狐の裏の顔
*
「おはよう……、ございます」
「あらぁ! 愛ちゃん! 会いたかったよォ!」
職場に着いて、更衣室で着替えていると、秀子さんと遭遇した。
「大丈夫だったの?」
彼女は開口一番に体を心配してくれたが、正直着くまでの間、心臓がバクバクして、しんどかったのは話さないようにしよう。
「えぇ。何とか、出てこれました。心配かけてすみませんでした」
そう決めた私は、秀子さんに謝る。
「いやいや。それより、今まで渡せなかったお菓子! あげるわね!」
すると、お気に入りの黒いバックの中から、大量のお菓子を渡してきたが、そこの所が相変わらず変わってなくて、とても安心した。
「あっ。それとね、この前のこと、菊田さんにも言っといたからね!」
「あ!? 言ったんですか?」
そう聞き返すと、秀子さんはため息混じりにこう答えた。
「そうよ。ほとんどの人は、あんなことされた時点で、もうここには来ないし、辞めている訳だしねぇー」
「それは……、確かにそうですが……」
「ま。今日1日頑張ろうね! ね!」
「あ。はい。ありがとうございます!」
秀子さんの正論で元気を取り戻した私は、更衣室で着替え終わった後、現場へと向かう。
そして、朝礼に集まると、みんなの視線が一斉に自分の方へ向けてきた。と同時に、何故か異様な気配を感じた。
あぁ。怖い。怖い。怖い。怖い。
そう思っていても、周囲から聞こえてくる、陰口に似た、ヒソヒソ声。
「だけど、〇〇さんが代わりに入れば、ライン動くもんね」
「そうだね。何時までいるか分からないけど、人足りない時はそうしようか」
「そうだね。そうしよう」
そして、私がいなくても工場は動くし。と言う様な、排他的な会話。澤部さん達の方から聞こえてきたせいか、とてつもない程の嫌気が込み上げてくる。
「おはようございます! 今日の予定は……」
そんな中、朝礼が始まってしまった。
内容はというと、先程の雰囲気で、ほぼ全部吹っ飛んでしまったが、今日1日頑張ればいいや。そう思いながら、冷房が効かない現場でボーッと佇んでいた。
「それと、今日から佐藤さんが復帰しますが、まだ不慣れな所もあるので、皆さん、優しく接してあげてくださいね」
そして、朝礼の最後に、中年男性の工場長 才内はこう話しながらも、どこか面倒くさそうな表情を浮かべていた。
多分、言った『つもり』なんだろうなぁ。
あまり期待しないようにしよう。
なので、私はみんなの前で軽く会釈すると、青い手袋をはめ、手を洗い終わったあと、包装機がある場所へと向かう。
「愛ちゃん、大丈夫か?」
「あ。永井さん!」
永井さんはおばちゃん曰く『あんな若くていい人なのに彼女居ないんだよ!? 勿体ないよねぇ』と言われる程、肌が白くて顔立ちが整っていて、とても綺麗な人だ。多分、ジャニーズに居ても違和感はないと思う。
なので、陰ながら狙っている独身おばさんや、研修できているミャンマー人もいるらしい。私は知らないけど。
「あんま、無理すんじゃねーよ」
永井さんは決め台詞の様に、明るくそう言うと、自分の定位置に戻って行ってしまった。
「あ。ありがとう、ございます」
軽くお礼をすると、自分も指定された場所へと向かったが、途中、1人のおばちゃんが近づいてこう言ってきた。
「愛ちゃん! 秀子さんから聞いたよォ。大丈夫だったの?」
「あ。菊田さん!」
菊田さんは、ファンデーションをしていなくても、目元がぱっちりとしたおばちゃんで、この部署の中では古株の方だ。背丈は私と変わらないけど、この時ばかりは頼もしく見えた。
「あんまり無理しないでねぇ」
そう言うと、菊田さんも笑顔で言いながら、私とは少し離れた場所へと移動した。
「はい。ご心配をお掛けして、すみませんでした」
私はそう言って軽くお辞儀をすると、直ぐ様に定位置へと向かった。そして、久しぶりのライン作業に、何となくの充実感を満喫しつつ、作業をしていたら、珍しく高身長な男性がふらっと現れて、私の隣に来てこう言ってきた。
「大丈夫かぃ?」
「あ! 課長! ご心配お掛けしてしまい、すみませんでした」
課長との事、奄美課長もまた、顔立ちが整っていて、見ただけでも分かる。菩薩のオーラが漂っていた。
「いやいや。あまり無理しないように。それと、何かやられたりしたら、相談してね」
「あ。はい!」
優しい口調でそう言うと、満面の笑顔で立ち去った。
そして、再び作業を始めたが、今日は運良く、澤部さんに怒られないまま、お昼を迎える。
昼12時頃。食道に着くと、澤部さん達はまだ食堂に来ていなかった。なので、入口付近に置かれているホワイトボードを見ると、様々な連絡事項に紛れて、1枚の紙に目がいく。
――セクハラ・パワハラに悩んでいませんか?
