロエに対してだって優しさが見える。こんな彼女は、私が嫌っている彼女じゃない。
もしもここがヴァレスティナ公国なら、何かが彼女の心を揺さぶることがあるかもしれない。だけどここは、パスキア王国。彼女との関係は何もないはず。だとすれば、考えられるのは、今回の私とカミュウ王子との縁談だと思った。
彼女は私に、カミュウ王子との政略結婚をさせようとしているけれど、実は彼女もお父様と政略結婚をしている。だから何か気持ちの奥底に沈んでいたものが、急に浮かび上がってきたのかもしれない。
色々考えを巡らせていると、エスメラルダ王妃が言った。
「この街道を真っすぐに歩いていますけど、ちゃんとあてはあるんですか?」
「そんなものは、あるわけないでしょう。だって、あなたがここまで連れて来たのでしょ。もうここら辺でいいなら、その辺に座って話をしますが」
はあ? なにそれ! 確かに出るとは言ったかもだけど、それはお店から外へ出るって言っただけで、もともと王宮の外へ出たいって言い出したのは、エスメラルダ王妃なのに! ムッキーー、ムッキーー!
また止めどない怒りが溢れてきた所で、クロエが私の服を引っ張った。
「アテナさん」
「ん? なーにクロエ」
「王妃様は、アテナさんのお母様ですよね」
「…………えっと、それは……どう答えればいいんだろう。困ったな」
エスメラルダ王妃の事が嫌い。お母様に成り代わって、私とモニカの前に突然現れた人。政略結婚なんてもので、大好きなお母様がいた場所を奪い取った人。
子供の頃は、お母様を失った寂しさや悲しさ、そして怒りで極端にそう思っていた。そしてそのまま私も彼女も、今に至っている。彼女の事が苦手っていうのは、本当の事だけれど、本当はいつまでも彼女に対してこんな態度をとっている自分に対しても腹が立っていた。
クロエは、少し悲しそうな顔をして言った。
「お母様なら、もう少しだけでも優しくしてあげてください。王妃様……寂しそうです」
「う……う、うーーん。そ、そうだね。確かにそうだね。解ったわ」
私は、キョロキョロと周囲を見回した。
「そう言えば、この街道をもう少し進んだ先に、綺麗な湖があるらしいです。草原を1つ越えた所みたいだし、もしも私達の後を追ってきている何者かがいれば、そこで解るはずだし、いいかなって」
「そうですか、解りました。冒険者なんて、汚ならしくて下賤な身分の者がする仕事ですが、こういう事には特別頭が回るようですね。あなたがそういうのなら、いいでしょう」
うっ! やっぱり一言多いな。冒険者は、下賤な身分じゃないし。この人は、伝説級冒険者ヘリオス・フリートを目の前にしても、そう言い切れるのかな。まあ、師匠は自分の事はキャンパーって言うだろうけど。
「それでは行きましょう、クロエ。後ろからついていきますから、アテナはちゃんとわたくし達を先導なさい」
「はーーい」
元気なく返事をする。そしてチラリと見ると、エスメラルダ王妃はクロエの手を握っていた。
最初はあんなに、クロエに意地悪していたのに……
もおおおおお!! 私にだって、もーっと優しくしなさいよおおおお!!
って爆発しそうになったけど、どうにか堪えた。




