孤独の王
民の声が聞こえる。
馬車に乗りながら大通りを行くと、「国王様」と皆一様に声をかけてくる。
それに対して王は手を振りながら、ゆっくりと馬車が移動していく。
「あなた様は誰に対しても手を振られるのですね」
対岸に座っている后が静かに微笑みながら言った。
「民は、愛さなければならない。愛されるためには善政を敷く必要がある。それは大変なことではあるが、やりがいがある。私は、それは素晴らしいと思っているよ」
王もまた、静かに答えた。
もっとも、この教え自体はこの国に代々伝わるものだ。自分自身では意識したことがないが、それが当たり前だと思っている。
だからこそ、この国の繁栄があるのだ。
繁栄を永遠のものとする。そのためには善政を常に敷かなければならない。それは大変な道のりではあるが、それが成し遂げられているのを実感すると、喜びが溢れてくるのもまた事実だった。
「我が子よ、お前はこの父の次の王なのだ。いずれ私を超える立派な主君になるのだぞ」
「はい、父上」
まだ幼い我が子が全力で頷きながら微笑む。幼い子を抱きかかえ、后がまた微笑んだ。
こういうのを平和というのだろうかと、王はふと考えた。
こういうことが永遠に続けばいい。
そう思った時だった。
突然、馬車が止まった。
「ん? どうした?」
声をかけるが、返事がない。
同時に、ハッとした。
誰も動いていない。
目の前の后も、子も、それどころか馬車の外の住民まで、誰も動いていないのだ。
「なんだ……?」
呟くと、目の前に光が満ちた。
その光が球体として収束していく。
まばゆい光を放ちながら、その球体は王の目の前で止まった。
「永遠を望むか、人間よ」
球体から、声がした。
なんとなく、そうだと思ったのだ。
「何者だ?」
「我はお前たちが神と呼ぶもの。永遠を人間が望んだようなので参上した」
夢を見ているのだろうか。
一瞬王はそう思ったが、どうも実感がありすぎる。
「夢ではない。現実だ。ただし、動いているのはお前の時のみ。それ以外は止まっている。そしてその時間も我が止めた」
思考をあっさりと読み取られている。どうも目の前の存在は本当に神というものなのだろう。
「永遠とは、まさかこの周囲が止まった状態が続くことか?」
「否。永遠とは、不老不死」
不老不死。少し、惹かれる言葉だ。
この幸福で安寧な状況をずっと味わえるのならば、不老不死は捨てたものではない。
「代償は?」
「何も無い。神はただ望んだものを差し出すのみ」
特に代償がないならば、なおのこと悪くはないではないか。
王は、静かに頷いた。
「契約はなったな」
神を名乗っていた球体は一言だけそう言う。まるで、無関心であるかのように。
そして、その球体が消えた瞬間、全ての周囲が動き出した。
まるで、何事もなかったかのように。
「……夢、だったのか?」
「陛下、いかがなされました?」
目の前の后が、心配そうな表情で問うてくる。
「どうした?」
「いえ。何か、ひどくお疲れの顔を一瞬なさいましたから……」
そんなにひどい顔だったのだろうか。
そう思ったが、首を横に振った。
「大丈夫だ。少し妙な白昼夢でも見ていたのだろう。城に戻ったらゆっくりするよ」
それだけ言って、王は微笑んだ。后は、思わず苦笑している。
何も変わらないなと、ふと王は思うだけだった。
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三十年の時が流れた。
后が、死んだ。
その后は、死の床で自分に対して言ったのだ。
「どうしてあなたは年を取らなくなったのですか」、と。
あれが夢ではなかったのだと、なんとなく実感したのは今から十年ほど前だ。
后の髪に白いものが混じっていくと言うのに、自分は三十代頃の顔のまま永久に変わらないのである。
何しろ、気づけば息子と兄弟のような姿になっていった。その息子の方が、王よりも遥かに年上に見えるほどになっている。
不老不死に代償はない。確かに神は、そう言った。
だが、王の周囲からは不気味がられる一方だ。年を取らないことで何か呪いに掛かったのではないかと、臣下に言われるようになった。
一度祈祷を試したことがあったが、それでも年を取ることはなかった。
安寧な状況を常に埋めるのならば。それで不老不死を願い契約したのに、気づけば自分は全く安寧な状況を作り出せずにいる。
だから、息子に王の位を譲って、自分は太公という名誉地位に付いた。
その日以降、部屋に籠もるようになった。
息子が訪ねてくることも、滅多になくなった。
息子からも気味悪がられているのを、自分はよく知っていたからだ。
寝台に行っては枕を血涙で濡らした。
都度、自決を試みた。
首に剣を刺す。自分に痛みはない。それどころか、剣の方が先に折れた。
出された食事も水も手を付けなかった。だが、体力も何もかも奪われない。
呪術も試みて、自分に自死を掛けた。だが、その呪術もまるで効かない。
どうやれば死ねる。
それを考える日々が続いた。
ある時、臣下が部屋にやってきた。
「王が、危篤でございます」
臣下が告げた言葉で、ふと我に返った。
「馬鹿な。我が子を王にしたのは、ついこの間のはずぞ」
臣下が、首を振った。
「いえ。太公様、国王様が在位されてから、もう五〇年の月日が流れました」
思わず、目を見開いた。
もうあの契約を結んで八〇年も経ったというのに、何故自分は死なない。
そう思った時、思わず子の元へと駆けていた。
扉を開くと、愕然とした。
子は、完全に髪の毛が白くなり、血色の悪い肌になってしまっていた。
あれだけ幼かった子が、今老人になり、自分はまったく姿が変わらない。
どうしてこうなった。
そう思った瞬間、子が、口笛を吹いた。
直後、部屋の中の全員が、剣を抜いた。
そして、咆哮を上げながら、一気にこちらに剣を振りかぶる。
これで死ねるだろう。
そう思ったのに、気付いたら、部屋は自分を殺そうとした者達の死体で溢れかえっている。子も、気づけば死んでいた。
自分の手には、剣が握られていた。
返り血で真っ赤に染まった自分の身体を見て、皆自分が殺したのだと、太公は察した。
そこで気付いた。
ああ、そうか。この程度で死んでしまうから悪いんだ。
皆不老不死になればいい。
そうすれば、永遠に生きられる。
そう感じていたときには、今死体となって転がっている者達に、太公は呪術を施していた。
自分が死ぬようにやっていた呪術の応用だ。逆に永遠に生き続ける呪術だ。
それを施すと、皆生き返った。先程まで寝台に横たえていた老人と化していた子も蘇った。
ただし、目に生気はなく、皆意思を発することはないが。
太公の意のまま、そして本能赴くままに活動する不死者の集団が、まず誕生したのだ。
後は簡単だった。城の内部に始まり、そのまま市街地へとどんどんその勢力を広げた。
そして、気づけば数年で、この国は不老不死の者達の跋扈する国となった。
太公はいつの頃からか、より他の国にも不老不死を分けようと思った。
だから他国へとどんどん進んだ。
そして、世界の人間をすべて不老不死にした段階で、少しだけ、太公は満足した。
だが、何故か心のなかには、虚しさが漂った。
笑い声が、何も聞こえないのだ。
市中に行っても、聞こえてくるのは不死者と化した者の咆哮や唸り声。それはまるで、呪いのようにも感じた。
皆自分のことを呪うだろうか。
そう問おうとしても、誰も答えるものはいない。
自分は、孤独な王なのだと、今になって太公は気付く。
見すぎた夢を見た罰。それが当たったのだろうと、呆れるように思うだけだった。
空はまるで自分の気持ちのように、曇天となっている。
(了)