第1008話 『ヘドロプール その1』
フィッシュフォレストという森にある、とても大きな沼――その名も『ヘドロプール』。私達は、今その沼にヌマグロという魔物を狩りにやってきていた。
沼のある場所には木がほとんどなくて、拓けていた。辺りを遠くまで見渡す事ができるので、何処にヌマグロが潜んでいるのか探しやすい。
ルシエルは、ノエルの後ろにそっと忍び寄ると、彼女の背をポンと軽く押した。ノエルの身体が沼の方へと一瞬傾く。
「うおおおお!! って危ねー!! こ、このバカエルフ、いきなり何しやがるんだ!!」
「ヒャッヒャッヒャ。だってこれだけ大きな沼だと、そのヌマグロとかいう奴が、何処に潜んでいるのか解んねーじゃーん」
「だからあたしを沼の中へ落として、探してこいって、そう思って後ろから押したのか!」
「え? だってノエル、泳ぎが得意そうだし」
「あたしが今まで一度でも、泳ぎが得意だって公言したか?」
「え? だってノエル、沼とか得意そうだし」
「…………」
ノエルは、ルシエルをじっと睨みつける。次の瞬間、ルシエルの腕を掴んで沼の方へ強引に引っ張った。
「ギャアアア!! やめろ、やめちくりいいい!! ノエル、お願いだからやめちくりいいい!!」
「うるせー、てめーが行ってこい!! 沼の中をバシャバシャと泳いで、でけー怪物魚を探してこいよ!!」
「ひいいいい!! やめてーーー!!」
近くの木に慌てて必死にしがみつくルシエル。そんな彼女を引っ張って、沼に投げ入れようとするノエル。
「やめえやめてーー!! やめてあげてよーー!!」
「うるせー、往生際が悪いぞ!! あたしを沼に突き落とそうとした罰だ!! 思う存分好きなだけ、泳いで楽しんでこい!!」
「いやーー、沼嫌いーー!! 冗談、冗談だってば、ノエルを突き落とすつもりなんて微塵もなかったよ!! だからやめてー!!」
「うるさい、観念しろ!!」
「ヒ、ヒイイイ!!」
ザカと暫く2人を見ていたけれど、まだ暫く続きそうだったので、私はそんな2人を横目に沼の方へと近づいた。後ろからザカがついてくる。
「キヲツケロ。ヌマチカクハ、ジバンガユルイシ、バショニヨッテハ、ソコナシヌマニナッテイルトコロモアル」
「はい、ありがとうございます。でも沼に入らないと、そのヌマグロをやっつける事もできなさそうですし」
私の発言に驚くザカ。そしてルシエルとノエルも争いを止めて、私の方を振り向いた。
私はザックを下ろすと、そこからカルビを出した。そして着ている服を脱ぎ始める。ルシエルとノエルが、慌ててこっちへ駆けてくる。
「お、おい、ルキア! もしかして、沼に入るつもりか? やめろ!」
「え? だってこれだけ広い沼でですから、入って探さないと見つからなさそうですし……」
「ルシエルの言う通りだ、やめろルキア。知っているだろ、底無沼もそうだが……この森には得体の知れない魔物が多く潜んでいる。今、直ぐに他のいい手を考えるから、とりあえず自分一人で勝手に沼に浸かろうとするな」
「で、でも……」
服にかけていた手。その手を止めるように、ザカが握った。
「ルシエルト、ノエルノイウコトハ、タダシイ。コノモリハ、ニンゲンニトッテ、キケン。ソシテ、コノヌマハ、モットキケンダ。デモ、オレノヨウナ、フィッシュメンハ、ヘイキダ」
ザカは目の前に来ると、背を見せたまま屈んで私の方を振り返った。
「ヌマグロヲ、ミツケル。ルキア、オデノセニノレ」
「ええ!?」
背に乗れ!? 一瞬耳を疑う。だけどザカは確かにその言葉を言った。それを聞いてルシエルは、何かを察して騒ぎ始める。
「も、もしかして!! うおおおお、ルキア変わってくれ!! ルキア、頼む!! オレがザカの背に乗ってやんよ!! いや、乗らせて頂けますか、お願いします!!」
「ちょ、ちょっとルシエル……」
「頼むーーう!! 後生じゃああ!! ルキア様、お願いしますだべ!! どうか、ザカの背に乗る役目をオラに譲ってけろーー!!」
「え、えええ!?」
「ルキア姫ーー!!」
「え? 姫!?」
姫と呼ばれて、迂闊にも嬉しそうな顔をしてしまった。まるで一瞬開いたドアに、足を滑り込ませて中へ入ろうとするかのように、ルシエルは私に抱き着いてきた。
「姫ーー! ありがとーー、さっすがルキア姫だわー!! わーーい」
「っもう、ルシエルったら。解りました。そこまで言うなら、ルシエルにお願いします」
「おう! 任されてやんよ!!」
ルシエルは、物凄い爽やかな笑顔で親指を立てて言った。するとザカが言った。
「ドッチガノッテモイイガ、オマエタチクライナラ、フタリクライ、ノセテオヨゲルゾ」
「え? そうなの?」
ルシエルは、今度はノエルの方を振り返る。
「あ、あたしはいい。ヌマグロが現れるまで、あたしはここでカルビと待機しているから。だから、ルシエルとルキアで行ってくればいいんじゃないか」
ルシエルは両目を潤ませて、ノエルの手を握った。
「マジかーー!! ノエル、お前って実はいい奴だったんだなー。もちろん、知っていたけど!」
いやらしい顔でノエルの手を握り、頬ずりするルシエル。ノエルは、鳥肌をたてた。
「や、やめろおお!! ひいい、気持ち悪い!! ほら、さっさと行ってこいよルシエル! ルキアも気を付けてな。あたしとカルビは、ここで見ててやる。何かあれば助けにいくから、安心して行ってこい」
「はい、ありがとうございます。ノエル」
「ああ」
「よっしゃ、ルキア! 行くぞ、ザカに乗れーー!! それじゃ、ザカさん、失礼しゃーーっす!」
ルシエルは、そう言って軽やかにザカの背に飛び乗った。ちゃっかりと、前の方に乗っている。
「ルキア、イクダロ。サア、ノレ」
「はい。それじゃ、ザカ。よろしくお願いします」
ザカに頭を下げると、ザカの背中――ルシエルの後ろに飛び乗った。そして落ちないようにルシエルの腰を掴むと、ザカは銛を握る。
沼の方へと駆けて行き、ジャンプ。そのまま勢いよく飛び込んだ。
泥の飛沫が辺りに舞い上がって飛び散る。時間差で、ノエルの悲鳴が聞こえてきたので、泥の飛沫が彼女にかかってしまったのだろうと思った。