もし気になるならこの番号に連絡を。
○○○-○○○-○○○○
と電話番号が書かれていたので、思わずスマートフォンを開き、写真を撮って保存した後、いつもの窓際に移動して座った。
「あ。秀子さん!」
「あら。愛ちゃん」
そして、おにぎりを2つ取りだして、その1つを齧りながら外を見つめていたら、秀子さんにまたもや出会った。
「あれから大丈夫なのかぃ?」
彼女は心配そうに訊きながら自身の弁当を開き、おかずのウィンナーを食している。いつも見ているけど、豪華だなぁ。私は朝忙しくて、いつもおにぎりばっかでおかずを作れる余裕は無いから少し羨ましかったりする。
「まぁ。今は何も言われてないので、大丈夫ったら、大丈夫です」
「あらそぅ」
「えっと、私が休みの間、何があったのでしょうか? かなり騒がしかった気がしますが……」
私は戸惑いながら答えると、秀子さんは「あぁ! そう言えばね!」と言いながら色々と話してくれた。
話によると、私と仲良かった人が、夜勤中にお金を盗んでクビになった話や、奄美課長がとてつもなく怒っていたこと等、かなりボリュームが多かった気がする。
「それとね、あんまり公にしていなかった話があるんだけどね……」
「はい。何でしょう」
「実は澤部さん……、昔っからとーっても意地悪な人なのよ」
「えっ!?」
驚いてしまい、思わず食べたおにぎりを詰まらせそうになった。確かにあの時は急に豹変したから驚いたけど……。
「前の部署だって、愛ちゃんにやった事と全く同じようなことを度々やって、上司に言われて異動してきたらしいのよ」
「えぇーー! それ、本当ですか!?」
「うん。実はね、私、澤部さんとは家も近いし、何かと小さい頃も知ってるのよ」
「わぉー」
秀子さんは、まさかの澤部さんの裏を知る人だった事に驚いて、何も言えなかった。だけど、秀子さんが言うなら、本当のことなんだろうな。
「それと、あの人のお母さんもね、とーっても気性が荒かったみたいなのよ。それはねぇ……」
秀子さんはそう言うと、ある話を語ってくれた。話によると、澤部さんが住んでいるところの近所に住んでいたみたいで、よく家にも顔を出していた様だ。
「確かね。何か用事があってね、澤部さんの家を訊ねた時があったのよ」
「そうなんですか。それで……」
「その時は澤部さん本人は不在でね、お母さんが出たの」
「おぉ……」
私は彼女の話に惹き込まれるかのように、水筒に入った麦茶をゴクリと1口飲み、耳を傾ける。
「そしたらねー!『澤部さんに用があってきたんですけど……』て訊ねたらね、お母さん、なんて言ったと思う!?」
「あ。えっと……」
「こう言ったんだよ!『あいつ、用事ほったらかしてどこ行きやがったんだ!』って! 凄い怒鳴り声あげてたんだよぉー」
「ええええぇ……」
「あの時ねー、実の娘になんて事言うの!? って内心思っちゃったのよー」
「その話、ほんとですか……」
私が思っていた、澤部さんの像が全く違く見えてしまった。子も子なら親も親。と言ったもんだ。
「そうだよ。それに、この話、愛ちゃんだけにしか言ってないわ」
「そうなんですか!」
「あ! そうだ! 愛ちゃん、Line教えて!」
「Lineですか!?」
「そうそう! 娘や孫とのやり取りにはいつも使ってるのよ」
「凄い……、ですね。分かりました」
なので、私はバックからメモ帳を取りだし、ページを切る。そして、自身のIDを書き込んで秀子さんに直接渡した。この方が60超えてる秀子さんにも伝わりやすい。変にふるふるやらQRコードをかざす必要も無い。
「ありがとう! いやぁー。愛ちゃんの連絡先聞けて嬉しかったわァ! 何かあったら、Lineしてちょうだい!」
「あ。ありがとうございます!」
しかし、私は長年務めていても尚、澤部さんの裏の顔に気が付かなかった。いや。気づきたくなかったんだ。薄々気づいていたのに、ずっと知らないふりをしていた。
はぁ。情けないなぁ。自分。
こうやって、裏切られ、あっさりと虐められるサイドになってしまうのはここだけではない。
実は高校の時も1度だけ、似たような経験をしたことを思い出した。




